2012年12月23日日曜日

その夢なら、今でも僕が預っている。:The road to Cafe GIGLIO part-5,Last Episode.

クリスマスになると、決まってポーグスとカースティ・マッコールのデュエットによる「ニューヨークの夢」をかける。
なぜ、この曲をかけるのかについては毎年書いているが大事な話なので今年も書く。しかも今年は、ブログも引っ越しているし、旧ブログの方にもこのエントリーを何度も読みたいので消さないでくださいとリクエストをいただいているのだ。BloggerのCafe GIGLIO Blogの方にも、このエントリーを残しておく意味も含め改めてアップします。

この曲に描かれているのは、アイルランドから夢を追いかけてアメリカに移住して来た移民の物語で、なかなか成功を掴めず年老いてしまった夫婦が、若い頃の出会いから始まり、クリスマスの夜に飲んだくれて警察に拘置され一夜を明かした翌朝の会話で終わる。
その会話がこれだ。

「俺には明るい未来があったはずなのに・・」

「そんなこと誰にだって言えるわ!
「最初に知り合った時に、あなたは私の夢を持って行っちゃったのよ」

「ああ、その夢なら俺が今でも大事に預かっているよ
「自分のと一緒にしまっているのさ
「俺はどうせ一人でやっていけるような強い男じゃない
「君がいなければ夢を持つこともできないんだ」

・・何度読んでも泣ける。
そうだ。僕はこのご老人の言い分に激しく共感している。

現代の日本を生きる僕たち夫婦は、幸運に恵まれて夢のひとつを叶えて、こうして札幌でケーキ屋さんを開くことができた。
でも思い返すと僕の心にあったのは「サラリーマンにはなりたくない。けど今の自分に何ができる?」ということだけだったのかも知れない。
消極的な選択肢として「喫茶店ってのもいいかなあ」と思っていた僕の前に、子供の頃からの「ケーキ屋さんになりたい」という夢を実現するための資金が欲しくて就職しましたっていう人(家内デス)が現れて、自分の考え方の甘っちょろさに深く恥じ入ったのだが、図々しい僕はその人の「意志」に自分の漠然とした希望を仮託することで、形をもった「夢」に変えてもらったのだ。
そうしておいて、僕らは二人分の夢を束ねて半分ずつの力で実現したのだった。

そして強欲な僕らは、二人で作ったもうひとつの夢を持っている。
家内の菓子職人修行のスタートがたまたまイタリア料理店のドルチェ担当であった縁で、イタリアという国に興味が湧き、二人でイタリア語を学び、実際に何度もイタリアに出かけた。
バイオリンが生まれた街クレモナには音楽が溢れ、欧州文化の故郷フィレンツェには今の我々の生活のルーツが眠っていた。
ヴェネツィアには職人の誇りが息づき、シエナには静謐な「生活」がゆっくりした時間の中をたゆたっていた。

この国で暮らしたい!
誰だってそう思うだろう。
僕らもそう思った。

パリもベルギーもドイツもそれぞれに素敵だったが、イタリアは別格だ。
二人でお店をやって、歳を取ったらイタリアに住もうと約束した。


「その夢なら、今でも僕が預かっている。」
クリスマスが来る度に、ポーグスの「ニューヨークの夢」を聴きながら、その約束が風化していないのを確かめる。
そして、二人分持ったのに重くならずに、足取りが軽くなる「夢」の不思議を思いながら、僕達の「ロード・トゥ・カフェ・ジリオ」を今日も二人で歩いて行くのだ。

The Road to Cafe GIGLIO,The End.


2012年11月27日火曜日

受け継ぐべきもの:The road to Cafe GIGLIO part-4

リクルートにいた頃、専門学校さんに募集広告のご提案をするのが私の仕事だった。しかし、広告というものは所詮学校の力以上のものは発揮できないものである。問題はその学校の良さ、というものが学校自身にも認知されていないというところにある。それは創業者の人生まで含めた「歴史」の中や、現在生徒を教えている「先生一人ひとり」の中に眠っているのだ。
だから取り急ぎ、それは揺り起こされなくてはならない。そしてご自身たちの口によって、同じ言葉で繰り返し語られなければならない。

と、いうようなお話を学校の経営者の皆様に申し上げると、よく「今の話を職員に話してくれないか」と言われた。そして研修が企画され、せっかく場をいただいたのだからと、そこで職員の皆さんと簡単なゲームをやって、教職員の皆さんの中に眠る学校の魅力を言語化していった。

手間がかかり、時間がかかり、効果もゆっくりとしか現れないが、確かな手応えのある方法だと思う。
だから自分の事業を作り上げる時だって、もちろん同じ事をやったのだ。
自分の事業と言ったが、この事業のコアはパティシエである家内のケーキ職人になりたいという強い思いにある。
だから店名にもパティシエの名前である百合子をイタリア語にしてGIGLIO(ジリオ)と付けた。それがイタリア語なのは、彼女がはじめてパティシエとして働いたお店が三軒茶屋の「ペペロッソ」というイタリア料理店であったことに由来している。その店でイタリアの文化に触れ、惚れ込み、長い休みの度にイタリアに行くようになり、ある年、シエナで見かけた小さなホテルの壁に描かれた百合の花とGIGLIOというホテル名を見て、あ、これだな、と直感したのだから。

その後、ペペロッソの社長が、「本格的に菓子をやりたいなら、友人のやってる菓子店を紹介してやる」と言って下さって、移ったのが「ヒサモト洋菓子店」で、日本洋菓子協会の初代会長の久本氏が昭和15年に開いたという老舗。お孫さんである三代目が経営者だった。残念ながらご病気のため2005年に逝去され、お店も閉店となってしまった。

しかし、今でもヒサモトのケーキや焼き菓子のファンは多く、ヒサモトと同じスタイルの丸いショートケーキを、検索で発見して東京から食べにいらしたお客様もいたほどだ。

日本の高度成長期、東急グループの総帥であった五島昇氏は、東急田園都市計画を策定し、渋谷、三軒茶屋、自由が丘、といった地域に商業施設をセットした住宅都市を作り、それを電車・バスなどの交通網で結んだ。ヒサモトの創業者、久本晋平氏はこの東急田園都市計画に賛同して、東急沿線に店舗を拡大していった。豊かになっていく日本の家庭で、休日の団欒を暖かい色彩で彩る洋菓子を提供してヒサモト洋菓子店は大きくなっていった。
ヒサモトのレシピは、奇をてらったところはないが、口に入れれば優しくて暖かい味がする。それこそがヒサモトが時間をかけて磨いてきた家族の団欒を彩る力であったのだ。

この「歴史」こそが我々が継承すべき「情熱」であり起点とすべきものだ、と思い定め具体的な商品の設計を行う。そのひとつの到達点が「卵」であった。
素材を吟味していくうちに、ケージに閉じ込められ工場で大量生産されるように作られた卵と、人の手をかけ自然に近い状態で、自然な餌を食べて育った鶏が産んだ卵ではこんなにも味が違うのかと驚いた。近郊で「平飼い」で鶏を育てている農家さんの卵をいくつか試して、ケーキやプリンとの相性がいい余市の「滝下農園」さんにお世話になることに決めた。


当時、我々も子育ての真っ最中だった。だからあたたかい家族のふれあいを彩るためのケーキの味を、命の源である卵が作るというのは至極当然のことに思えた。
だからこの店のシンボルマークを、卵を産んでくれる「鶏」にしたのだ。

デザインはリクルート時代にお仕事のことやら遊びのことなんかも教えていただいた大先輩の大嶽一省氏にお願いした。現在はご自身の事務所をお作りになって制作物の範疇にとらわれない広い意味で様々な「コミュニケーションのデザイン」をしておられる。当店のデザインでも、ロゴマークをデザインするにとどまらず、「卵の味」を最もストレートに伝えるシュークリームに「ママのシュークリーム」と名付けるといった、コミュニケーションのフレームワークに踏み込むデザインを施していただいた。

ある日、女性のお客様が帰り際に、「このお店のショートケーキを食べたとき、何年も前に亡くなった父が、子供のころによく買って帰って来てくれたケーキの味を思い出しました。なんだか、あったかい味のするショートケーキですね。」とおっしゃってくださった。「ありがとうございます。」と答えながら、「あったかい味」という表現が、この方がお父様に寄せていらしたのであろう愛情を感じさせて、不覚にも涙がこぼれた。

そして、我々が受け継いだ歴史が、心をこめて作っていただいている食材が、そしてそれらを巧みに組み合わせてデザインされたコミュニケーションのフレームワークが「届いた」と思った。
こんなうれしいことはない。
仕事を通じて得られるヨロコビというのは、どんな仕事でも一緒なんだね。

2012年11月19日月曜日

ドラッカーが教えてくれた路地裏のカフェの経営:The road to Cafe GIGLIO part-3

電話帳に「喫茶店」というカテゴリーで電話番号を載せているから、こんな小さなお店にもひっきりなしに広告代理店の売り込みの電話が来る。ことに今はインターネットの時代だ。しかし、僕は、18年も広告の営業マンをやっていたから身に沁みてわかるのだけれど、こういう店に、広告を売り込むのは本当に難しい。


「リピーターを増やすためのメールマガジンシステムを導入しませんか」
「すでに、ほぼリピーターのみで経営をしていますが。」
「はあ、そうですか」

「Yahoo!の検索ロジックが大きく変わりましたので、新しいSEO対策が必要です」
「お客様のご紹介で、新しいお客様が増えていく経営を志しておりますので、SEO対策になるようなことは慎重に避けております。」
「はあ。そうですか」

別に悪気はないのだが、会話は成立しない。
電話をかけてきた方も不思議に思うだろう。お客さんはたくさん来た方がいいと思っているからだ。何しろ彼らは、この店がどんなとこに建っているか見てもいないのだから無理も無い。
このあいだ、電光掲示版の看板の営業マンが飛び込みで来たが、周囲を見渡し、
「ここでは、やっぱいらないですかね」と言って帰った。
そういうことだ。


営業マン時代に大変お世話になった専門学校の広報部長は、
「本当に素晴らしい学校になれば広告はいらないだろう。その素晴らしさとは、学校の場合は教育内容のことだろう。だから教育内容に、まだ不十分なところがあるから広告に頼っているわけだが、いったい何を広告に書けというのだね?」とおっしゃった。
無論、思考ゲームのようなものだし、充分反論もできるが、なるほど一般論的な広告というものの限界点を上手に指摘していると思い、考え込んでしまった。
考え込んで、それってこれのことだよな、と思い出したのがドラッカーだった。

「企業の目的の定義はひとつしかない。イノベーションとマーケティングで顧客を創造することだ。」という超有名な名言の補足にある、「マーケティングとは、買わないことを選択できる第三者に、喜んで自らの購買力と交換してくれるものを提供する活動のことである。 マーケティングの狙いは、顧客というものをよく知って理解し、製品が顧客にぴったりと合って、ひとりでに売れてしまうようにすることだ。」というこの言葉。
広告の必要の是非を超えて、経営努力の本道を指し示す不滅の真理だ。
当店にお電話いただく、営業の皆様には謹んでこの言葉をお送りしたいと思う。

