2013年12月24日火曜日

ニューヨークの夢、夢のイタリア

クリスマスになると、決まってポーグスとカースティ・マッコールのデュエットによる「ニューヨークの夢」をかける。
なぜ、この曲をかけるのかについては毎年書いているが大事な話なので今年も書く。

堕ちた天使
堕ちた天使
posted with amazlet at 13.12.24
ザ・ポ-グス
Warner Music Japan =music= (2008-01-23)
売り上げランキング: 105,937

昨年は映画「華麗なるギャツビー」に魅せられ、翻訳ミステリ「夜に生きる」に痺れた。
どちらの物語もその背景にアイルランド系移民の恵まれない環境がある。
「自由」の旗の下で生きていくことの厳しさの側面が、そしてその中で生きていくことに決めた人間の強さが描かれている。

ポーグスの「ニューヨークの夢」に描かれているのも、アイルランドから夢を追いかけてアメリカに移住して来た移民の物語だ。
なかなか成功を掴めず年老いてしまった夫婦が、若い頃の出会いから始まり、クリスマスの夜に飲んだくれて警察に拘置され一夜を明かした翌朝の会話で終わる。
その会話がこれだ。

「俺には明るい未来があったはずなのに・・」

「そんなこと誰にだって言えるわ!
「最初に知り合った時に、あなたは私の夢を持って行っちゃったのよ」

「ああ、その夢なら俺が今でも大事に預かっているよ
「自分のと一緒にしまってあるのさ
「俺はどうせ一人でやっていけるような強い男じゃない
「君がいなければ夢を持つこともできないんだ」


僕は毎年クリスマスになるとこの曲を聴き、そして今もこのご老人の言い分に激しく共感している。
僕もまた一人では夢を持つこともできなかった男のひとりだからだ。


豊かになった日本に生まれ、戦争も知らずに生きてきた僕たち夫婦は、そのうえさらに幸運にまで恵まれて、こうしてお互いの郷里に近い札幌で、お互いが夢見てきた喫茶店とケーキ屋さんを融合したようなお店を開くことができた。

でも本当にこれは僕の夢だったんだろうか。

思い返すと僕の心にあったのは「サラリーマンにはなりたくない。けど今の自分に何ができる?」ということだけだったような気がする。
高校生くらいの時から、そのような自問自答の消極的な選択肢として「喫茶店ってのもいいかなあ」とは思っていた。

でも結局そのための何かをするでもなく、好景気の後押しで大学の先輩に勧められた会社に就職して社会人になってしまった。
そうして配属された部署で、僕の目の前の席に、子供の頃からの「ケーキ屋さんになりたい」という夢を実現するための資金が欲しくて就職しましたっていう人(家内デス)が座っていた。
僕は自分の考え方の甘っちょろさに深く深く恥じ入った。

そして図々しい僕はその人の「意志」に自分の漠然とした希望を仮託することで、形をもった「夢」に変えてもらったのだ。
そうしておいて、僕らは二人分の夢を束ねて半分ずつの力で実現したのだった。

そして強欲な僕らは、二人で作ったもうひとつの夢を持っている。
家内の菓子職人修行のスタートがたまたまイタリア料理店のドルチェ担当であった縁で、イタリアという国に興味が湧き、二人でイタリア語を学び、実際に何度もイタリアに出かけた。
バイオリンが生まれた街クレモナには音楽が溢れていた。
欧州文化の故郷フィレンツェには、料理や菓子、文芸や舞踏、そして絵画など今も我々の胸を打ち続ける文化のルーツが眠っていた。
ヴェネツィアには職人の誇りが息づき、シエナには静謐な「生活」がゆっくりした時間の中をたゆたっていた。

この国で暮らしたい!
と、思った。
そしてその前にイタリアで知り合った人たちのように、郷里にきちんと根を下ろし、自分の好きなことでコミュニティに貢献する生き方をやろう。
そんな生き方が板につくまで、イタリア人に混じっても恥ずかしくないと思えるまで、頑張って働いて、すり減っていこう。
そうして歳を取ったら憧れのイタリアに二人で住んで、それまでの生活を懐かしみながらゆっくり暮らそう、と約束した。

そんなふうに新しい日々を過ごし始めてもう7年が経った。
上司も部下もいない。どんなことの責任も自分にあるという生活はなかなかしんどい。

僕たちの気持ちをよそに、国は大企業にまず儲かっていただいて、中小企業の皆さんはそのおこぼれでなんとか食べていってね、と言い出して、大企業向けの減税と合わせ技で中小企業殺しの伝家の宝刀「消費税増税」を二度にわたって振るう予定だ。
また、すごく美味しいものを作っても、「高くて美味しいなら当たり前じゃん」などと言って切って捨てられる風潮の中で、材料を偽装して、自らのプライドを削ってまでして生きていかなくちゃならない世界に、気が付けば僕らはたどりついていた。

そんな四面楚歌な世界の中でも「その夢なら、今でも僕が預かっている」と思えているだろうか。
僕はクリスマスが来る度に、ポーグスの「ニューヨークの夢」を聴きながら、その約束が風化していないのを確かめる。
そして、二人分持ったのに重くならずに、足取りが軽くなる「夢」の不思議を思いながら、僕たちは今日もこの世界を歩いて行くんだ。


2013年12月10日火曜日

ウィンドウズユーザーになりました

先々週の金曜日、そろそろ決算の準備もしなくちゃな、と愛用の白いMacBookを起動してあれこれデータを確認していたら、ハードディスクからカリカリと異音がしはじめて、突然落ちた。
結局それから二度と起動することはなく、ご臨終となった。

MacBookのバヤイ、問題がハードディスクなら修復自体は難しくない。
新しいハードディスクを買って入れ替えるだけ。
しかも、2007年以降の機種は入れ替えにコンピュータを開ける必要すらなく、バッテリケースの中から壊れたディスクを引き出して、新しいものを挿入するだけで修理が完了する。

が、失われたデータはどのみち戻ってこない。

インストールしていたアプリケーションも、昔ならディスクを探して再インストールするだけだが、今時はそれほど単純じゃない。

マイクロソフト・ウィンドウズをパラレルズで動かしていたが、前回の再インストールでプロダクトコードは電話で再発行してもらったもので、そもそもメモなんかしないで直接打ち込んだものだし、マイクロソフト・オフィスは、インストールできる台数が決まっているから、これまた電話して前のコード一台分取り消してもらって、再発行してもらわなくちゃならないが、そもそもクラッシュしたマシンに打ち込んだコードがどれかなんてわかるはずがない。

これはなんとかしてソフトウェアハウスの裏をかこうとするユーザーが多いことへの対抗措置の結果だ。
結局、ユーザーはこのような違法行為で自らの利便性を失うわけだが、問題は損をするのはいつも正直者の方だ、ということだ。
この件について「賢い方が得をする」とういうような見方をしては絶対にいけない。
違法行為のほうが賢い行動であるような世の中を許容してはならないのだ。

失礼、怒りのあまり脱線した。
話を戻す。

このような面倒を押してハードディスクの修復をするくらいならいっそ新しいマシンを導入しようと思ったのだが、これにはもうひとつ大きな理由がある。

会計ソフトだ。
この店は青色会計で毎年の申告を行っている。
税理士さんに頼むような会計規模ではない。
しかし自分で帳簿を付けるような知識はない。
だから会計ソフトに頼りきっている。

しかし、しかし、だ。
マッキントッシュ・コンピューティングの世界にはまともな会計ソフトがないのだ。

唯一といってもいい、個人事業向けのマック用会計ソフトはマグレックスという会社で作っている「マックの青色会計」というプログラムだ。

これを導入して初年度の申告書類を作った時、最初なので商工会議所の税理士さんにお願いしてお手伝いいただいたが、初年度の赤字決算に対して青色控除の65万がそのまま出力され、「所得額」の欄が、マイナスの数字で出力された時には、税理士さんも心底驚いておられた。もちろん赤字だったら青色控除額はゼロで「所得額」だってゼロである。
お粗末なのだ。