そして、我々もこの言葉を起点にカフェジリオという「家業」をデザインしている。
「イノベーション」という言葉は、革新するという意味だが、ドラッカーがその言葉を使う時、マーケティングの結果を経営に取り込むことを強く意識している。
そしてその「マーケティング」とは、「市場を知る」ということであり、気の利いた宣伝文句で商品の欠点を覆い隠すことではないのだ。
スターバックスのコンセプトはよく知られているように「第三の場所」というものだ。職場でも家でもない、第三の「場所」を提供することが彼らの主務である。
私たちの店のコンセプトは「現代のオイコス」であるから、地域社会に調和して、我々の持つリソースを役立ててもらう、ということが目的、ということになるだろう。そして我々の持つ優位性の高いリソースといえば、「味」しかない。だから我々の注力すべきイノベーションは、良い味を生み出すための工夫以外に求めるべきでないと思う。
限られたリソースで長く経営するためには「コア」に負担をかける戦略を選択すべきでないということも重要な要素だ。

この店の立地は、そのコンセプトを最も顕在的に表現した戦略だ。
路地裏にあるから、地域の人たちには認識してもらえる。情報を漁って付加価値を求めてカフェめぐりをする人ではなく、「ここ美味しいのよ」というリアルな人間関係の中で紹介してもらえる。そういう我々の提供できる商材とズレのない期待に応えるべく頑張ればいい。だから付加価値に気を取られずに味の研鑽に邁進できるし、そういう日々そのものが生きる楽しさに充ちている。
もちろんそれは我々の都合であって、わかりにくい場所をわざわざ探して来ていただくことのエクスキューズにはならない。いつも来ていただくお客様には本当に感謝しています。

また、ドラッカー自身は、「利潤の追求」は長期的に見ると会社の存続に悪影響を及ぼすことが多く、企業の商材が社会に価値を生み出していくことこそが経営の要諦であるという言い方をしている。
我々のような小さな事業ではこのことはまさに真理で、身の丈を超えた利潤を得るために考慮しなくてはならない「付加価値」は、いつか必ず自分たちに重い負担となって返ってくるだろう。

これからもなるべく「付加価値」に背を向けて、地域と我々自身の家業のために頑張って行きたい。

なお本稿の「ドラッカーが教えてくれた路地裏のカフェの経営」というタイトルは、カフェジリオの常連のお客様でもある株式会社インタフェース代表取締役の五十嵐仁様が企画された講演会でお話させていただいた際、五十嵐様に考えていただいた講演タイトルで、以来気に入って人前でお話をする機会がある度に使わせていただいている。改めてご紹介して御礼申し上げたい。

2012年11月14日水曜日

カフェをデザインするということ:The road to Cafe GIGLIO part-2

お客様の中には、将来的にカフェを経営したいとお思いの方もけっこういらっしゃって、私たちのカフェジリオのデザイン、家具、食器など細部に至るバランスに興味をお持ちいただいて「いったいどのように構想されたのか」と質問を受けることもよくある。
そう言っていただけると正直とてもうれしい。

本当は食器だって、家具だって、東京中歩いて、札幌中歩いて、インターネットもできるだけくまなく徘徊して、吟味して吟味して選んだのだ。
で も最終的にカフェジリオというパッケージにある種の「雰囲気」をもたらしているのは、店全体のデザインだ。このデザインがあったからこそ、そこにピタッと はまるものを選ぶことができたのだと思う。だから、ご質問してくださったお客様には、この店のデザインをどうやって構想したのかをお話しすることにしてい る。

で、それは実にシンプルなお話だ。


「このスピーカーに似合うお店を作って下さい」と言ったのです、と。

そしてこれはほとんど実話だ。

会 社員時代、私は広告を売る営業マンで、お客様の要望をマーケットに照らして制作サイドと広告を作ってきた。あまり細かい指示を出して作られた広告はすべて の要望を叶えようとするあまりピントのぼけたものになりがちで、しかもあれもこれも書いてあるので、お客様が細々と直したくなってくる。で、その修正を反 映させていくとますますぼけていくものだ。だから、一番大事なことだけ伝えて自由に作ってもらう。あとは出来上がったシンプルで力強いメッセージが「どう 社会を変えるのか」をプレゼンすればいい。たいていの場合、それはうまくいった。
だから自分でお店を作る時もそうした。


問題は自分にとって何が一番大事か?だった。

会 社員時代の終わり頃、向かいの席に座っていた大先輩は、(我々は学校広告を作っていた)「その学校の最も中核を成す特徴は、その学校ができる以前に、創立 者が様々な道がある中でわざわざ学校を作るという道を選んだきっかけの中に潜んでいる」と信じていた。だから当時を知る関係者やご本人にインタヴューを重 ねて、それらしき仮説を見つけると、現在教壇に立つ先生たちに「最も教育成果があがったと思うご自身の経験」をインタヴューして、それらを重ね合わせてみ ると、創立時の思いが何十年たった今でも脈々と学校の中に生きているのを発見して、学校の方も我々もびっくりする。
そしてそういうシーンに私たちは本当に何度も何度も立ち会った。


では自分にとってのそれは何か?

喫茶店が自分の未来の可能性のひとつとしてカタチになったのは多分予備校時代のころだと思う。
高 校は地元釧路の進学校で「元神童」たちがわんさか集まっていて、自分などは中の下が精一杯なんだと思ったし、中学時代部長までつとめた剣道を続けようと剣 道部に入ったら、世の中には化け物みたいに強い人がいっぱいいるのだと知った。 音楽が好きで作曲なんかもしていたが、一つ上に、後にZiggyのドラマーになる大山さんがいたり、同学年にMINKSでプロデビューした岡田ヨシアキく んなんかがいて、段違いの才能を感じた。
案の定大学受験にも失敗して、札幌の予備校に入った。
寮に入って、よく深夜にヘッドフォンでラジオを聴いていた。さだまさしさんの「案山子」がかかって聴くともなしに聴いていたらふいに涙が出てきて止まらなくなった。
小学生の時、友だちの家でお姉さんのものだというベイ・シティ・ローラーズのレコードを聴いた時。
中学生の時、はじめて買ってもらったシステムコンポでエアチェックしたFM放送の甲斐バンド・ライブを聴いた時。
音楽はいつもふいに心を激しく揺さぶる。
どんな人生になるにせよ、ずっと音楽と一緒にいようと思った。

その時ふと頭に浮かんだのが、喫茶店を経営して好きな音楽をかけて過ごすという日々だった。
むろん、甘っちょろい幻想だ。現実になるとも思っていなかった。
でもなんとなく自分らしいかも、と思って親しい友人にはこっそり話した。

そ の後、大事な出会いがあったり、会社での仕事を通じて学んだこともたくさんあって、頭にふと浮かんだ、好きな音楽が鳴っているだけの喫茶店は、「路地裏」 という骨太のコンセプトを得て25年もかけて大きく成長して今の形になった。しかし間違いなく「音楽が鳴っている」ことが一番重要で、だから一目惚れで 買ったこのタンノイのグリニッジというスピーカーこそがこの店の姿を決めるべきキー・フレームだと思ったのだ。

愛機グリニッジは、今日も快調にハンク・モブレイのジャズを鳴らしている。25年前思い描いた音とはずいぶん違うけど、きっとずっとその時々のカフェジリオの音を鳴らし続けてくれるだろう。それができるだけ長く続くといいと思う。

2012年11月9日金曜日

カフェジリオさん「不認可」です。

この写真はカフェジリオの営業許可証。開店時に保健所からいただくものだ。二枚あるのは飲食店営業と菓子製造業を兼業しているからである。それぞれの許可は店舗の特定の「スペース」に対して行われる。主に食中毒のようなトラブルを起こさないよう適切な施設・設備構成になっているかを審査して許可される。
今回問題になった大学の認可に似ている。

我々の場合は建築が終わり最後の実地検分の時にオーディオ機器が飲食店営業許可部分に置かれていることが問題となり「不認可」となった。
コストと時間をかけ工事をやり直してやっと営業許可をもらった。事前の説明では営業に関係ないものは置かないでください、とのことだったがオーディオは僕の中では当然必須のものだし、カウンター内に機器のない店を逆に見たことがないのでそのまま作ったら、それは「調理に関係ないから」駄目だとのことだった。多くの店は何も置かずに実地検分を受け、許可をもらってから機器を置くのだそうだ。許可をもらってから全面改装した猛者もいると聞く。僕は長年憧れたMcIntoshのアンプを買ったのがうれしくてうれしくて、真っ先に機器を置いたのでこれが裏目に出たということか?いやいや遵法精神ですよ。それが一番。おかげで次の許可更新の時、なんの気兼ねもなく申請を出せるもの。

これが我々の小さい店の話だからいいが、大学の場合は、そんなことは到底出来ないほど大規模なコストがかかる。だから、この書類通り作ってくれたら認可をするから、と約束をして建設をスタートして最後に実地検分をして認可証を出す、という段取りになっている。だからもちろん書類を作るまでに相当緻密な審査をしているし、なによりも教育内容が大学教育に妥当なものか、という相当厳しいやりとりの末に認可の「約束」が取り交わされる。
昔お世話になった大学の新設学部はあまりにも先進的でなかなか時代が追いついて来ず、完成までに文科省とのやりとりを7年間もやった例があるくらいだ。
で、この段階を「申請書類を提出し、受理した」と呼んでいる。
ここから建築がスタートし、学生募集も開始される。
そして最後に、建築後の実地検分をして問題なしとなってから「認可」となるわけだ。

このように大学の新設認可の手順に使われる言葉は、通常我々に与える印象とかなり異なっている。実質的な「認可」を「申請」と呼び、そして実地検分の「合格」によってはじめて認可証が出て、これを「認可」と呼ぶのだから。

そしてこの「ズレ」こそが今回の問題の真の原因なのではなかったか。
田中文部科学大臣は、ご自身の教育行政のビジョンに基づいて、まだ「認可前」の学校の新設を却下しただけで、まさかそれがすでに実質的に認可を約束した後の突然のちゃぶ台返しになるんだなんて思ってもみなかったに違いない。

政治的な発言は厳に慎みたいが、この騒動が起きて以来「認可前に建物が建っているのはおかしい」などという言葉がよく聞かれるようになったので、黙っていられなくて書いた。

また、補助金が交付されているのだから無為に大学を増やすべきでないという発言もよく聞かれるようになったが、その認識も少し実態と違っているように思う。その根拠として「定員割れになった私大にも学生の数に応じてほぼ一律に配分されており、」などという言説を見かけるが、補助金は「一人あたりいくら」、というようなルール下で運用されているのではなく、教育事業の公的性格に配慮しての事業補助として行われている。だから定員割れの大学は教育事業としての公共性が他よりも劣ると判断して補助金を減額する仕組みを採用していて、その減額幅も2008年から暫時大きくして昨年2011年に最大50%までの減額体制を完成しているのだ。さらに、定員超過をしても補助金はカットされる。設備や教員は基本的に定員分しか用意されていないわけでオーバーすれば必要な教育の品質が保てないと判断されるからだ。また全学年が揃う「完成年度」まで補助金の申請はできない。

で、考えてみると現在すでに大学進学希望者は全員大学に進学できる「全入時代」である。だから大学の数が増えると、それぞれの学校の取り分が減り、定員割れの大学が増え(現在でも40%近くある)、しかも新設大学は卒業生を出すまで補助金を受け取る事は出来ないのだから、大学が増えれば、結果として拠出しなければならない補助金は逆に減るのではないか。