それに固定資産の多い持ち家での飲食業の場合、固定資産台帳の管理がもっとも面倒だが、この機能が貧弱そのものだ。
というよりバグだらけだ。
毎年バージョンアップにつきあって今度こそと祈るように入力するのだが、いっこうに正しい計算をしてくれないので、去年業を煮やしてサポートにデータを送りつけてどうして正しい計算をしないのか、と質問したが、答えは「最新版にアップデートしてください」のひとことだった。


こんなことがあったので、今回のハードディスクのクラッシュは僕には何かのサインのように思えた。
だから、あまり迷わずにその夜コンピュータを買いに出かけた。

ビックカメラに行って、「オフィスが入ってて、一番安いウィンドウズ・ノートをください」と言ったら「ところでお客様、インターネットはフレッツですか、auひかりですか」と聞くので、何の関係があるのか質すと、キャリアの切り替え込みでお安くできるので・・と言う。
こんなところまでキャリア切り替え戦争の仕組みがビルトインされているとは・・
「その種の面倒事はごめんですから」と言って店を後にした。

ネット通販で買うか・・と思いながら街を歩いていると、なにか世界から疎外されたような気がして、このまま帰れない気分になってヨドバシカメラに足を向けた。

注意深く店内を見ると、ここでもやはりキャリア切り替えが見積にビルトインされているようだ。
応援の店員のユニフォームもフレッツとauのロゴが入っている。
意を決して「事情があってキャリアの切り替えはしませんが、その前提でオフィスが入っていて、一番安いウィンドウズ・ノートをください」と切り出した。
店員の胸にはフレッツのロゴが光っていた。
「メーカーとかなんでもいいんですか」と聞かれたので、この際なんでもいいと答えると、Lenovoの黒い無骨なノートパソコンを教えてくれた。

一時期会社でIBMのThinkPadを使っていた。
トラックポイントというポチっとした突起をマウスがわりに使う個性的なインターフェイスが結構気に入っていた。
中国のメーカーに売却されてレノヴォブランドになっても、だから悪いイメージはない。
これください。


というようないきさつで僕はウィンドウズユーザーになった。
会計ソフトは「やよい」に決めていたので早速買ってインストールした。

事業環境や初期残高を入力する。
合理的なインターフェイスに感心する。
昨年出力した貸借対照表を見ながら初期残高を入力していくと、マックで出力した表には「事業主貸」の欄に数字が出力されているが、「やよい」には入力欄がない。
?と思い、ググってみると、繰越の際には事業主貸は元入金に振り替えるのが正しい会計処理というものらしい。

僕は今まで雇っていた税理士が無免許のモグリだったと打ち明けられたような衝撃を受け、それを教えてくれた新しい本当のプロの税理士の「やよい」さんに全幅の信頼を今寄せている。

同時に、使えば使うほど、どう考えてもどこをとってもMacOSの方が優れていると思うのに、このプラットフォームに優れたソフトウェアをリリースするメーカーがないという「経済原理」の矛盾に経済学という学問はどういう答えを出すのだろうと、訝しい気持ちになっている。

2013年12月3日火曜日

マネジメントするということ:「管理」ではなく「情熱」で、「組織」ではなく「社会的意義」を

夫婦で商売をやっていると、最初のうちは「いいですね〜」と言われるが、打ち解けた話になると、特に男友達からは「でも奥さんと仕事って大変じゃない?」と訊かれる。
もちろん大変だ。

でも夫婦だからなのではない。
上下の関係がないところにマネジメントもないからだ。

一応カタチの上では僕の個人事業ということになっているが、自家焙煎珈琲および喫茶部門と製菓販売部門の二人のCOO(chief operating officer)、というのが実情だ。
売上の大きさで言えば、家内の事業の方が若干大きいわけだが、だからといって事業の本質である「味」に言及出来ない以上、どちらかが代表してこの全く異質な事業をマネジメントすることは事実上できない。

だから、僕らはお互いのマネジメントをしない。

しかしそれでもひとつの店をやっている以上どうしたって、合意を形成しなくてはならない場合もある。
そんな時、「僕ならそういうやり方はしないがなあ」と思っても、伝えようとすれば指示や提案といった穏健なものにはならず、夫婦喧嘩の一形態として顕現することになる。
マネジメントが介在できないから、そうなるしかないのだ。

そういう時僕らはマネジメントの真似事をしない。
必要と割りきって、切り出して、どちらかが我慢する。
そういう意味ではマネジメントがあったって、なくたって結果は同じなのだ。

そんな時いつも、だいたいマネジメントなんて本当に必要なんだろうか、と思う。


ピーター・ドラッカーの時代の「マネジメント」は良かった。
それは社員の仕事のスタイルを管理することなどではなく、その事業には社会的意義は本当にあるのか、と問い続けることだった。
そのために必要な部署と役割はこうだ、と定義すること。それがドラッカーのいうマネジメントの本質だ。

それが、「失われた10年」あたりから、人心掌握術とか人物評価法とかスタイル変革みたいな内向きのマネジメントが有難がられるようになり、なんだか窮屈な世の中になっていったのを覚えている。

平成元年に新卒で入った会社でお世話になった当時の課長は、そのようなマネジメントは一切しなかったように思う。
でもその課長は営業進捗の報告と、時々同行していただいた時の感触から、直接担当している僕よりも正確に、その商談の行方を見抜いた。
その理由が知りたくて、同行してもらうと課長がお客様に話す内容をずっとメモしていた。
ずいぶん後になってから、親しくなったお客様が「新人の頃の君はずっと課長の話を一生懸命メモしてたけど、最近話し方も似てきたね」と言ってくださった。
不思議にそんなことがうれしかった。

その後僕も課長になって、部下と一緒に営業をした。
管理するのではなく、僕ら自身が社会に必要とされているかどうかを一緒に体感したかった。
課長の背中を見ながら仕事をしていたあの頃のように。

でももう時代はすっかり変わっていた。
限られたリソースで経営が要求する数字を作らなくてはならない。期待されている時間も短かった。
僕のチームは一定の成果をあげることが出来ず、年度途中で解散させられた。
そしてマネジメントの必要がない、今までとは違うミッションが与えられた。
今までの日々のすべてや、あのお客様の言葉さえもすべて否定されたような気がして、自分の力不足がとても悔しかった。

その日から僕は、かねてからやりたいと思っていた喫茶店というスモールビジネスを、「管理」ではなく「情熱」を使って、「組織」ではなく「社会的意義」を維持できるものにするにはどうすればいいのか、を真剣に考え始めて、現在のカフェジリオの基本的な枠組みを構築したのだ。

頑なに成長を拒否しながら、ありったけの情熱を注いで、昨日と同じ今日を歩もうとする路地裏のカフェは、今のところうまく機能しているように思える。
だからあの日負った心の傷を忘れるわけにはいかないのだ。
この痛みだけが、僕自身をマネジメントしているのだから。

2013年11月28日木曜日

路地裏のカフェから、電話で営業してくる皆さんへ

今どき固定電話なんかが鳴るとろくなことがない。
だいたい用件は、何かを買って欲しいか、お金を借りて欲しいか、あなたのお葬式のために互助会に入っておきませんか、という案内のどれかだ。
昨日の電話もそのひとつ、のはずだった。