私学助成の要・不要の議論にまで踏み込むとなると、これとはまた別種のもので、公金の使途にまつわる憲法89条解釈とも相まって長く議論されてきた複雑きわまりないテーマなのであって、この問題と絡めてさらにややこしくしてしまうべきでないだろう。

最大の問題は、田中文部科学大臣が理由としておっしゃった「量より質」だろう。今回は新設大学の不認可で、学部増などは認可しているのだから、大学が増えると、学生の質が低下するというテーゼになる。

一般には、一教室あたりの生徒を減らすと「教育の」質は上がりやすい、と考えることができる。 だが、これは今回のケースでは関係ないか、または大学数が増え入学者が分散することで一教室あたりの学生数が減り、教育の質が向上する可能性すらある。

間口を小さくすることで、競争率が上がり、質が上がる(この場合は中等教育をより高度に理解した学生が入学する、という意味だ)ということがあるかもしれない。しかし、今は大学全入時代。入学定員が増えても増えなくても100%の間口は100%のままである。

そして、「質」がこの中等教育の理解度を指しているのだとすると、問題はむしろ中等教育の有り様にある、ということにならないだろうか。遡って初等・中等教育の改革に全力を傾けたいというのであれば大賛成だ。

そもそも「大学は多すぎる」のだろうか。
それを決めるのは何だろう。学生が集まらなければそもそも補助金も出ないのだから、淘汰は起こるべくして起こっている。だから今ある学校は、それぞれに入学した一人ひとりの大学生にとって意味のある選択だったのではないのだろうか。

僕自身は、1985年に長年住んだ釧路を離れて、北海道大学に進学し、札幌に出てきた。
はじめて親元を離れての一人暮らし。
日本中から集まってきたオモロイ同級生たちとの日々。
半分大人だけど半分子どもの都合の良い身分で、バンドをやったり、古本を買いあさって読んだり、学習塾や貸しレコード屋や引越し屋なんかでバイトをした。
それは自由な生活なんだと思っていた。
大学にもクラス担任がいて、大学生になったらこの本を読め、とエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を勧められてしばらくしてから図書館で読んでみた。
はっきりとはわからなかったけど、どうも今自分が楽しんでるこれが本当の自由っていうのとは違うんじゃないかとは感じた。
哲学科に進んではみたが、今学んでるこれが、一体何の役に立つのかはわからなかった。

でも社会に出て、いろんな困難に出会うたびに、それを言語化するためのヒントは大学時代に学んだことの中にあった。
時には解決するためのヒントも。
何より解決策を探るためのスキルは大学時代の同級生との放埒の日々や、サークル活動やバイト先でいろんな人間と出会ったことによって自分の中にすでに蓄積されていた。

そのような機会をより多くの人が与えられているというのは、この国にとってとても有益なことなのではないだろうか。
むしろせっかく与えられている知性のためのチャンスを最大限に発揮してもらうために初等・中等教育を何とかして欲しい。
そうして、はじめて日本の多くの若者が充分な基礎力を持って高等教育機関に進学し、人と出会い、本に出会い、音楽に出会い、映画に出会い、今より豊かな日本を作り出してくれるのではないだろうか。
僕はそう信じたい。

2012年11月5日月曜日

エコノミーとエコロジー:The road to Cafe GIGLIO part-1


人通りのない住宅街の真ん中でカフェなどをやっていると、皆さん不思議がって下さる。

「もともと、この家を持っていて改装したんですか?」
「いいえ、このお店を作るために買った土地です。」

「相当宣伝しないと、お客さんこないでしょ?」
「おかげさまで、お客様のご紹介で、生産できる量に見合ったお客様にお越しいただいています。」

「え、6時までしかやってないんですか。明日はやってますか?ええっ、日曜日が休み?」
「すみません・・・」
「ああそうか、趣味でやってるお店なんですね。」
「・・・・」

相当不思議なのだと思う。
だからなのか、異業種交流会を主宰する先輩や、職業訓練の講演会、あげくに母校の北海道大学で就職講演などにまで呼ばれてカフェの経営についてお話をする機会をいただいたりする。
せっかくまとめたので、そういう時にお話する内容をかいつまんで書いておこう。

この店の着想を抱いたのは20年くらい前のことだけど、その時から「大きい通りの一本内側の路地」で「一階が店舗で二階が住宅」という明確なイメージを 持っていた。実際は二本内側になっちゃったけど、ほぼイメージ通りに店を作った。

経営的な見通しのことは不思議なくらい考えなかった。
決めていたのは夫婦二人だけでやるということ。
だから、商品を作れる量が決まっているわけで、なるべく明快なコンセプトを決めた方がいいと思った。いやそうでなくてもコンセプトは明快な方がいい。誰でも来れる店は、誰も来ない店になるから。

ではなぜ、「家」で、なぜ「夫婦ふたりだけ」で、か。

私の前職は株式会社リクルートで、専門学校の募集広告を作る部門での営業担当だった。お客様である学校の経営者たちは、皆さん「いい学校とは何か」という大きな問いに悩んでいたように思う。だから我々もそれを知ろうと勉強会組織を立ちあげてみんなでやいやい議論した。いい学校とは何かを語ろうとした時、「学校とは何か」を決めておかなければ正しく議論することはできない。生徒一人が教師から何かを「学ぶ」。その学びの集合体が「教室」で、その教室の集合体を「学校」と呼ぶ、とその時は定義した。ははあ、では究極の良い教育とはそれぞれの生徒に合った一対一の教育でしか実現できないね、と気付いた。確かに王族や貴族の教育はそういうスタイルだったはずだ。近代の市民社会を支えるための経済性から生まれた制約が学校という組織形態だったのだ。
逆に言えば、品質を落とすことが利益に繋がる、という構造になってしまう。
なんだかこれは少しおかしいぞ、と思うようになった。

それで、もともと文学好きでしかも専攻は哲学科で夢見がちな性向が強く経済や経営のような実学には興味がわかなかった自分だが、経済や経営が不思議な人間の裏側を表現しているような気がして、俄然調べてみたくなったのだ。

調べごとには本当に便利な時代だ。図書館にこもったりすることもなく、ほどなく経済学=Economicsの語源である「オイコス」という言葉に行き当たった。これはギリシャ語で「家」を表す言葉で、ギリシャ時代すべての事業は「家業」であったことに由来している。
かの時代、家々はそれぞれに家業を営み、その連携によって社会を作り上げていた。
それぞれの家業の売上を最大化するための内的要因を考えるのが「オイコノミー」で、これが経済を表すエコノミーになった。
また、儲かりそうな事業があったとして、その市場に同業者がたくさん現れて共倒れになったりせず、むしろ相互利益が得られるようにコミュニティ内で事業設計していく思想を「オイコロジー」と呼び、これが後に「エコロジー」となる。
脱線するが、これが現在「エコ」と呼ばれているものの語源で、動植物の世界では多様な生物が非常に狭い世界(これが「ニッチ」で、現在ビジネスの世界で狭いマーケティング・ドメインを指す言葉の語源である)で少ない資産を共有するので相互利益を最優先して自らの身体までもデザインしているように見える。その様子が、互恵関係によって成り立つオイコロジーと似ているので、環境科学をエコロジーと呼ぶようになったのである。

家業というキーワードから派生した「経済」という言葉が、内的努力による発展と周囲との互恵関係との両輪で形成されていたという発見に私は夢中になった。これが答えだと思った。
品質を落とすことが利益になる、なんておかしな構造が成立するのは、ギリシャ時代と較べて圧倒的に「ニッチ」が大きくなったからに過ぎない。だから躍起になって「グローバリゼーション」をするのだ。歪まない方がおかしい。
品質を上げてこそ利益が生じるというタイプのビジネスはどうやったらできるのか、一所懸命考えたつもりだが、そんなこと思いつくくらいなら経済学者になれる。そうでない私は、「オイコス」を再現してみよう、と思い立った。コミュニティの希薄になった現代のオイコスのカタチを模索しようと決めた。

で、家を店舗にして夫婦だけで経営する店を作ろうと計画を始めた。
家を作ってくださったデザイナーさんにも、こういった趣旨についてお話をして設計していただいた。そのついでに、現代の経済が如何に宿命的に歪んでいるかをお話して、こんなシステム早晩壊れちゃいますよ、と言っていたらリーマン・ショックが起きた。言ってたとおりになりましたね、と言われた。ほんのちょっとだけ責任が重くなったような気がした。
もう開店して6年になるが、幸いスタートから安定した経営ができている。しかし、新しい時代の「オイコス」になれているかは心もとない。ますます、褌を締めて頑張って行きたい。

2012年10月18日木曜日

BRUTUSの「おいしいコーヒー進化論」について

ブルータスの最新号がコーヒー特集だよ、と友人に教えてもらってコンビニに走った。
若い人達が出した新しいスタイルのお店が、どれも付加価値には背を向けてコーヒーの味に主眼を置いて事業をデザインしていることに好感を持つ。
少し前のカフェブームは、主価値がからっぽで付加価値しかないようなお店が多かったし、事実三年以上続いた人気店は殆ど無かった。確かにコーヒーの業界は進化しているようだ。

この特集では、コーヒーの新潮流に北欧風を据えて、「浅煎り」をキーワードとしている。
やれやれまた「浅煎り」か。

先日もNHKの朝イチ!で「女子のためのコーヒー学」というのをやっていて、コーヒーにはポリフェノールが多く含まれていて美肌効果があるというのがメインコンテンツ。ブルータスの特集にも出ていた女性バリスタが「浅煎り」にするとポリフェノールが失われなくていいんですよ、と解説していた。

数年前テレビ番組で、浅煎りコーヒーには満腹中枢を刺激する物質が含まれているのでダイエットに効くなどという妄言の類が出た。
その時名前の上がったのがマンデリンだったので、ウチみたいなところにも、最も浅煎りに合わないマンデリンの浅煎りを買いに来る人が数人だがいらしたことがあった。
これでまた、珈琲店に浅煎りコーヒーを求めて人が動くな、と思っていたが、今回のブルータスの特集でこの流れは決定的になるだろう。


カフェジリオを開店して以来、本当に多くの方にコーヒーの好みをお聞きしたが、その返答の99%が「酸味は苦手なんです」だった。
浅煎りコーヒーというのは酸っぱいコーヒーの事なのである。

しかも、コーヒーの味を作り出す800種とも言われる香味成分のほとんどは深煎りに近い状態にならないと生成されない。
さらに抽出時に発生する炭酸ガスが充分出ないため、フィルター内で粉が膨らまず、充分にお湯が回らないため、味を引き出すことそのものが難しくなってしまう。
(この点についてはブルータスにも書かれていたが、その理由を「浅煎りは水分が残っているため、粉が下に沈むから」としている。いかに浅煎りでも焙煎終了の豆温は200℃以下ということは殆ど無いはずで、とすれば水分が残っているという説明にはちょっと無理があるように思う。やはり炭酸ガスの多寡が原因と考えるのが自然だろう。)

北欧では確かに浅煎りがメインストリームのようで、このような抽出の難しい浅煎り豆から味を引き出すために、空気圧をかけて強制的に抽出する「エアロプレス」という器具があるのだそうだ。

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分類で言えば、フレンチプレスやサイフォンといった浸漬法系統の抽出法の発展形ということになるだろう。
抽出時に出る油脂分の香味を余さず抽出するかわりに、灰汁成分もコーヒー液に含めてしまう方法だ。