電話は、「ヒートポンプ」を導入しませんか、という営業。
空気中の熱を取り込んで暖房費を安く上げるというアレだ。

我が家は、ガス暖房に自家発電機を組み込んだシステムで、他のエコ機器を組み合わせにくい構造になっているため話を聞いてもしかたがない。
お断りの言葉を考えていると、電話の向こうの女性が、
「奥様でいらっしゃいますか?」と。

おいおい、と思い「女性の声に聞こえますか?」と問い返すと、
「あら、あんまり優しそうな声だったので・・ごめんなさい」と。

こんな一言で印象が逆転してしまうのだから、人間というのは単純で、そして複雑だ。
丁寧に、我が家の暖房システムについて説明すると、ああ、では私共ではお役に立てないようです。お時間取らせて申し訳ありませんでした、とお互い気持よく電話を切った。

営業を断ると、いつもちょっと気持ちが高ぶってしまうものだが、その日はなんとも安らかな気分だった。
きっといつも善意で仕事に向き合っている人なんだと思う。
ぜひ見習いたいものだと思った。


そして、今日も固定電話は鳴る。
残念ながら奇跡は二度続かない。そういうものだ。

電話は、本当に毎度お馴染みのNTT東日本の代理店のひとつだった。
いったい幾つあるんだろう。
そして何度お断りすればいいのだろう。

回線を切り替えるとインターネットの使用料が安くなるという、いつものお話。
その話自体には特に異議はない。
しかし話が進んでいくにつれ、徐々に違和感が大きくなるのが常だ。

だいたい、電気だってガスだって、理由を知らせては来るけれど何の手続きもせずに勝手に値上げをするじゃないか。
どうして安くする時にだけ丁寧に電話をかけてきて手続きを要求するんだ?
それこそ勝手に安くして欲しい。

それに「お客様はNTTの回線をお使いですか?」という最初の質問がまずもってヘンだ。
電話をしてきているのはNTTの代理店のはずだ。
この家がどこの回線を使っているのか知らないのは何故なのだ。
少なくともNTTのユーザならそれはわかっているのではないのか。
電話の向こうで、アルバイト情報誌で集められた人たちが、どこかから入手したリストに片っ端からマニュアルを片手に電話をしている様子が目に浮かぶ。

で、僕は以前まったく同じような電話をKDDIの代理店から受け、そんなに安くなるならと切り替えて、けっこうな違約金をNTTさんから請求された経験があるのだ。
賢明なる諸兄は、二年に一度違約金が発生しない月があることをご存知だろうが、その月に営業してくる業者はいない。
世の中にうまい話などない。
これが僕の得た教訓だ。


そして、回線を切り替えても受けられるサービスはまったく変わらない。
ここが根本的にオカシイ。
同じサービスだから、安くしなくちゃならない。
そうしないと同業者から仕事を奪えない。
そのためなら何でもしてコストを抑えなくちゃならない。
何を偽装してでもだ。
それ以上のクリエイティビティは要求されない。
それではそこで働く人のやりがいはどこに見出だせばいいのだろうか。


同じサービスを提供する人が二人いれば、安い方から買う。
この当然な選択が、現代社会に巣食う様々な病理の根底にある。

そのような世界では、どちらから買うか、という選択権を行使することで、束の間消費者は王になる。
だからいつも情報を収集して、新しいお店を探している。
顧客とサービス提供者の間のリレーション・シップは発生せず、サービスの質は向上しにくくなる。
誰だって初対面の人に本音は言いにくいものだ。
だから時に、せっかくお金を使ってあげたのに王の気分を味あわせてもらえなかった時、インターネットに書き込むことで小さな報復をしたりする。

僕はこのようなゲームに加わりたくない。
いつものお客様を笑顔でお迎えして、丁寧に珈琲を淹れるこの店の日々が好きだ。
ちょっといつものより苦いんじゃないの、と言われて自分の焙煎技術の未熟さを恥ずかしく思う瞬間が無かったら成長できないと思うし、だから苦言を呈してくれるお客様には本当に感謝している。
新しいお客様が、ケーキを戴いたら美味しかったので来てみました、とおっしゃってくださる瞬間が最高に嬉しい。
そういう「縁」の中で生きていきたい。
そのためにこそ、僕たちはこのような路地裏に店を構えて、雑誌の取材もネット記事の掲載も頑なにお断りしながら日々珈琲を焼き、ケーキを作っているのである。

2013年11月21日木曜日

頼るべき「プロ」を失ったままアンダーグラウンドに引き込まれた僕らには助かる見込みは、今度こそない

去年の冬あたりからJR北海道の運行が不安定になっていたことは感じていた。
しかし、それも仕方ないだろうと思えるような異常な積雪だったから、これは一時的なものなんだろうと思っていた。

春になっても各所で線路の保全状態が充分でないためのトラブルが続いたが、あの積雪の後遺症、という見方もできたし、北海道のこの広い路線を民営化した会社で利益を上げながら維持していくこと自体に無理があったんだろうとも思えたから同情的にニュースを見ていた。
事実、近年のJR北海道は札幌駅前の再開発事業で大きな収益を上げてきたし、投資をして安全という目に見えないリターンを買うメインテナンスよりも、株主の喜ぶ収益事業に注力せざるを得ないのもわからなくもない。
そのくらい経営に対する圧力は強いものだ。

それにしても現場のプロ意識の低下は許容外のレベルに来ているようだ。


1995年3月20日に起きたオウム真理教の地下鉄サリン事件の時、多くの営団地下鉄職員の方が被害に遭われた。
村上春樹さんの書かれた「アンダーグラウンド」を読んで、鉄道に関わる人たちが仕事に対して抱いている純粋な使命感のようなものに強く感銘を受けた覚えがある。
そして、社会に出てまだ六年目だった自分の、仕事に対する気持ちの浮薄さを思い身が引き締まる思いだった。

その頃の僕は仕事での失敗が人より多い営業マンだった。
もともと不注意な性格だったし、地道な作業よりも企画を考えたり、人と打ち合わせたりする時間の方が好きだった。
不注意な性格は変わらなかったけど、自分の仕事だって「世の中」の一部だと思ったら細部をおろそかに出来ないと感じて、関連する法制を調べて業界団体の話を聞きに行ったり、商談だけでなく取材に立ち会って自分がやっている仕事の全体像を掴もうとした。
お客様との会話も弾むようになり、仕事が楽しくなったし、成果も上がった。

でもそうなると、今度は世の中のプロ意識が急に気になりだした。

ある日、原宿で新しくオープンしたイタリア料理店に入って昼食をとろうとしたら、ランチメニューにはスパゲティしかなく、気分でなかった僕は他のメニューはないか、と尋ねた。ないのなら、ないと言ってくれればよかったと思うが、店主らしき人が「うーん、あなたにはウチの店はちょっと無理だね」と言って食事を出してくれなかった。もちろん、席を立って別の店に行ったが、今でも、どうしてイタリア料理店でスパゲティ以外のものが食べたいという希望が店の格にそぐわないことになるのかはわからないままだ。

その頃からタクシーに乗ると、「道はどうしますか」と尋ねられるようになった。当然おまかせします、と答えていたが、ある日ちょっと気になってどうして道順の指定を求めたのか聞いてみた。最近は渋滞にはまったりするとクレームをつけてくるお客さんが多いんだそうで、自分が選んだ道ならば文句が言えないからとのことだった。また、違うルートの方が近いはずで、不当に料金を高く請求したとクレームを受けることもあるという。

そして政治家は説明責任を問われすぎて、民衆受けしない政策を選択できなくなった。
みんなにいい顔をしているうちに、社会のあらゆるセーフティネットはほころび始め、苦し紛れに政権交代のゲームや、ナショナリズムをおもちゃにして世の中のガス抜きをしている。

プロはお客様よりも専門知識があって、その専門性そのものがサーヴィスのクオリティを担保して、だから対価を受け取れるのだと思う。
消費者の言うとおりに商品を渡すだけならプロである必要はない。

で、世の中はそっちにいった。
ふと気づくとお店に立っている人はみんなアルバイトになってしまい、商品のことをよく知っている人はいない。
インターネット・サーヴィスを売りに来る若い営業マンの言うことはマニュアル通りだが肝心なところがいい加減で、後で思わぬ請求が来る。
おいしい水とやらを売りに来る人の言葉には科学的素養がなく、布教の言葉と変わりがない。

だからプロ意識が低下しているのはJR北海道だけの問題ではなく、もっと大きな社会的要因が関係していると考えるべきだ。

世の中の多くの会社はプロを育成するコストのかかるミッションを放棄し、容易に交換可能な、ユニット化されて、誰からもクレームがつかないマニュアルを携えた労働力を使う。グローバリズムというコストを武器に戦う戦争に勝つために。

しかし頼るべき「プロ」を失ったままアンダーグラウンドに引き込まれた僕らには助かる見込みは、今度こそない。

2013年11月8日金曜日

入試で人間力なんて問うたら、落第者は「人間失格」になっちゃうけど、それでいいんでしたっけ

会社員時代、僕は専門学校の募集広告を営業する営業マンだった。
隣の部署では同じように大学の募集広告を営業していた。

その部署のエースは、その昔、早稲田大学と慶応大学を一緒に担当していたのだそうだ。
そう聞いて、早稲田や慶応に募集広告なんぞ必要なのですか、と何も知らなかった若いころ深い考えもなく訊いたことがある。
そう問いかけた僕を見て周りにいた先輩たちが、何故かにやにやしている。
この話は、そのエースのある武勇伝に関係の深いテーマだったのだ。

ご想像通り、早稲田や慶応に知名度を上げるための広告の必要などない。
しかし大学が社会的な存在である以上、最低限、学部学科の情報や、入試の方法などの資料請求の機会を他の大学と横並びで提供する必要はあるだろう。
あのように大きな大学になると、基本的な情報提供だけでも結構なコストになる。

それである時、慶応大学と早稲田大学は強者連合を組んで、合同の説明会を組み、コストを折半することを思いついたらしい。
その企画に協力を求められた我がエースは、その商売の種をあろうことか即座に断り、こう言った。

「早稲田大学さんは在野精神や反骨の精神で模範国民の造就をめざすんですよね。慶応大学さんは入学された方に、気品の泉源、智徳の規範を以って全社会の先導者たらんことを求めておられるはずですね?
御二方が集めるべき学生は正反対の気質を持った人たちです。肩を組んで広告をすべきではありません」と。

その後、その企画がどうなったのかは知らないが、なるほどこれが「学校の広告」というものの考え方か、と強く感じ入った。

このような考え方は入試にも必要なものだ。
かの東京大学の入試には難問や奇問は出題されない。
そこでは、基本的なアクションをミスなくこなす才覚が問われているのだ。
官僚を目指す彼らにふさわしい入試スタイルではないか。

僕がお世話になった専門学校という世界では、そのような募集人材像は大学以上に先鋭化していかざるを得ない。
専門学校入学のための模試がない以上、そこに偏差値は存在しないからだ。

また、調理の専門学校に進学する人と声優の専門学校に進学する人に求められる資質は大きく異なっている。
国語・算数・理科・社会ではほぼ判断がつかないのだ。

動物病院の看護師さんを養成する専門学校では入試にデッサンを取り入れていた。絵の上手い下手ではなく、動物を観察する目があるかどうかを見ているのだという。
なるほど。

同じ系統の専門学校であっても、その職業に必要な資質に対する考え方が異なっていれば、当然教育の方法も異なる。
大手のある簿記・経理系の専門学校では、単線的で硬直的な学歴社会へのレールにうまく乗り切れなかった入学者たちに簿記の資格試験を通じて成功体験を積ませ、自信をベースにした社会人基礎体力を養成するが、別の学校では、少人数のゼミで多くの課題をこなしていくことで実社会に近いある種の「理不尽さ」を数多く体験させることで社会人基礎体力を養成している。
それぞれの学校で成長できる人は自ずと異なっている。
これはもはや入試などでは選別できず、高校生の時にかなり本格的な体験入学を行って判断してもらうしかない。
事実彼らの募集スタイルはそうなっていた。


大学も事実上ユニバーサル・アクセスとなり、もはや多くの学校にはすでに偏差値もついていない。
先行して、偏差値ではなく教育のスタイルからの募集選考を極めてきた専門学校のスキルを学ぶべき時期に来ているのだ。

こんなご時世にすべての学校を一括りにして「大学生の就職率が下がっている」などという言説はもはや意味を持たないし、そのような現実とかけ離れた危機意識から大学入試の改革を考えるのもナンセンスだ。

案の定、ナンセンスな前提から始まった、社会の上流部分しか識らない「識者」たちの会議は「人間力」を問う、などというナンセンスな結論に行き着いた。
入試に失敗した人は「人間失格」というわけだ。

どこの大学に行ったかで人生は決まらない。
ましてや人間失格になったりはしない、絶対に。
だから入試なんてのは、たかが「学力」試験、に留めておいたほうがいいと思う。
オールマイティな人間力の序列なんてつけるべきじゃないし、初対面の面接官にそんなことできるはずがないじゃない。
一回こっきりのペーパーテストだからこそ、失敗の言い訳が、そしてその先を生きていく心が軽くなるんだよ。


縁あって、明治大学さんにお世話になったことがあって、パンフレットを作らせてもらったので、その時学生さんにけっこう話を聞いた。
「どうして明治大学に来たの?」という質問にほとんどの学生さんは「早稲田に落ちたから」と答えたけど、みんな楽しそうだったよ。
ちょうどリバティ・タワーができたばかりの時で、学習環境は極めて充実していたし、その言葉は本心からのものに思えた。

至る道筋は偶然に支配されているけど、いずれ人は現在という時を生きていくほかない。
出会いが偶然であったとしても学ぶことは楽しいことであって欲しい。
失格者の烙印を押されて学ぶ学問が楽しいはずがないし、本当の主体性や創造性は、「失敗してもいいんだよ」って言葉から生まれてくるような気がする。

常に揚げ足取ってやろうと失言に目を光らせて待ち構えるマスコミの中で、窮屈な政治を強いられている人たちが考えるこの国の未来が、主体性とか創造性に満ちているはずもないんだけどね。

2013年11月4日月曜日

最上の"Here and There"

いろんなところで書いているが、僕は平成元年から18年までの間、リクルートという会社にいた。

リクルートOBの多くが「人生に大事なことはみんなリクルートで教わった」的な本を出版していて、そんな本を読もうと思う動機がちょっと僕には思いつかないので、たぶん他のOBたちが読んでは「あるある」といって楽しんでいるのだろうと思うのだが、そういう本を書きたくなる気持ちはすごくよくわかる。

技は見て盗め、とか俺の背中から学べ、みたいな人はあまりいなくて、何かにつけて実に雄弁に、実にかっこいい言葉を使って後輩に物を教える人が多かった。

僕も胸にいろんな言葉を刻んでいて、余さず自分の後輩たちにも伝えてきたつもりだ。
その中で、これはあまり人には言わないのだけれどとても大切にしているシンプルな言葉がある。

この言葉を教えくれたのは、社内の研修を受けていた時にトレーナーを務めてくださったとなりの部署のマネジャーさんだった。
東大出身で、もともと僕がやっていた仕事を長い間やってこられた大先輩。
普段は言葉少なでとっつきにくいのだが、その日はとても丁寧な言葉づかいで、心から滲み出てくる優しさと温かさに満ちた言葉をたくさん使って研修をリードしておられた。