ブルータスの特集は本当にコーヒーのことをよく知っている人が監修しているようで、透過法の代表格ペーパードリップを擬似的に浸漬法の器具に変えてしまう方法まで紙面で実験している。
お湯を注いだ後「撹拌する」という方法だ。
こうすると、比重の軽い灰汁成分を上に残してわざわざ分離する透過法抽出に、強制的に灰汁成分をコーヒー液に戻すことになる。
この本来無意味で逆説的な方法をわざわざ掲載しているところに今回の特集の強い意志と徹底度が見て取れる。

しかし、これらの器具はその意味で味の出にくい浅煎り豆からなるべく味を引き出そうという目的に向いていて、しかもコーヒー抽出に向かない硬水しかないために、多くの方がミルクを入れる欧米のユーザー向きの商品だと言えるだろう。

日本でコーヒーの味は、日本人の繊細な味覚や素晴らしい水質などを背景に独自の進化を遂げた。
ドリップの時発生する灰汁が、温度が高すぎると多く出てしまうことや、時間的には2分30秒あたりから多くなってくることなどを突き止めて、これらを分離してドリップアウトするために優れた器具を作り技術を磨いてきたのである。
その味が認められてきたからこそ、ハリオのV60が今や世界中で使われているのではないか。

食文化の一部である飲料の伝統というものは一朝一夕ではできないものだ。
コーヒーの仕事をしていて思うのは、この国の珈琲文化はスターバックスという黒船をジャンプボードにして、やっと再スタートを切ったばかりではあるが、豆本来の味を最大限引き出すことを主眼に置くという、なかなか筋の良い方向に動き出しているということである。
できることなら浮薄な流行の中に取り込まれなければいいのだが、と願うばかりだ。


2012年10月11日木曜日

タンノイからかすかに流れる音楽に寄り添って。

カフェジリオの内装をデザインするとき、デザイナーさんにお願いしたことがふたつ。

ケーキはヨーロッパの長い歴史が磨いてきたものであるから、全体のテイストはヨーロッパ的であって欲しいということと、僕の大好きなこのイギリスのスピーカーが似合うものにして欲しいということ。





音楽に包まれて、これからの人生を生きていきたい。
それが会社員を辞めてこのカフェを開くときの大きな希望だった。

だから、お店に置くオーディオはそれなりに真剣に検討した。
しかし音楽好きではあっても、銀座にあった勤め先に近いところに住みたくて都心の小さなマンションに住んでいたから、何百万もするオーディオを買ったって宝の持ち腐れになると思い、でも調べたら絶対欲しくなるのだからと、なるべく目をそむけて生きてきたのだ。

何を買ったらいいのかわからなかった僕は、会社員時代のオーディオ好きの先輩にメールをして教えを請うた。
返信のメールには、こういうセットを買うと「わかってる」って感じのシステムになるよ、僕のアルテックのような音は出ないと思うけど、と書いてあって、教えて下さったセットも実際に見て聴いてなるほどだったのだけど、そのアルテックってどんななのー、と気になって気になって仕方なかった。

そして開店前に全国の有名喫茶店の視察の旅をしていた時、名古屋のコーヒー・カジタというお店で小さな音量で、しかし確かに響いてくる軽やかな音を奏でている小さなアルテックに出会った。それは本当にいい音だったが、先輩がなぜいい音なのに薦めてくれなかったかもよくわかった。

アルテックは映画館のサウンドシステムに使われたスピーカーなので、一般に大型機が多い。
しかしその音に魅せられ自宅で使いたいという時に日本家屋はあまりに狭い。
製品ラインナップに民生用のものもあるのだが、それでもデカイ。
SANTANAという好適なサイズのものもあるが、なかなか状態の良い物は市場に出てこないのだ。それで自分で箱を設計して発注して、という作業をしないと本当に良い音でアルテックを鳴らすことはできないのだ。件のカジタさんのアルテックも品の良い自作箱だったのだと思う。

それでアルテックを諦めて、まあそれならJBLかなあと思ったのだが、どれを聴いても新しいモデルは僕が通常聴いている音量では、なんだかモコモコした音で、お店の人にそういうとボリュームをグイッと上げて、ほおらいい音でしょう、と言う。
そうじゃないんだけどな、と思いながらオーディオの本なんかを買い集めて読んでいたら、やたらと「五味康祐」さんという作家の名前が出てくる。日本のオーディオシーンに大きな影響を与えた人らしい。調べてみると、タンノイ・オートグラフというスピーカーをこよなく愛し、多くの機器を遍歴したあげくに、最終的にMcIntoshのC22プリアンプとMC275パワーアンプでドライブしたという。

なるほど真空管アンプってカッコいいね、でも面倒そう。
それにタンノイってなんか古い感じ、などと思いながら全国の喫茶店巡りを続けていた。

最後に開店する予定の札幌のお店を回り始めて、西11丁目駅にあるBasicというお店に入ってカウンターに座ると正面にかの有名なタンノイのアーデンが!

中学生の時エアチェックが好きでFMレコパルのような雑誌をよく読んでいて名前だけはよく見かけた。でも音はちょっと冴えないなあ、って感じだった。

ふと横を見ると見たことのない小型のブックシェルフが置いてあり、見たところタンノイの製品のようだった。バッフルがコルク貼りでカッコいい。
お願いして席を移らせてもらい、そのスピーカーの横で音を聴いた。
これが、素晴らしい音だったのだ。

自然に胸に入り込んでくる音楽。何より上品で、人を威嚇しない低音。
これだ、これが僕の求めている音だと思ってタンノイの文字の下に書かれていたモデル名と思われる文字をメモした。

Greenwich

なんて読むんだ?グリーン・ウィッチ?緑の魔女?うん、なんかカッコいいじゃないか。と思ってググると、あ、グリニッヂね、なるほど。

で当然スピーカーはとっくにディスコンで、中古を探すことになる。
ネットで探せる大きな店には在庫はないみたい。ヤフオクに登録してしばらく放っておいて、タンノイが入手できるなら五味さんみたいにMcIntoshの真空管アンプってのもいいかな、なんて思ったのが運の尽きでこっちは探せばいくらでも出物があって秋葉原の中古店でC22プリの程度のいいのは高いからかえって新しいC2200の方がいいよ。今ちょうど知り合いから預かってるのがあって44万だけど、どう?という甘い言葉にまんまと乗って買ってしまった。

MC275も復刻版のデッドストックがあって、45万。
先にアンプが揃ってしまった。ちょうどヤフオクでグリニッヂの出品があり、運良く落札することができたので、このセットで開店する運びとなった。




ところが、開店してみると我々のカフェジリオの商品はやはりケーキがメインで、宮の森という場所柄もあってか静かに談笑されるお客様が多い。ボリューム下げてくださらない?と言われたことも二度や三度ではない。

もともとあまり大きな音は好みでない方ではあるが、お客様にとっては音楽は隣席とお話の音が被らないようにするためのカーテンのようなものなのだと悟るのにそれほど時間が要らなかった。

そうこうしているうちに長時間点きっぱなしの真空管が悲鳴をあげ始め交換することに。
全部でエントリークラスのアンプが買えてしまうような金額がかかった。ついでプリアンプのミュート・コンデンサが誤動作を起こして修理が必要になり、ここを潮時とプライベートで使っていたDENON PMA1500RIIという中級アンプをお店に、McIntoshの真空管ペアを自室に招き入れた。


DENONの音が好きだ。

けっこうきちんと視聴してもうこれしかないと思って買ったものばかりだ。だから一応気に入ってはいるが、これを目当てにお客様がいらっしゃるようなシステムではないし、なにしろ音量が小さい。あるオーディオ・ファイルのお客様は、「あ、今日は音楽かけてないんですか」とおっしゃったくらいの音量だ。

最初の目論見とはずいぶん違ってしまったが、今はこれでよかったのではないかと思っている。タンノイから流れるかすかな音楽に寄り添って、美味しいケーキと美味しいコーヒーのお店で頑張れるところまで頑張っていこうと思う。

ところで、以前JUGEMブログサービスで書いていたCafe GIGLIO Blogには、プライベートなオーディオライフについてもずいぶんエントリをアップしたので、お店でその音楽が聴けるのかと思っていらっしゃるお客様も多かったようだ。誤解を招く運営をして誠に申し訳ありません。今回のブログサービスの引越しに合わせて音楽系のブログをGirasole Records Blogとして独立させました。こちらもぜひご贔屓に。

2012年10月9日火曜日

ハンドピックは必要か

今朝はパプア・ニューギニアのコーヒーを焙煎した。焼きあがった豆が冷却器の中にあけられ風を受けながらぐるぐる回っている。その間中じっと目を凝らして焼き色や形状に違和感がある豆を探している。「欠点豆」と言ってカビが生えているものや生育不良のものなど様々だが味にも問題がある場合が多く、きちんと取り除かないとどれだけ上手に焙煎しても台無しになってしまう。



左にあるカタチの悪いふたつの豆が欠点豆。右側のカッコよく膨らんだ豆と較べると一目瞭然だ。焙煎してからだと差が明確になるため効率がいいのだ。今回1kgの焙煎で欠点豆はこのふたつだけだった。

よく、焙煎の本などを読んだり先輩焙煎士さんのお話を伺うと、焙煎前に皿に薄く生豆(なままめ、ですよ)をひいて欠点豆を手で取り除くハンドピックという作業がコーヒーの味を守るためにとても重要だという話を聞く。多い時は20%~30%も混じっているからねえ、と言う。20%~30%も混じっているのなら焼く前に取り除かないと、一回に焼ける量が決まっている以上非効率になる。確かに重要な作業だ。

しかし僕の三番目のコーヒーのお師匠さんは、「最初からそういう豆を買ってはいけないのだ。」と言う。
生産に気を使って、ブランドを目指している生産者は出荷前のハンドピックも徹底してやっているから、欠点豆などほとんど入っていないはずだ。入っていても小粒なのか生育不良なのか区別がつかないケースくらいだろう、と。

で、お師匠さんの薦めて下った生豆屋さんから、教えていただいたとおりに「プレミアム・アイテム」と呼ばれるリストの中からいくつか選んで焙煎してみた。本当に一回の焙煎で数えるほどの欠点豆しか入っていない。最後に冷却の時気をつけて焼いてはじめてわかる欠点豆を手で取り除けばいい。
確かにこういった良質の豆は価格も高い。札幌で自家焙煎をやっている喫茶店の店主さんとお話していて、そんな高い店から取ってるんですか、と驚かれることも多い。しかし、欠点豆のことを別にしてもこういう豆は味もいいのだ。逆に言えば出荷時のハンドピックに手をかけられない安価な豆は生産に関しても然りで味もそれなりだろう。出来上がりの味のことを考えて時間と手間をかけてハンドピックをしているのだとすれば、これは本末転倒ではないだろうか。
以前、「おいしい珈琲の真実」という映画で、エチオピアのイルガチェフェ・コーヒーのハンドピックの様子を観たが、整然として清潔な広い作業場でたくさんの女性が黙々と欠点豆をより分けていた。ああこれがあの綺麗な味を作っているのか、と感動したのを覚えている。我々が少しだけ高い金額を投じて、高品質のコーヒーを選ぶことが彼らの生活に還元されているのだなあ、と感じて、それ以来、多少高くても高品質のコーヒーを使い続けようと決めて、そうしている。