社内での研修ゆえの気安さからか、新人だった僕らの態度には、この場を無難に乗り切ろうという意図が透けて見えていたようで、先輩は少し改まった口調でこう言った。

会社の会議に遅刻してくる人ってだいたい決まっているだろう。そういう人はお客様のアポイントにも遅れがちなんだ。お客様は何も言わなくても少しづつその営業マンへの信頼残高を減らしていくだろう。君たちが今ここでとっている態度は、君たちの知らないうちにお客様にも伝わっているんだよ。君たちがやっている仕事は営業だけど、営業のスキルを上げるってのは結局生き方のスキルを上げるってことなんだ。どんな一瞬もおろそかにすれば本当に大切な時に力を発揮できないんだよ。
ここで、起こっていることは、別の場所でも起こる。
"Here and There"という言葉を覚えておきなさい。

・・・・
もう完全に目が覚めた。仕事というものの見方が180度変わった瞬間だった。
"Here and There"
今でもことあるごとに思い出す人生の教訓だ。


山本太郎参議院議員のこの度の騒動も、"Here and There"案件のひとつではないか、と思っている。
事象だけみれば、議員が今まで世間を騒がせてきたいくつもの案件と同様に「世間知らず」ゆえに、ちょっと「ピンずれな方法」で、「スタンドプレー・スタイル」でボールを投げた、というだけであって、世間がこれほど大きく騒いでいるのは、今までの議員の言動もすべて含めて、ちょっとどうなのよ、と怒っているということだろう。

個人的には、そこまで一途になりふり構わず行動する政治家ってのは最近あまり見ないし、当選するまでは意気軒昂だが、議員になったら組織人に変貌しちゃう議員よりよっぽどマシなような気もする。
何より今回の件、実害がない。実効果もないが。


だからそんなことよりみんなが怒っているのは、天皇陛下に失礼でしょ、ってとこなんだと思う。
そこんとこは僕もちょっとカチンときた。

今上天皇陛下は即位する前から、天皇は現人神ではなく、日本国民の象徴としての人間天皇を体現することが決められていた初めての方だ。
きっと即位される前からそのことを考えぬいて来られたと思う。
そして、いつも皇后陛下を優しく見つめられ、災害があればお駆けつけになられ、国民的なスポーツ大会にもできるだけ臨席され、国民の前にお立ちになれば、いつも本当に大事な事を、雄弁さではなく率直さで語られた。
これが私の思う日本国民の姿だ、という理想をすべてのお時間を使われて体現しておられるのだ。
最上の"Here and There"だ。

だからそんな今上天皇陛下は、福島の被曝の状況についてならわざわざ議員の書状なんかでご覧にならなくても、誰よりも深く心を痛めておられるに決っている。
それどころか、脱原発で仕事を失くした人たちや、発電所を主要な産業として財政上の頼りにしている自治体の人たちのことだって平等に気にかけておられるだろう。
相反する立場の人たちの心の痛みをまるごと引き受けてこその国民の象徴だと、天皇陛下は考えて行動しておられる。
山本太郎議員が想像している以上に「言われるまでもない」のである。
だから小市民な僕らは、そこに苛立ちを感じてしまう。

そうしてきっと僕らのそんな気持ちをも飛び越えて、止むに止まれぬ気持ちで自分宛の手紙を書いた議員の心情にも、今そのお心を痛めておられる。
今上天皇陛下という方はそういう方なんだ、と僕は思っているし、多くの国民がそう思っているのだと思う。

だからこそ。

僕に"Here and There"という言葉を教えてくださった先輩に報いるためにも、この案件に苛立ちを覚えてしまった僕は、自分自身がそのような言動をしていないかどうか、心に刻んで日々の生活や仕事に立ち戻るしかない。
それしかできることはない。

2013年11月2日土曜日

だから集客に「戦略」は持ち込まない

消費税が8%に上がると決まってからこっち、やはりケーキの売れ方が微妙に変わってきたように感じる。

我々のこの時期の主力商品のひとつ、なると金時のスイートポテトだが、パティシエの修行元だった三軒茶屋の名店Hisamoto'sのレシピ通り、良質な素材で丁寧につくったスイートポテトを、またわざわざ焼き芋のカタチに成形しなおして(下部には皮まで再現している!)それを適当に切り分けてグラムを測って、ひとつひとつに値付けをするという手間のかかる製法を採っている。

昨年までは、この商品の売れ筋は300円台後半だったが、今年は圧倒的に200円台がよく出る。

いくつか新しいケーキも出している。
こういう時は市場に受け入れられる価格が定まるまで、何度か価格改定をするものだが、最近は300円台で折り合ってくれる商品がなく、なかなか定着しない。

結果ショーケースの中は比較的安価なケーキで占められるようになった。

これで実際に消費税が上がったらいったいどういうことになるのだろう。
想像したくないがそうも言っていられない。
改めてきちんとした価格ポリシー、ひいては経営ポリシーを再構築する必要があるだろう。

消費税導入に合わせて、価格に税がきちんと転嫁されているか、政府で調査をするんだそうだが、そんなことはまるで無意味だ。
消費税を上げたらその分、みんなの給料が上がるというならそれでもいいだろう。
給料は、もちろんそういうロジックでは決まらない。
だからもちろん買い物だって、そういうロジックでは決まらないのだ。

価格は市場が決める。
使えるお金が手元に無かったら、そこにどんな良い商品があっても購入されることはない。その商品は市場から退場し、多少品質を犠牲にした安価な商品が居座ることになり、全体として商品の価格は長期にわたって低下し続けていく。
これが今、日本に起こっている「デフレ」と呼ばれる経済現象だ、と前日銀総裁の白川さんが困ったような表情で言っていた。
だから解決策は金利がどうだとか、お札を刷るとかそういうことじゃなくて、少子化とか海外の安い労働力に負けない生産性を獲得することなんだよ、と。

こんなちっぽけな、でも自分にとってはかけがえないの人生の終着点として設計した個人事業を営んでいる僕としては、この白川さんのお話に強い共感を覚えた。
だって、みんなだって対症療法より体質改善の方がいいと思うでしょ?
でも結局、対症療法は断行され、問題は先送り。
そして薬(偽薬だろうけど)が効いている今のうちにと、消費税は上げられた。
体質は変わってないんだから、そりゃ財布の紐を締めていくしかないよね。


もう20年近く続いている不景気のせいで、いろんなことが狂ってきてる。
レストランのメニュー偽装なんて、普通そんなに長い間続けられるもんじゃない。
芝エビじゃない小さなエビを使ったメニューを芝エビと表記したことが問題になってるって、芝エビのあの独特の透明な光具合や、口に入れた途端に広がるあのちょっと青い香りは他のエビでは絶対出せないわけで、お客さんが食べても食べてもそれに気づかなかったから、長い間その偽装が成立してた。
もちろん嘘を書いてたほうが悪いんだけど、結局経済学者の言うところの「市場原理」ってのは市場に見る目があっての話だってことだ。
伊勢海老とロブスターの見分けがつかない<市場>に原理なんぞあるわけがない。

夜、昔の仲間と酒を飲んだあと、酔い覚ましに入った喫茶店でブルーマウンテンを頼んだ。透明さが身上のブルマンなのに、出てきた珈琲はひどく濁った味がした。
きっと何かの豆を混ぜてあるんだと思う。
普通の喫茶店で使っている生豆は1kg 600~1,000円くらいのものが多いけど、ブルマンは6,000円近いから、無理もないなとは思うけど。

騙し合いが始まると、自分の舌で店を判別できない人は口コミに頼るしかない。
お店は嘘ついてるかもしれないから。
そうして、食べログなんてものに皆が頼るようになった。

僕としてはそういう騙し合いのゲームに参加するつもりはない。
だから集客に戦略は持ち込まない。
昔から飲食店の集客は一期一会と決まっている。
だからこそ旨いものを作る。
そこに嘘とか、税金の心配とか、そういう無粋なものを差し挟んでほしくないんだ。

2013年10月10日木曜日

オススメは何ですか?

それほど多いことではないが、はじめてご来店いただいた方には、「オススメは何ですか?」と訊かれることがある。

つまり「どれが美味しいんですか?」と訊いているわけで、たとえご本人にその気がなくとも、それは「どれが美味しくないのですか?」という質問と、店舗側にとっては本質的に同義だ。
だから、少なくともすべての商品を自分自身の手で(それぞれにかなりの愛着と情熱を注いで)開発している我々のような小規模店では、「オススメは何ですか」という質問に答えることは原理的にできない。


そしてこの「店舗側にとっては」という但し書きがこの問題の要諦でもある。
お客様の側の心理はそのような店舗側の事情には関係なく、せっかくコストを支払うのだから、もっともリターンの大きなものを得たい、という部分に集中しているのだ。
当然だと思う。
で、見ただけでは「自分にとって」リターンの大きなものがわからない、ことがオススメを聞く理由ということになるだろう。

見ただけで味がわからない、というのは当たり前のことだ。
食べてみなくては、それが美味しいかどうかはわからない。

味覚を言語にするのはとても困難な事業だ。
長いヨーロッパの歴史が生み出したワインの「ソムリエ」があのレヴェルの精密さで他の分野に誕生しないのも当然のことなのだ。

味覚のことである以上、少なくとも僕はお店に訊いても無意味だ、と思っていた。
だから投資をしては失敗し続けて、時々巡りあうとても美味しい店とお気に入りの料理に歓喜しては「自分の店」のリストに書き足し、ともに楽しい時間を過ごしたいと思う友人を連れて行き、時には友人にそうやって見つけた店を教えてもらう。
ずうっと僕らはそんなふうに生きてきた。

情報だけがディジタルの海を泳ぎ渡って、そこここにリアルな波を引き起こす現代では、そのようなロマンティックな投資はもはや無駄でしかないのだろう。

そのような風潮を逆に利用したのが、今どきどこのチェーン店のメニューにもある、「今月の〜」とか「〜フェア」とかいうおすすめメニューだ。
会議室で決められたおすすめメニュー。
メニューが決まってからレシピが検討され、食材が発注される。
試食をして写真を撮って、コピーが発注される。
店員は淀みなく、お薦め商品を紹介し、「あ、じゃそれふたつ」みたいな感じで、最小限のコミュニケーションでその日の食事が決まっていく。

これは確かにスマートでコンビニエンスなやり方だ。
でも僕は自分の食べるものくらい自分で決めたい、と思う。

幸い私達のこの店には、ご紹介でいらっしゃるお客様が圧倒的に多く、ご紹介者様からお薦めのメニューを聞いておられるから、ケースとしては少ないと思うが、チェーン店のマナーを持ち込まれて困惑しておられる小規模店舗の方は多いのではないだろうか。


平成元年から18年まで東京でサラリーマンをしていた。
オフィスがあった銀座で、よくランチに行ったインドカレー「デリー」のドライカレー、四川料理の「嘉泉」の麻婆豆腐、焼き鯖がうまかった「かなざわ」。
昼に食べそこねた時は、東芝ビルの地下にもぐって「はしご」というラーメン屋でだんだん麺大辛にご飯、それに龍馬たくあんをたっぷり載せて食べた。
営業職だったから、営業先でもいくつか決まった店があった。
新宿ならサブナード地下の「ロビン」で明太子スパ、熊本ラーメンの「桂花」で、だあろう麺。
時々、渋谷に行くことがあればメリー・ジェーンに隠れて馬鹿でかい音でかかっているジャズを浴びながらアンチョビのスパゲティを食べるのが好きだった。
よく行っていた八王子では片倉駅まで足を伸ばして「えびす丸」で玉ねぎの刻みぐあいが絶妙なラーメンを食べるのが常だった。

夜になれば、先輩と「いなだ」という小料理屋に座り込んでカウンターに並んでいるうまそうな煮物を「うはー、これとこれちょうだい」なんて頼んで美味い酒を飲んだ。
時々は、有楽町のガード下の「ねのひ」で、ビール瓶の箱をひっくり返した椅子に座ってたぶん日本で一番美味いつくねを頬張った。
腹が満ちれば、ちいさなスナックに流れて常連さんと一緒に歌い、気持ちよくなっていつものバーへ。

自分で見つけた店もあれば教えてもらった店もある。
もちろん嫌な思いをしたこともある。
でも全部自分で決めたこと。
「自由でなけりゃ意味がないのさ、そうだろう」
と佐野元春も言っている。


2013年9月24日火曜日

「粗挽き、ネルドリップ」ってうまいのか

先日お客様に「粗挽きで」と言われて戸惑ってしまった。
三つの修行元ではどこでも、どんな器具でも挽き目は同じだったので、意識に上ることはなく、挽き目にいろいろあるということを忘れてしまいがちなのだ。


一般には、サイフォンは細挽き、ドリップは中挽き、パーコレーターが粗挽きということになっている。

パーコレーターを家で使っているという人が今どのくらいいらっしゃるかわからないが、かなりの少数派といっていいだろう。
フレンチプレスで目が詰まるのを嫌がって粗挽きにする人もいると聞く。

基本的なことから言えば、珈琲は焙煎によって豆内に出来た7ミクロン程度の孔に生成した800種類の化学物質を湯の力でこそげ落として飲む飲料である。
グラインドは、その孔を露出させる工程なのだ。

だから粗挽きにすればとうぜん露出する孔の数が減り、「薄い」珈琲になる。そしてその薄さというのは抽出不十分による「薄さ」であって、飲み口のテクスチャーを調整するために湯で薄めるのとは根本的に意味合いが異なっている。

それでもなお、というお好みについて特に申し上げることはない。

冒頭に書いたように、サイフォンの創始メーカーである珈琲サイフォン社をはじめ、僕がコーヒーを習ったお店ではどこも、どの入れ方でもすべて中細挽きを採用している。
一番良く味が出るからである。
サイフォンを細挽きで、というのはミルメーカーの指定であって、器具メーカーはそのような指定はしていないのだ。
それにどんな器具を使っても巷間言われるような目詰まりなど起きたことはない。

また上海では、粗挽きの豆を倍量使って、抽出最初期のコーヒー液を飲むという方法があるそうで、試してはみたが、まあ濃いコーヒーだ。苦さに塗りつぶされて独特の風味があるのかどうかわからなかった。

と、いうようなことを知ってからよく思い出すのは、たぶん缶コーヒーのCMの「粗挽きネルドリップ」というキャッチコピーで、なんとなく「粗挽き」って通のやり方なんだな、と思っていた。
もし、そんなイメージだけで「粗挽き」を愛用している人がいたとしたら広告も罪が深い。

2013年9月13日金曜日

Girasole Records Blog: 佐野元春のドキュメンタリー・フィルム「Film No Damage」を観てきた

Girasole Records Blog: 佐野元春のドキュメンタリー・フィルム「Film No Damage」を観てきた: 佐野元春のドキュメンタリー・フィルム「Film No Damage」を観てきた。 何度か観たことのある映像だが、映画館の大画面とサラウンド音響で聴くと、実際にライブに参加しているような特別な感覚がある。 特に、80年代に特有なドラムスの硬いリヴァーヴの感じは、部屋のオーディ...