美味しい珈琲を作る第一歩は、まず美味しい生豆を入手することから始まると思う。そして僕は手をかけて磨き上げられた生豆を、精一杯丁寧に燒くことに専心しようと思う。


2012年10月8日月曜日

珈琲豆売り場のマイナーチェンジ

カフェジリオの主力商品はなんといっても昭和の初めから洋菓子の普及に大きな役割を果たして数年前に惜しまれながら閉店した老舗「ヒサモト」の流れを唯一正統に引き継いでいるケーキだと思う。
時折東京からも往時のファンがいらっしゃることがある。

この店を開くときに、飲料を担当することにした私は、だからそのケーキをもっとも引き立てるコーヒーを作ろうと、一年にわたって都合三人のお師匠さんについて修行をし、その後自分の釜を入手して焙煎を研究した。

最後のお師匠さんはコーヒーのお店はお客さんがつくのに三年はかかるからあせらずに頑張んなさい、とおっしゃっておられたが、スロースターターの私のこと、六年目の今になってやっと固定のお客さんで回るようになってきたような気がする。

コーヒーに関しての見解をようやく重い腰をあげて文章にまとめた「おいしいコーヒーのいれ方」という連載企画もいったん終えることが出来たので、それに応じてお店の方のディスプレイもこの数日かけてマイナーチェンジを行った。


まずはコーヒー豆のサインに、「鮮度」の重要性を掲げた。サインにも書いてあるが、「本日焙煎」と「飲みごろ(焙煎二日目)のタグを珈琲豆に付けることにした。


好みの味に加えて、鮮度を基準に持ち込むことで今まで飲まなかったようなコーヒーに巡りあう契機になればいいな、と思っている。

器具に関しては、あまり積極的には販売してこなかったが、少し全体のレイアウトを見直してスペースを拡張して、さらにコーノ式の利点についても掲示することにした。



ブログ記事も参考にしていただいて、ご家庭でおいしいコーヒーを飲んでいただけるといいなと思う。


2012年10月4日木曜日

おいしいコーヒーのいれ方 part-7 最終回・サイフォンとフレンチプレス

 僕が最初に本格的に師事したお師匠さんは珈琲サイフォン株式会社の社長なわけだから、当然サイフォンの手ほどきを受けている。
これが本家コーノのサイフォンだ。


この会社の製品は、漢の珈琲って感じでいちいちかっこいいのである。それに、コーノではすでにろ過にネルを使っていない。サイフォン用のペーパーを開発して使い捨てとしたのだ。ただでさえ、面倒なサイフォンの儀式のひとつが大幅に簡略されているわけで、この一点だけでも、現在他社のサイフォンをお使いの方は乗り換えを検討する価値があると思う。例によってペーパーを入手しにくいという欠点はあるのだが。

さてサイフォンで使う豆の挽目についてだが、少し細めという話をよく聞くが、本家コーノではそんなことはまったく言っていない。ドリップと同じ中挽きを使っている。サイフォンは浸漬法であり、湯の浸透力を使って抽出する。細挽きにするのはエスプレッソのような外部から圧力をかけて抽出する場合に使う方法だ。エスプレッソでは内部で9気圧もの圧力をかけて短時間で強く抽出するため細孔内の800種類の化学物質を露出させておくぐらいの細かさにしておく必要があるからなのだ。

粉の量もドリップと同じ一人分12g。ドリップと違って一人分で入れても四人分で入れても味は変わらない。そして、ドリップの時いい忘れたことだが、ドリップもサイフォンも2人分は24gでいいのだが、人数が増えて例えば4人分になったら40gで充分入る。そしてサイフォンではきっちり40gにしたほうがいい。サイフォンはいろんな場面で厳密さが要求される入れ方なのだ。

後は加熱器に点火する前にかならずフラスコの下部に水がついていないようにどんな場合も一回かならず乾いた布で拭いて欲しい。一滴でも水滴がついた状態で点火するとかなり高い確率でフラスコが割れる。そうなると結構な惨事になるのでご注意いただきたい。

サイフォンには構造的に大きな欠陥があって、それは短時間ではあっても珈琲豆を100度のお湯で煮沸する、ということである。煮沸させすぎれば灰汁まみれの珈琲になってしまう。だから、この煮沸の時間を厳密に守る必要があるのである。
そしてその時間は、二人分で50秒。四人用以上で40秒。
しかしこの中には粉をかき混ぜる時間が入っているため、実際の運用ではお湯が上がってきてポコッと表面が割れたら素早く竹べらでかき混ぜて(その時ぐるぐる回してはいけない。縦に切り込むように混ぜるのだ)そこから二人分40秒、四人分30秒と測るのがやりやすいと思う。

サイフォンの良い所は数値を守って入れれば必ず同じ味に仕上がることだ。ドリップは湯の入れ加減で毎回味が変わる。そこが面白いと僕などは思うのだが。


次に、フレンチプレスについて。

これがたぶん世界で最も多く使われているボダムのフレンチプレス。「紅茶に使うやつですね。珈琲も入れられるんですか」と言われることがよくあるが、これは珈琲のために作られた器具で、もちろん紅茶もいれられないこともないが、対流が起きにくい構造になっているからできるだけ使わないほうがいいだろう。

まず、粉は荒挽き。
金属製のメッシュでフィルタリングするので、詰まらないようにしたいのだ。

この器具についているスクープは7g。ドリップやサイフォンのように杯数が増えた時に粉の量を減らす必要はないと思う。ドリップと同じように90度くらいの湯を入れる。
湯を入れたら竹べらでかき混ぜる。(のに、なぜかこの器具にはかき混ぜる道具がついていない。不思議だ。)サイフォンのようにぐるぐる回さずに縦に切り込むように混ぜて欲しい。
さて、この器具も浸漬法なので時間が重要だ。
4分から4分半かかる。これ、けっこう長い。何故かというと荒挽きにしているから。時間をかけないと抽出できないのだ。珈琲は湯に漬けてから1分半くらいで急速に灰汁を生成する。私がこの抽出法を推奨しない理由がここにある。
プレスを愛好する人の主な理由は金属製のメッシュが、ドリップでは紙に吸われてしまう脂分をきちんとカップに出してくれる、というものだが、そのメッシュが荒挽きを要求し、長時間の浸漬を強いて、余計な成分を生成しているのである。
もうひとつ、これはサイフォンにも共通するのだが、飲んだ後の器具の掃除が大変さだ。抽出後、ガラス容器にべったりはりついた粉を流しに捨てるのも手間だし、当然油脂分をたっぷり流したそのあとの排水口の掃除はちょっと想像したくない。
もちろん、どの方法も一長一短あり、どちらを選ぶかは味次第ではあるし、現在使っている器具を使い込むことで上手に入れられるようになるというのも大事なことだと思う。

さてここまで7回にわたって、珈琲の入れ方について書き連ねてきた。最後までお付き合いいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
ここで一旦シリーズを閉じて、また機会を見て、珈琲の歴史や薀蓄系小話などを書いていきたい。
それぞれのご家庭に美味しい珈琲の香りが満ち、幸せな時間を彩ってくれることを心からお祈りします。

-end-

おいしいコーヒーのいれ方 part-6 続・コーノ式の正しい使い方

さあ、お湯と粉は準備ができた。さっそく入れてみよう。フィルタにペーパーをセットしてその中に入れる。そしてここが最初のポイントだが、粉を出来るだけ平らにしよう。左右に、えっそんなに?というくらい強く速く振ると平らになる。これはとても大事なので何度も練習しよう 


平らになったら、お湯を注ぐ。ここで第二のポイントだが、正確に真ん中にだけ、あくまでも「滴(しずく)」をぽたぽたたらすのだ。そうすると、粉が新鮮なものであれば、炭酸ガスが発生し膨らんでくる。



真ん中にハンバーグみたいなのが乗っているのがみえるだろうか。これが外周部に達するまでポットを回さずにただひたすらに真ん中にポタポタやり続ける。と、こうなる。


外周部に達した時、コーヒーの最初の一滴がぽとりと落ちるのが理想。均等に広がらないと先に外側を伝って薄い液が落ちてしまう。あくまでも中心部の「長い」距離を使ってコーヒーのエキス分を抽出したいのだ。だから厳密に表面を平らにしておく必要があったというわけ。またこの膨らみは湯をその全体に抱え込んでじっくりフィルタ内の粉全体に湯を行き渡らせる役割を担っており、その意味でも豆の鮮度や、挽きたてであることが重要なのだ。

さて、この時、一般に言われているような「蒸らし」は絶対にしてはいけない。一度湯に漬けた粉を放置しておくのは灰汁成分の発生を助長するので厳禁だ。500円玉くらいの大きさを目処に中心から「の」の字を書くようにポットを回しながらお湯を入れていく。40%くらいの量まではゆっくりと、それ以降は少しお湯を多めにして入れていく。湯面が、フィルタの一番上から下に下がらないように、常にお湯がいっぱいフィルタに入ったままにしておくのだ。結果的に、スピードを変化させながら間断なく湯を注ぎ続けることになる。この加減でも味が変わっていく。最後までゆっくり入れていると、苦味の勝った味になる。一度にたくさん入れると味が薄まる。このあたりは試行錯誤でやっていくしかないだろう。

そして欲しい量が抽出できたら、湯がいっぱい入った状態で外す。



塾ではカップを用意しておいてそこに移動させたが、サーバーを持って流しの上で外してもいいだろう。

しばらくすると、湯が全部おちて粉が姿を現す。



このようにきれいなスリコギ状になれば成功。ゆっくり入れすぎると平らになってしまい、美味しい部分が抽出不足で苦味の勝った味になってしまう。真ん中に白く見えているのが灰汁だ。これをサーバーに落とさないために間断なく湯を注いできたのだ。



これでコーノ式コーヒーが完成した。
カリタもメリタもこのやり方で今までよりも純度の高いコーヒーが抽出できると思う。ドリップ系の器具をお持ちの方はぜひためしてみていただきたい。

次回はドリップ以外ではメジャーなサイフォンとフレンチプレスについて(ごく)簡単に(ではあるが)ご説明したいと思う。

おいしいコーヒーのいれ方 part-5 コーノ式の正しい使い方

 さていよいよ実際にコーヒーを入れていこう。
前述したようにいろんな入れ方があるが、手始めにオススメした「コーノ式」を取り上げる。
会社を辞めてコーヒー修行をはじめて最初に本格的な指導を受けたのが、珈琲サイフォン株式会社の河野社長だった。コーノ式ドリッパーは現在の河野社長のお父様が作ったもので、社長は子供の頃から家でコーノ式ドリッパーを使って珈琲を入れていたそうだ。なにしろキャリアが違う。社長が珈琲を入れる手つきはまるで魔法かなにかを見ているようで実に美しい。出来上がったコーヒーも夢のように美味しい。しかし、珈琲サイフォン社では喫茶店は経営していないので、コーノ珈琲塾に入塾した者でないと、このおそらく日本で一番美味いコーヒーは飲めない。なんと勿体なくも貴重な体験であったことか。そしてこの社長の入れ方は特殊すぎて誰にも真似ができない。みんな真似しようとして失敗するが、社長はそれを見て「どうしてそうなっちゃうのかなあ」とおっしゃるだけ。たぶん自身には自然すぎて本当にどうして出来ないのかわからないのだ。
そこでは完全に入れ方をマスター出来なかった私は、そのドリッパーを作った先代に師事したという方が主宰するコーヒー研究会に入った。その方は見事にコーノ式の手順を言語化しており予想通り独自の手順を加えて補強していた。やっと再現可能な手順に出会ったので、これを一ヶ月ほど反復訓練して私の抽出法とした。今日からお話するのはこの手順である。

まず珈琲豆を挽こう。
もちろんお店で挽いてもらったっていいのだが、豆は挽くと表面積が800倍に増加する。つまり800倍のスピードで酸化するということだ。豆のままの方が断然保存性が高いのだ。酸化すると味が悪くなるのはもちろんだが、湯を注いだ時の炭酸ガスの発生量がガクッと落ちて、ガスで膨らんだ粉の中をお湯を回して抽出することが出来なくなり不利なのだ。
ミルを買うというのは、美味しい珈琲を飲むための投資としてはかなりプライオリティが高いと私は思う。
その際はいろいろ考えずに「カリタ・ナイスカット・ミル」という電動ミルを買おう。操作が簡便であること、性能、メンテナンス・フリーである点、どの点も申し分ない。一生モノであることを考えると価格も高くないと思う。なにしろ日常の道具なのだ。使い続けられるものを買うのが最も安いはずだ。
それにこの製品は、皆さんの粉に対しての最大の疑問、「どのくらいの挽目がいいの」に明快な回答をくれる。手動のミルや、臼の中で羽が回るようなタイプの電動ミルはどのくらいの時間刃を回すのかで細かさが決まるが、ナイスカットミルでは自動でダイヤルで指定した挽目にしてくれるのだ。
挽目で味はかなり変わる。だからこそ、先達が長い時間をかけて探り当てた適切な挽目である「中挽き」からきちんとした味を引き出す技術を習得すべきで最初から、ちょっと細挽きとかちょっと荒挽きとか、挽目を変えることで好みの味を探るのはやめておいた方がいいと思う。

轢いた粉

これが中挽きの粉だ。
さて、珈琲に関心の強い方はだいたい当店にいらっしゃると抽出手順が見えるカウンターにお座りになって手元をじっと見ておられる。そして多くの方は最初にこう質問されるのだ。
「一人分は何グラムですか?」と。
まず、ペーパードリップでは「一人分」で入れてはいけない、と申し上げておきたい。透過法は、重力の力を使って味を引き出す。だから縦方向の「長さ」が必要なのである。特に透過の合理性を追求して円錐を採用したコーノ式ではとくにその傾向が顕著で、一人分の粉では十分な味が出てくれない。二人分から入れましょう。
で、何グラムかだが、これは「器具の指示に従ってください」が答え。

写真を見て欲しい。
スクープ

代表的な珈琲器具に付属してくるスクープ(はい、そういう名前なのです)だが、それぞれグラム数が違う。手元になかったがメリタ式とフレンチプレス(浸漬法)は7g、カリタは10g、コーノとハリオは12gとなっている。
と、お答えすると、うちの器具にはスクープっていうのは付いてなかったなあ、というお客様が驚くほど多い。そういう志の低い器具は買い換えるべきではないか、と申し上げないが思ってしまう。

粉の用意と並行してお湯を沸かす。
必要な温度は90度以上で、沸騰するほど高温でないほうがいいことはすでに書いた。大事なことなので繰り返すが、油脂を加熱して乳化現象を起こし味の活性を図る手法なのだ。ボンゴレ・ビアンコの豊かなあさりの風味を引き出す手法と同じ。私は開店して6年目に至る現在でも温度計を使っている。ご家庭ではやかんの底からでてくる泡が走るくらいのスピードでタタタタと出てきたら90度と覚えておくといいだろう。

温度計

むろん温度計を使えるならそれに越したことはない。

さてそれをコーヒーポットに移す。

ポットお湯八分目

この時、何人分入れる場合でもポットの八分目までお湯を満たして欲しい。ポットを大きく傾けて湯を注ぐと水量のコントロールが難しいからだ。後述するが、お湯はポタポタと雫のカタチで注がなければならないから。

と、準備が整ったところで、以下次回とさせていただきたい。
いよいよ明日からフィルタに湯を注いでいきます。



おいしいコーヒーのいれ方 part-4 続・コーヒーの名前

 前回はついアフリカの豆の話で一回分まるまる使ってしまった。急ぎ足で続きを話そう。

世界で一番コーヒー豆をたくさん作っている国は「ブラジル」である。アメリカという大消費地のお膝元で、国をあげて良質なコーヒーの生産を目指している。国立の「クラシフィカドール」という珈琲鑑定士の学校があったり、「カップ・オブ・エクセレンス」という世界的に注目される品評会も運営している。この巨大になったブラジルのコーヒー産業も、もとはブラジル政府の政策に共感した日本の移民団が大量に移民して開墾した畑が元になっていて、この時の移民団を派遣した水野さんという方に感謝の意を表して、長い間ブラジル政府は無償で大量のコーヒー豆を日本に提供してくれていて、その時水野さんが作ったのが「カフェ・パウリスタ」で・・・なんて、話していると今日はブラジルで終わってしまう。味の話をしよう。
ブラジルに限らず、中南部のコーヒー豆はその地質を反映して、表皮部分が柔らかく内部まで火が通りやすいため、うっかり焼くと苦くなる傾向がある。それでブラジル=苦いコーヒーというイメージになるのだが、皮が薄いので雑味の少ない味で、はっきりと苦さが伝わってくるのも、こういったイメージ醸成に一役買っている。ブラジルでは、コーヒーの生産地では珍しく水を豊富に使えるので水洗式という方法で実を剥がすので、この意味でも味がすっきりしている。世界でも珍しく、手間のかかる樹上で完熟してから収穫する農法を採用している農家が多く、独特の甘さがあるため私はこの農法の農園のものだけを扱うようにしている。

中南米はアメリカという大市場に製品を供給しやすい地勢上の利点を生かした大産地が多くあるが、ブラジルについで有名なのが、「コロンビア」だ。かつて高品質といえばコロンビアという時代があった。現在は不安定な政情の影響もあり、よいコーヒーを作る農家が減ったように思うが、あの腰の座った深みのある苦いコーヒーはやはりコロンビアの豆でしか作り出せない。
少し特殊な味わいを持つのが「グァテマラ」。火山灰性の強い土壌で中南部らしい苦味の後に仄かな酸味を感じさせる。味わいが濃く、家庭でも簡単に十分強い味が引き出せるのでストレートコーヒーの中では人気のある豆だ。

他にもキューバやコスタリカなどご紹介したい豆がたくさんあるのだが、おいおいご説明していきたい。

最後にアジアのコーヒーについて書いて豆編を終わりにしようと思う。
アジアのコーヒーの代表格は何と言っても「マンデリン」だろう。インドネシアのスマトラ島で産出するコーヒーを一般にこう呼んでいる。大英帝国と東インド会社をめぐる欧州列強の思惑が入り乱れて、植民地政策を大きく左右したマンデリン誕生物語もすっごく面白いのだが、これも書いている場合ではない。残念だ。ともあれ彼らのゴタゴタのお陰で世界を代表する高品質コーヒーがアジアから生まれたわけだが、秘密主義が貫かれていて生産の実態は実はあまり詳らかになっていない。輸入元にも農園の場所さえも明らかにされていないものがあると聞いた。近年インドネシアは新興の経済大国となり産業構造もずいぶん、変わってきたのではないだろうか。年々値段は上がっているが品質は落ちてきているように感じる。水洗式と天日式のハイブリッド方式で独特の発酵臭を纏ったマンデリンの伝統を絶やしてほしくないと願っている。
スマトラ島に隣接するスラウェシ島のコーヒーが「ママサ・カロシ」だ。日本ではトアルコ・トラジャとして知られている。今やこちらの方が本家よりもマンデリンらしい味を残している。生産量が極少なので高値だが納得できる風格ある味だ。
これらインドネシアに連なる小さい島々には、良質なコーヒーを算出する国がたくさんある。特に「東ティモール」と「バリ」、そして「パプア・ニューギニア」のコーヒーはどれもバランスの良い上品なコーヒーで、アフリカの高品質コーヒーから激しさを取り去ったような優しい味がする。ジャマイカのブルーマウンテンやハワイ・コナのような手触りといえばイメージできるだろうか。
そのジャマイカのブルーマウンテンだが、まあこれは文句なく旨いコーヒーではあるが、あの値段だからそりゃそうだろうとしか言えない。コーヒーを日常の楽しみにして欲しい当店としてはちょっと扱いにくいシロモノだ。ちなみに品種はエチオピアの在来種と同じもので外見も焙煎時の振る舞いもよく似ている。
ハワイコナは、そういう意味ではコロンビアのコーヒーにそっくりな外見と振る舞いで、それよりもずっと洗練された味がするコーヒーだ。だがまあやはりこれも、そういう値段だよね、としか言えないものではある。
手頃な価格で、うまく焼けばそれ以上の味わいを引き出せる可能性が、これらのアジア小国のコーヒーたちは持っているような気がする。心して焼いてあげたい。

さて、多少(本当はかなり)心残りはあるが、駆け足で世界のコーヒーについて大きく3つのグループに分けてお話してきた。このだいたいの分類を念頭においてコーヒーの飲み比べを試してみて欲しい。自分好みの味がきっと見つけられると思う。

さて次回以降、実際のコーヒーの抽出技術について、すぐに役に立つ「コツ」を中心に書き進めていきたいと思っている。引き続きよろしくお付き合いください。

おいしいコーヒーのいれ方 part-3 コーヒーの名前

さて前回は、どんなお店で珈琲豆を調達すべきかについて書いた。

で、さっそく自家焙煎のお店に行ってみると「キリマンジャロ」とか「ブラジル」とか「ブルーマウンテン」とか「ハワイコナ」とか・・いろんな「名前」の珈琲豆が並んでいる。

味はどんなかいなと説明を読むと、ふむ「爽やかな酸味」か・・酸っぱいのは嫌だな。
どれ「コクのある苦味」か・・何かいろいろ書いてあるようだが、よくわからない。

仕方がないのでFacebookでトモダチがオススメしていた豆を買ってみるか、てな感じになってしまいがちではないだろうか。
今回は、珈琲豆の名前を見てコーヒーの味を判断するヒントについて書いてみたい。


さて皆さんは「コーヒーノキ」にどのくらいの品種があるかご存知だろうか。お店で売っている豆があれだけの種類あるのだから、相当あるだろうと思われるだろうか。
実は三種類しかない。

アラビカ種、カネフォーラ種、リベリカ種の三種類だ。

しかもこのうち飲用に供されているのはほぼアラビカ種しかない。
一部、カネフォーラ種の亜種「ロブスタ種」がエスプレッソ用や工業コーヒー(インスタントなど)に使用されている。

このアラビカ種はエチオピアのアビシニア高原にしか自生していなかったもので、古くから現地人によって様々な用途に使われていた。
イスラム教で霊力のある(眠くならないから徹夜でお祈りできる)飲料として使われるようになって秘薬とされたが、あまりにも美味いので自然と広まっていった。

キリスト教ではもちろん敵性の飲料ということで禁止されていたが、ローマ教皇クレメンス8世が、これまたあまりにも美味いのでコーヒーに「洗礼」を与え、教徒の飲用を許したことで世界中に広まって現在に至る。