2013年9月11日水曜日

図書室「未完成」: トマス・H・クック「ローラ・フェイとの最後の会話」

図書室「未完成」: トマス・H・クック「ローラ・フェイとの最後の会話」: 自分に娘ができ、子育てに悩み、成長に喜ぶ日々を送ってみると、自分がいかに両親に愛されて育てられたかに気付く。 そして子どもの頃、思うようにならないことのすべてを親のせいにしてみたり、感謝すべきことにも、親が子どもを育てるのは当たり前のことさ、とうそぶいてみせた自分が恥ずかしくて...

2013年9月7日土曜日

新しい生存戦略〜引退する宮崎駿氏に捧ぐ(感謝を込めて)

珈琲にはカフェインという興奮剤が入っていて、だから夜飲むと寝られなくなる。
人間だから夜寝られない程度で済むが、虫などが樹液を吸ったり実をがぶりとやると死に至る。

そんなモノを自分の体で精製している珈琲の木自体も無事ではすまない。
樹木としては異常に寿命が短く、伸長できる高さの限界も低い。

しかしそのカフェインを含んだ実は、体の大きな哺乳類には精神の興奮剤として機能するがゆえに、好んで食べられ、絶対に消化されない非水溶性の繊維に包まれた種子は、その実を食べた動物によって運ばれ徐々にニッチを拡げていく。

これは個々の寿命や成長を犠牲にして種族全体の維持、拡張を優先する生存戦略なのだ。


彼らの意図した生存戦略とは違う形で、人間はこれを栽培し、カフェインの恩恵を世界中で享受している。
珈琲がヨーロッパ全土に広がる前、彼の地では、教育を受けて世界の未来を拓くべき支配階級の人々が昼間からワインやビールなどを飲み、朦朧として日々を過ごしていた。
珈琲が広まると、論理的思考の時間帯は飛躍的に増え、この流れは民衆にも広まった。
19世紀以降の急速な人類の進歩にカフェインの果たした役割は大きい。


こうした流れを鑑みるに、市民社会に遍く文明を浸透させた功労者カフェインを珈琲から取り去ってデカフェなんかを作り出すに至った現代は、まさに文明の袋小路に入ったのだと思わざるを得ない。
弱い動物には毒だが、強い動物の精神を拡張するという夢の様な機能を以ってある種の植物の生存戦略を支えたこのカフェインが、毒として作用するようになったと考えれば、それは人類が生物学的にも弱体化していることのサインではないかと、僕はちょっとした恐怖感すら覚える。


宮崎駿氏は引退会見で自らのキャリアを総括し、「子どもたちに、この世は生きるに値するんだと伝えるのが仕事の根幹になければいけないと思ってやってきた。それは今も変わっていません」と語った。
この世は間違いなく、生きるに値する素晴らしいものであふれている。

光と風。
物語と鏡合わせの真実。
挫折と愛。

しかし、この世は生きるに値すると、誰かが伝えてあげなければならないほど生きにくい、ということでもあるのだ。

マット・リドレーの「繁栄」を読めば、確かに人類は進歩の道の上にあり、現代はかつてない繁栄の時代であることはわかる。
しかし、集団的生活を送る生き物の多くは、勢力が弱い時は団結して外敵にあたるが、勢力が強くなれば、集団内での競争を激しくしてより優秀な遺伝子を残そうとするものだ。
これほどに密集して生きる現代の人間が、どんなステージにあるかは明らかだ。

強者と弱者、美と醜、賢と愚。
僕らの遺伝子はストレートな二分法を要求するのに、もはや袋小路に入った感さえある成熟した文明の中で育った僕らのココロは、それぞれが自分らしくありたい、という欲求を抑えることはできない。
この葛藤が我々の「生きにくさ」の正体ではないか。

だから誰かが「この世は生きるに値する」と教えてあげなくてはならないのだ。
今やこのメッセージが必要なのは子どもばかりではない。

歌で、
物語で、
教育で、
政策で、
そしてせいいっぱいの愛で、
新しい時代の「生存戦略」を描いていけるといいと思う。

2013年9月4日水曜日

昨日と同じように生きるのは難しい

お店用に引いている固定電話は、東日本大震災で結局4〜5日はダウンしたauひかり電話を見事にバックアップしてくれた。
だから、しきりにNTTの代理店が電話してきて、ひかり電話への切り替えを薦めてもすべてお断りして、頑なに固定電話を維持している。

ところが、最近この固定電話に、新しいプランを作って安くしたのでそちらのプランに切り替えて欲しいという営業電話が頻繁にかかってくるようになった。
「同じNTTのプランですからいいですよね、安くなるんだし」と言うのだがちっとも良くない。


ガス料金だって、水道料金だって、電気代だって、値上げをする時は報道で知らされるだけで勝手に値上げして請求してくるのに、電話とかインターネットに限っては値下げをする時に、わざわざ電話をしてきて何らかの契約が必要だっていうのが、そもそもキモチワルイ。
そう思いませんか。

だから僕はそういう話に耳を傾けない。
プランを切り替えたことで生じた誰かの契約金は、商品のイノベーションの結果ではない。
無から金を生み出した「無理」は、必ず廻り回って、僕ら自身に返ってくる。
アベノミクスが生み出した円安と株高が、僕らの生活を支える必需品たちの悉くの値上げに姿を変えて返って来たように。


我々は昨日と同じように生きるのが難しい生き物だ。
いつも何らかの変化を求めている。
良くなっていない、のは悪くなっているのと同じなのだ。
そのようにして積もり積もった「無理」は、定期的に我々の社会を戦争や大不況などといった思いもかけない大きな怪物に姿を変えて襲い、いくつかの文明をまるごと葬ってきた。

僕はそのような企みに加担したくない。
無理筋を通して、自分以外の何かになりたくはない。
なるべく昨日と同じ明日が来るように、ありったけの情熱で「自分自身」であり続けたい。
だから、少しでも昨日より美味しい珈琲ができるよう精進をするのだし、その精進なくしては昨日来てくださったお客様も今日来ていただけるとは限らないのだ。

昨日と同じように生きるのは難しいが、そのための努力は、すべてが自分に向いているぶん「嘘」の入り込む余地がないところがとてもいいと思う。

2013年8月25日日曜日

図書室「未完成」: 浅田次郎「終わらざる夏」

図書室「未完成」: 浅田次郎「終わらざる夏」: 高校を卒業するまでを釧路で過ごした。 だから北方領土のことは他人事ではなかった。 大恩ある先生から、ラーゲリに収容された経験をお聞きしたこともある。 尊厳を奪われるということが、どんなに怖ろしいことか想像しただけで身が震えた。 だから、浅田次郎さんの「終わらざる夏」は...

2013年8月21日水曜日

カップの取っ手は右か左か

大学生の頃、ススキノの深夜喫茶でバイトしていた。
珈琲のご注文だけは、常時たくさん作ってある珈琲を自分でカップに注いてサーブするスタイルだった。

カップの取っ手は左向きに置く、と習った。
何故か、は聞かなかったし、別に疑問にも思わなかった。


自分で店を始める時、珈琲は焙煎の修行もしたし、淹れ方はKONO式の総本山、珈琲サイフォン社で社長に一から習った。じゃやっぱり美味しい紅茶も入れたいじゃん、と思い、日本紅茶協会のインストラクター資格のための講習会を受けに二週間通った。

その授業の中にカップの置き方の項があり、取っ手を何故左に置かなかればならないかの説明があった。
それはなんと、砂糖とミルクを入れてスプーンでかき混ぜる際、スプーンは(利き手の)右手で持ち、左手で取っ手を支えるという作法があるからなのだそうだ。
なんと、というのは、自分ではスプーンでかき混ぜるときにカップを支えたことがないからだ。