この広まり方に面白すぎるドラマが沢山あるのだが、「おいしいコーヒーのいれ方」とは直接の関係がないので今回は(とても)残念だが割愛させていただく。


こうして広がったアラビカ種だが栽培は難しく、北緯25度から南緯25度までの標高1500m以上の高地でなければうまく栽培できない。
逆にいえばこの条件を満たすほとんどの国で現在は栽培されている。

そして世界各地に産地を広げたコーヒーは、その土地の「土」と近接する他の植物の植生に影響を受けて、各地でその形質を変化させていった。
現在確認されているだけで20種類以上の亜種があるし、耐病性や収穫性の高い人工的に作られた亜種もある。

事実上品種はアラビカ一種しかなので、この亜種のことを便宜上コーヒーの世界では「品種」と呼んでいるわけだが、通常品種の違いで味に大きな違いは生まれない。エチオピアのティピカ種を東ティモールで育てても同じ味にはならないのだ。むしろ育った土で味は決まる。エチオピアのコーヒーとブラジルのコーヒーは明らかに味が違う。土で決まるのだから重要なのは「国境」ではない。大まかにコーヒーの味を決める「エリア」を解説していこう。

まずはコーヒーの故郷「アフリカ」について。
原産国エチオピアのコーヒーは、大英帝国がアラブを支配していた頃、東インド会社の主要商材であったが、その際出荷に使われたイエメンの「モカ港」の名をとって長らく「モカ」と呼ばれてきた。当然、イエメン産のコーヒーも同様にモカと呼ばれる。現在は、各地で品質の高いコーヒーを作る努力が実り、「村」単位まで特定して豆を買えるようになったので大くくりな「モカ」という言い方は廃れて、エチオピア・イルガチェフェというような名前で売られている。逆にこういう名前でコーヒーを売っている店は高品質なコーヒーを扱っているという証左になる。
最近ニュースでコーヒーの価格が高騰している、という話をよく聞かれたと思うが、これはニューヨーク相場市場で先物として取引されているコーヒー豆の話で、行き先を失った投機マネーが安定しているコーヒー市場に流れ込んできたというだけの話である。産地の豆をオークションで落札しながら流通している高品質コーヒーには関係ない話なのだ。お店で「国の名前」だけで売られているコーヒーは単体では高値の付かない豆を市場に持ち込んで流通している商材である可能性が高い。名前付きの豆と国名の豆では我々のようなロースターに入ってくる生豆(はい、なままめですね)の価格で2倍近い開きがあり、欠点豆も多く含まれている。地域名がついていればそれでいいというわけではないだろうが、高品質コーヒーを探すひとつの道標にはなると思う。
エチオピアの「モカ」に並んでOldファンに馴染み深いタンザニアの「キリマンジャロ」だが、この国はシッパーと呼ばれる輸出業者が力を持っていて、地域名で豆を出荷しがちな農協依存の多くの国とは違い、しゃれたブランド名を付けて出荷しているケースが多い。「アデラ」「リヴィングストン」「KIBO」「エーデルワイス」などが有名どころか。
「モカ」も「キリマン」も昔からコーヒーを愛飲された方には「酸っぱいコーヒー」のイメージが強いのではないだろうか。しかしコーヒーが酸っぱいのは焙煎が浅いからなのであって、豆が固有に持っている味ではない。ヨーロッパではこれらのコーヒーを他の産地のものよりも深く焙煎するのが通常の流儀で、原産地ならではの複雑な味わいを堪能させている。日本でこれらのコーヒーを酸っぱくしていたのは、アメリカでこれをお茶代わりに浅く焙煎して飲んでいた習慣が戦後広まった影響による。アメリカンコーヒーなるものの由来である。この話、はじめると長くなるので関心のある方は過去記事をご参照いただきたい。
深く焙煎されたエチオピア・コーヒーは「花束を抱きしめたような」香りと現地で言われる馥郁とした香りが特徴で、タンザニア・コーヒーは「フルーティな」と一般に形容される柑橘のような少し強めの後味が特徴だ。このように深く焼いても潰れてしまわない複雑な味わいのことを、潰れた香味が「苦味」であることから対置して「酸味」と呼んでいる。このネーミングがコーヒーの味を一般の人に説明しにくくしている元凶なのだ。酸っぱくないのに「酸味」という言葉を使わざるを得ないほど、コーヒーの味に対するボキャブラリーは進化していない、ということだ。だからご期待いただいてこの記事を読まれている方には大変申し訳無いのだが、当欄でこれ以上の味についての解説はできない。皆さんが自分好みのコーヒーを発見するために各国、各店のコーヒーの味を確かめていく「海図」の役割を当記事は指向している。だから特定のコーヒーをオススメしたりもしない。ぜひ皆さんの感性で各国のコーヒーを味わってみて欲しい。
さて、「アフリカ」のコーヒーを駆け足でご紹介していこう。
赤道直下のケニアのコーヒーもタンザニアと同系統の味だが、はっきりとした味で香りも豊か。わかりやすいコーヒーの代表格と言えるだろう。
そして最近注目を集めているのが、タンザニアの小さな隣国「マラウイ」にしか産出しない「ゲイシャ」という亜種。エチオピアのような花束フレーバーがとても上品で、バランスの良い品種。産出量が少なく今まで注目されなかったが、キューバや、かつて「コロンビア・マイルド」と称され高品質コーヒーの代名詞とも言われながら不安定な政治に翻弄されて苦戦しているコロンビアコーヒーの救世主として期待されて移植され、近年販売量も増えて、かつ結構な高値で取引されている。

今日は、アフリカだけで終えてしまったが、基本的な豆を見分ける構図については盛り込んだつもりなので、次回はその他の地域について解説を試みたい。
しかし、この記事、回を追うごとに長くなっていくが読んでいただけているのだろうか。ちょっと心配だが、せっかくなので必要なことは端折らずに書いていきたい。お付き合いいただければ嬉しいです。


おいしいコーヒーのいれ方 part-2 珈琲豆を調達する

 連載企画「おいしいコーヒーのいれ方」2回目です。前回は珈琲を抽出するための器具として「コーノ式ペーパードリップ」と「コーヒーポット」をオススメした。
では、さっそく珈琲を入れてみたいが、肝心の珈琲豆はどうするのか。
それが今回のテーマ。

当たり前の話だが、美味しい珈琲は美味しい珈琲豆からしかできない。
では、「美味しい」とはどういう味のことを言うのか。

特に珈琲は人によって好みの差が激しい嗜好品であるとよく言われる。
言わんとしていることはとてもよくわかる。

私も自分でタバコを吸っていた頃、タバコを切らして喫煙室で隣にいた同僚にキャビン・マイルドをもらって吸った時、どうしてこんな味のタバコがあんなに売れているのか、どうしても理解できなかったものだ。

珈琲の勉強を始めて三人目のお師匠さんについた時、とにかくたくさんの国の珈琲を10種類、1Kgづつ、というから計800杯くらいの珈琲を一ヶ月で飲まされた。
それが弟子入りの条件だったからだ。

師匠の焼いた豆はどの珈琲もそれぞれにとても美味しいと感じたが、マンデリンというインドネシアの珈琲だけがどうしても口に合わなくて往生した。

しかし、マンデリンを愛する珈琲好きはとても多い。
自分が「美味しい」と感じなくても誰かにとって「美味しい」マンデリンは存在するということだ。じゃ、いったいどうすればいいんだ?

この解は、珈琲が出来上がる工程の中に潜んでいる。したがって今日のお話もややこしく長い話になりそうだが、ご辛抱いただきたい。



珈琲はアカネ科に属する学名「コーヒーノキ」(そのまんまですね)という樹木の種子を煎って湯に(または水に)抽出して飲用するものだ。
この種子自体は非水溶性で、生のまま水に漬けておいても成分は出てこない。

それに硬くて食用もできないが擦り潰して舐めると、とても酸っぱい。
青臭くて嫌な匂いもする。

この珈琲の生豆(なままめ、この場合は絶対に「きまめ」と読んではいけません。生という字は「なま」と読んだ時は「火を通していない」の意味で、「き」と読んだときは「純粋な」という意味になるのです。それぞれ酒や蕎麦の例に当てはめて吟味してみてください)を「焙煎」すると、豆はその内部に平均7μともいわれる微細な孔がたくさん空いて(その分豆が膨らむ)、その孔の中に約800種類にもおよぶ化学物質が生成される。その孔の中に湯を(または水を)通し、珈琲という飲料を抽出するのだ。


この多孔質化は、珈琲豆の中心部に顕著なので、豆全体をむらなく加熱したい。
こういう時人は昔から「温めた空気を使ってゆっくり加熱する」方法を選んできた。

で、これに特化した機構を持つ珈琲焙煎機を使って焙煎するわけだが、近年よく見かける「その場で生豆を焙煎」して販売するタイプのお店には注意が必要だと思う。

多くの場合このタイプのお店は700度近い高熱で90秒で豆を焼き上げる「ジェット・ロースター」という機械を使っているが、調理を経験した人はわかるだろうが急速に加熱すると外周部と中心部の焼け具合には大きな差が出る。

これを積極的に使う中華料理が大火力のバーナーを使う所以である。

実際に今まで飲んでみたジェット・ロースター製の豆はどれも芯残りで軽い酸味が残っていた。
したがってこのビジネスモデルは、味の部分は少々犠牲にしても「鮮度」の方を重視するというもの、ということになる。そしてこのロジックには一理、しかも重大な理があるのだ。

珈琲豆は焙煎してから一ヶ月や二ヶ月で飲めなくなってしまうものではないが、焙煎によって作り出される800種類の化学物質は、一週間で約60%も失われてしまうのだ。

スーパーに並んでいる「自家焙煎店の豆」は流通の仕組みの関係で一ヶ月ほどたったものがほとんどだと聞いている。
またはお歳暮でもらった豆を半年ほど冷凍庫で保管して飲み続ける家庭もまったく珍しいものではない。
家庭で飲まれるレギュラーコーヒーの多くがそういった味の中核を失ったコーヒーであることを考えると、鮮度の高いコーヒーはそれだけで貴重であるとも言える。


それでもやはり最も重要なのは「味」だと思う。
だから中心まできちんと焼けて、しかも焼きすぎていない(焼き過ぎると、化学成分が焼き切れて「苦いだけ」になってしまう)豆を、鮮度が高いまま提供する「誠意ある」お店を見つけることが、美味しい珈琲を入手する最良の手段だ。

逆に言うとジェット・ロースターの普及を許しているのは、古い豆を平気で販売する自家焙煎店が招いた自業自得の事態とも言える。


全国のロースターの80%ほどが採用している「フジ・ローヤル」という大阪の焙煎機は、豆を中心まで熱するのに絶対に欠かせない、釜内の空気量を調整するダンパーを備えた世界でも珍しい機械で、世界のスタンダードであるドイツ、プロバット社のものよりも焙煎という工程の特性をよく捉えていて優れていると思う。
その分、使いこなしが難しいが。


とりあえず、この機械を目印にして、なるべく焙煎の新しい豆を入手する、という基本方針で近所の焙煎店を当たってみて欲しい。
日本の小売の流通を複雑を極めている。珈琲豆は生鮮食料品なのに、スーパーなどでは、そのように取り扱われてはいないという事情を鑑みると、今のところ自家焙煎店で豆を焼いた人から買うというのが最良の手段であると思う。


さて、また今日もお喋りが過ぎたようだ。でも豆選びもまだ端緒である、お店選びが大事だ、という考えてみれば当たり前のようなスタート地点にたどり着いたばかりだ。
次回は、では自家焙煎店に並ぶたくさんの豆ってどこが違うのよ、といったあたりに斬りこんでみたい。

おいしいコーヒーのいれ方 part-1 抽出の道具

おいしいコーヒーの入れ方、と言えば今や直木賞作家になってしまった村山由佳さんの人気ノベルシリーズだが、今日は本当にコーヒーを入れる方法のお話。

お家でコーヒーを入れようと思ったら、まず道具が要る。
何がいいですか、とよく聞かれる。

で、ここは迷わず円錐形のペーパードリップを強くオススメしておきたい。


コーヒーを美味しく入れる方法のポイントは、「灰汁を入れない」というところにある。
コーヒー豆は油脂で出来ている。
これを高い温度のお湯で抽出するので「乳化現象」が起き、味が活性化して美味しいコーヒーになる(故に冷水で抽出する水出しコーヒーの類は不十分な抽出方法と言える)のだが、コーヒーを抽出しているうちに油が灰汁になってしまう。この灰汁がコーヒーを不味くしている一人目の犯人なのだ。

コーヒーを入れる方法にも様々あるように思えるが、基本的には漬け込んで味を出す「浸漬法」(フレンチプレスとサイフォン)とお湯を重力の力でコーヒー豆に空いた7μの孔に通し抽出する「透過法」(ペーパードリップとネルドリップ、そしてコーヒーメーカー)しかないのだ。
そして、時間につれて発生する灰汁をカップに入れないようにできるのは「透過法」だけだ。透過法ならば、必要な量の抽出をしたらフィルタを外してしまえばいい。

コーヒーのことを教わる前は、フィルタに注いだお湯が全部落ち切るまで待っていたものだが、あれは一番やってはいけないことなのだ。


で「コーヒーメーカー」も透過法を使っているのだが、これはいけない。途中で抽出をやめることができないからだ。よってコーヒーメーカーは透過法だが、除外する。


ネルドリップは趣味性が高くてかっこいい。
だが、ネルの手入れが大変だ。
洗った後冷水につけて(決して乾かしてはいけない)冷蔵庫に保管しておかなくてはならない。
そのように気をつかって保管しても30回くらい使うと落ち切らない油で目が詰まってきてしまう。
そうしたら交換だ。
結構大変なのである。

乾かしてはいけないというネルの性質上、毎日使う方しか向かないし、これを毎日やるのは本当に大変だ。

と、いうわけでぜひともペーパードリップをオススメしたいのである。


ペーパードリップにも大きく分けて三種類ある。
カリタ・メリタ・円錐形(コーノ式、ハリオ)である。

元祖はメリタで1908年発表。
舟形の底ではなく途中に一穴が空いている。
メリタシステムを手本に日本で1958年に発売されたのがカリタでこれは底に三穴が空いている。

どちらも舟形で底部に長い浸漬用スペースがある。
浸漬法の欠点である手入れの煩雑さを改善するのが目的の改良で、どちらも完全な透過法にはなっていないわけだ。

普通に考えて、重力の力で湯を下に引っ張ってもらい、その力でコーヒーから味を引き出そうと思ったら自然、フィルタは円錐の形になるのではないか、と素人の私でも思うが円錐形フィルタをサイフォンの開発メーカーであった珈琲サイフォン株式会社が考案し製品化するのが1973年のこと。
これがコーノ式である。

もともとプロのカウンターマン用に作ったものなので一般の販売チャネルに載せることには熱心でないようで若干入手しにくいが、東急ハンズなどでなら必ず売っている。

よく似た形の「ハリオ」もV60という製品を2005年に発売したが、もともとコーノ式の製造をハリオを請け負っていたのが、2004年にコーノ式の特許が切れたのを待って自社で発売したというもので、さすがにデザインなどを変えているのだが、肝心の灰汁を排除するためにわざと短く設けられた「リブ」という機構を完全に全面に展開してしまっている。
このせいで、抽出のスピードも上がってしまい十分な味を出すのが難しくなっている。長年作っていても精神までは伝わらないということなのか。

と、いうわけで抽出器具は一択で「コーノ式円錐フィルター:ドリップ名人」という製品をオススメする。


さらにせっかくここまできちんとフィルターを選択したのなら、お湯を沸かしたケトルからそのままお湯をドバッというのはぜひやめて、コーヒーポットを揃えたいものだ。

カリタで比較的安価なものを出しているので最初はそれでいいと思う。
しかし、こんなものは絶対壊れない一生モノなので、せっかくならいいものを、とお思いの貴方には、「ユキワ」という新潟のメーカーの、二人用のフィルターを使っているならM-5。四人用のフィルターを使っているならM-7というポットを強く強くオススメしておく。

細部まで気を使った逸品でこれを使っていると他のポットでは珈琲を入れたくなくなる。ちょっとお値段は張るのだが、まあ一生使うと思えば気にならない程度の金額だし、実に多くのプロ・カウンターマンが愛用しているものでもある。上達も早くなるというものだ。


もう結構な紙幅を費やしている。しかも文章がややこしい。しかし物事の道理は複合的だ。どうかご容赦いただきたい。せっかく書き始めたのでおいしいコーヒーを入れるところまでは書き進めていきたいと思っている。お付き合いいただければうれしい。
ではまた明日。


  

2012年9月19日水曜日

ソウルフード

専門学校の広告を仕事にしていた頃、感心した企画のひとつに某有名調理系専門学校が実施した、「あなたの最後の晩餐を教えて下さい」という巻き込み型広告があった。

「もし地球最後の日が来たとしたら、最後の晩餐に何を食べますか?」
そう問いかけるアンケートの回答を編集して、広告紙面を作るという企画。

高校生から帰ってきた返答のほとんどが、家族との想い出にまつわる食べ物だった。
そこを狙って作った企画なのに、その心の準備を上回る感動的な回答の数々に「食」というものが、いかに人間の深いところと結びついているかを改めて痛感させられたものだ。


僕は3歳から18歳までを釧路で過ごしたが、家族でたまに外食をするとなると「泉屋」という洋食店で、よく熱した鉄板に盛りつけられたスパゲティーミートソースの上にカツが載った、通称「スパカツ」を食べるのが定番だった。

釧路の人でこれを知らない人にはいまのところ会ったことがないし、友人たちもたまに帰省すると立ち寄って懐かしい味に思いを馳せると聞く。

太くて芯のない、アルデンテとは対極にある麺。
鉄板の上で盛大に跳ねまくるミートソース。
普通盛りでもちょっと完食に苦労するボリューム。
肉厚なカツ。
だけど(だから?)ウマい。

さらに今はもう無くなってしまった丸三鶴屋というデパートで買いものをした後に、隣のいなり小路という商店街にあったまんじゅう屋で大きな肉まんを買って家で食べるのが何よりの楽しみだった。
このまんじゅう屋も今はもう無く、閉店したと聞いたときは本当に悲しかった。

同じように帯広の人は「インデアン・カレー」という店のカレーに特別な感情を持っているようだし、室蘭のカレーラーメンというのもきっとその類いのソウル・フードなのだろう。


その釧路を離れて大学進学のため札幌に出てきた僕は、外で食事をするたびに泉屋のスパカツに似た店を探したが、そんなものはなかった。
最初に借りた部屋は北32条西6丁目の第二高森ハイツという小さなアパートで、北31条西4丁目あたりにあった、満龍という中華料理のジャンボあんかけ焼きそばというのが気に入ってよく食べていた。

ずいぶん後になって結婚して住んだ川崎で、溝の口という駅の隣に「満龍」というお店を見つけて、入ってみたらジャンボあんかけ焼きそばというメニューがあって、食べてみたらまったく同じ味でびっくりした。チェーン店だったんだろうか。

大学の近くにあった時館(じかん)という軽食喫茶の「アトム丼」というオリジナルメニューも大好きで授業の後、サークルの仲間とよく食べにいった。
北24条の宝来という中華料理屋のC定食(回鍋肉)も定番だったな。


大学を卒業して就職のため東京に出た。
最初のオフィスは新宿にあり、初めて目にした大都会は目眩がしそうなほど人がたくさんいて、そこら中に美味しそうなお店があり、どこにだって行列ができていた。

釧路も札幌も田舎というわけではないと思うが、僕には並んで食事をする習慣はなかった。
埼玉県が僕の担当エリアだったので時々西武新宿線に乗るのだが、雨の日はサブナードという地下商店街を通っていくと濡れずにすんだ。
サブナードにはいくつも飲食店が入っていたので、そのどこかで昼を食べてから午後のアポイントに向かおうと物色していて目についたのが「ロビン」というカウンターで8席ほどしかない小さなスパゲティー専門店だった。
店に入って明太子スパというのを注文した。

僕の知っている明太子スパってのは茹で上げたパスタにバターと明太子を合わせて海苔をパラパラって感じのやつだが、何故だかいきなりおっきい中華鍋にすでに茹でてあったらしき麺と明太子とたっぷりの野菜を入れて激しく炒め始めた!明太子が調理場内でバチバチ跳ねている。
それをものともせず、中華鍋を振り続ける。それをジャっと皿にあけて「お待ち」と言いながら僕の目の前に置いた。まだ明太子がバチバチいっている。
全体によく明太子が絡んだ太い麺をフォークに巻き付けて口に入れたその瞬間、僕はあの泉屋のスパゲティーを思い出していた。
全然違う味なのに、その飾らないスパゲティーからは泉屋のあの懐かしい感じが立ち上ってくるのだ。

その日から週に一度はその店に通った。
他にもたくさんのメニューはあったが、明太子が最高だった。
そのうち自分のオフィスが銀座に移ってしまったが、新宿に用事があればサブナードまで足をのばしてロビンに行った。

しかしいつの間にか、サブナードからロビンも消えてしまった。

有楽町に「ジャポネ」という店があり、似た風味が味わえるのだが、あの反則的な明太子スパの豪快さだけは、あそこでしか味わえない。
今は小田急永山のあたりで中華料理屋として営業していてスパゲティーも出しているそうだ。ぜひとももう一度食べたい。


自分が「地球最後の日の晩餐」に選ぶのは、きっとこうした通い詰めた店の、飽きもせず食べ続けたメニューのどれかだろう。いやできれば全部食べたい。ぜひとも全部を。

しかし、こうして振り返ってみると自分のソウル・フードと呼べる食べ物はガイドブックなんかで探した店はひとつもなくて、通ってた学校の近くや職場、住んでいた場所の近くのお店が多い。生活導線の途中に無ければ通い詰めることは難しいので当たり前なのだが、だからこそ我々も近隣の皆さんのソウルフードになりたい、と思う。

ずっと前に、初めていらしたお客様が「ああ、これ子供の頃よく食べたショートケーキの味です。懐かしいなあ。」と言って下さったことが、なんだかすごく嬉しくて思わず涙ぐんでしまったのだが、今でもこれ以上の褒め言葉はないなあと思う。
そして、そんなふうに言っていただける方を少しでも増やす努力を続けることが、生活の場に密着した飲食店のたったひとつのミッションだと、今は確信しているのだ。

(旧Cafe GIGLIO Blogから再掲)