また、飲むときにズルズル音を立ててるのもお作法に適わないので、彼の地では何も入れなくても温度を下げるためにかき混ぜる人が多いのだ。
だからカップの取っ手は基本的に左側。
さすが英国。
日本でもきっと上流の方々は取っ手を支えてスプーンをかき混ぜるのだろう。


さらにかき混ぜ終わった後、スプーンをソーサーの奥に置き、左手でソーサーを持ち上げて、右手で取っ手を持ちくるりと180度カップを廻して飲むのだそうだ。
うーん、そういえば映画なんかでソーサーを持ち上げて飲んでるの見たことあるなあ、などと感心しながら聞いていた。

そういうわけで映画を観る時、カップがどんなふうにサーブされるか注意して観るようになったが、ハリウッド映画では基本的に取っ手は右側で、ガチャンと置かれたカップ&ソーサーからおもむろに取っ手を持ち何も入れずに飲むようなシーンが多い。
まあこちらが実用的というものだ。


作法は重要だが、すでに真意は見失われ、取っ手が左にあろうと右にあろうと取っ手を支えてスプーンをかき回す人はいないし、温度が低くなった後でもズルズル飲む人はズルズル飲む。

というわけで当店では、取っ手右側の「アメリカ式」を採用している。
無作法の段、ご容赦いただきたい。

2013年8月19日月曜日

Girasole Records Blog: 崇高さと愚かしさのブルース - 佐野元春「Zooey」

Girasole Records Blog: 崇高さと愚かしさのブルース - 佐野元春「Zooey」: 2013年3月13日、自身の誕生日に発売された佐野元春のアルバム「Zooey」を折りにふれ聴き続けてきた。 五ヶ月の間に、少しづつ言葉が耳に残り、ようやくこのアルバムに託した元春の願いのようなものが聴こえてきたような気がした。 前作「Coyote」で急速に喪われた佐...

2013年8月17日土曜日

図書室「未完成」: コニー・ウィリス「エミリーの総て」 - 愚かしさの選択についての物語

図書室「未完成」: コニー・ウィリス「エミリーの総て」 - 愚かしさの選択についての物語: SFマガジンでコニー・ウィリスの特集を組んだのは知っていた。 しかし文芸雑誌には、連載小説があったりするものだから、毎号買わないと十全に楽しめない気がして購入をためらっていた。 そうしていると、コニー・ウィリスを僕に教えてくれた友人が、どうせ棄てるものだから、とその特集が載...

2013年8月15日木曜日

有機農法の珈琲は美味しいか

珈琲の自家焙煎店をやっていると、「有機栽培のコーヒーしか飲みません」というお客さんにお会いすることがある。
そこまで極端でなくても、たまたま仕入れた有機のマンデリンを販売していた頃には、やはり有機であるというだけで通常の栽培法よりも高品質であると感じるお客さんが多いようだった。


確かに高価格ではある。

工場で簡単に(製造や精製ではなく)固定できる窒素を、豆類を栽培して土に鋤きこむことで補充したり、化学的に合成できるリンやカリウムを、わざわざ魚を捕ってきて抽出したりするのだから、当然コストが嵩む。

害虫や病気に対しても化学物質を使わないため人手がかかったり、他の生物の力を借りたりするが、やはり生産能率は低い。

それだけではなく、「有機栽培」であるという認定をもらうのに、各種団体にいろいろな名目の料金を払わなくてはならない。

嵩んだコストは当然、料金に反映され、有機の豆は全般に少し高めだと思う。
もちろん中には、そのコストに見合う美味しい豆もある。
しかしそうでないものもある。

あくまでも味で豆を吟味して今年で7年目になるが、現在のラインナップには有機の豆はひとつも入っていない。
こと珈琲に関しては「有機だから」美味しいということはないようだ。

さらにここまで読んでお気づきになった方も多いと思うが、通常の農業の何倍も環境にかける負担が大きい農法でもある。
ある試算では、地球上のすべての農法を有機農法に切り替えると、ほどなく地球のすべての水産資源と森林資源を使い尽くしてしまうそうだ。

化学的なプロセスを使って固定した空気中の窒素を畑に鋤き込むのを拒否して、トロール網で捕らえた魚を砕いて鋤き込むのはいいとする有機農法の考え方にもある種の欺瞞を感じる。
物事にはいろんな側面がある。


夏になると、ケーキのメニューにベリー類を使ったタルトをお出しする。
このベリーには、余市の稲船ファームというところでお作りになっている有機農法のものを使っている。
ケーキにベリーを使うということは「甘い」食材と組み合わせて使うのが前提なので、ワイルドで強い風味を持つ有機農法のベリーがいい。
ちょっと稲船ファームの写真を見て欲しい。


もう、自然そのものでしょう。
虫のことや収穫などには大変なご苦労をされて、それでも自然に近い環境の中で厳しく育ったベリーの身(実)の裡にしか宿らない強い風味は本当に貴重だと思う。
ここに有機農法の必然性があると思った。

しかし、カシスやイチゴの強い風味と組み合わせてまろやかさを演出するブルーベリーだけは、この作り方では強すぎる。
で、小林ファームという別の農園にお願いしている。
こちらが小林ファーム。


ずいぶん違いますね。
このクリーンで都会的なブルーベリーが、見事な味のまとめ役を担ってくれるのだ。

繰り返すが、物事にはいろんな側面がある。
札幌のケーキ店を廻っていろんなケーキを食べた、という食通のお客様は、我々のケーキのひとつひとつに詳しい説明を求め、「でそのイチゴは甘いの?」とお聞きになった。
ショートケーキのイチゴが甘かったら台無しだろう。
答えに窮したが、酸味の強いイチゴを使っています、としか答えられなかった。


作っている側は、経験によってしか得られない知見でできるだけ良い商品を提供しようと努力している。
それが「有機」だから、「有機」でないから、の一言で片付けられた時の脱力感といったらないし、常に甘いイチゴが優れているとは限らない。


食品の世界では、消費者がより安全で美味しい食品を求めているが、そのための情報も一面的に見ては理解できない。

有機ビールと銘打ったビールのほとんどはゴールデン・プロミスというオオムギを使って醸造されているが、これはイギリスで大量の放射線を浴びせて作られた変異種である。
有機農法、という言葉から感じられる「自然志向」とは本質的なところで逆向きの食品であるように僕には感じられる。

今時のほとんどのスパゲティには「100%デュラム・セモリナ」という表示があって、ある種の品質保証のように機能しているが、このデュラム・コムギも、放射線照射によって作られた変異種だ。

そんなことを言うと、現在我々がコムギと呼んでいる植物自体が、三種類のイネ科植物に由来する三つの二倍体ゲノムを持つ変異種で、人間の手助けがなければ子どもを作ることすらできなくなってしまった生物だ。
現在入手できるほぼすべての農作物が、人間の手によって、長い時間をかけて何らかの改変を加えられている。
そして、もしその技術をすべて手放して、自然のままに生きようとすれば、あっという間に地球が「破産」する。我々すべてを養うには、この地球という惑星にすでに人間は多すぎるのである。

こんな時代、せめて自分の味覚を信じて食べ物と接するしかないと僕は思う。

2013年8月1日木曜日

不景気ってなんだろう

どちらかというと、モノを捨てすぎて後悔するタイプだと思う。

今でも痛恨だと思っている断捨離は、せっせと買い溜めた映画やロックの「レーザーディスク」だ。
「セントエルモの火」や「スタンド・バイ・ミー」、「私をスキーに連れてって」など、テープと違って劣化しないから、何度も何度もお気に入りのシーンを観たせいで体の中に染み込んでいる映画たちがある。
スプリングスティーンや佐野元春のライブに興奮し、岡村靖幸の音楽は、まさに彼の肉体から生まれ出てくるのだなあと、彼のダンスシーンを見て確信したり。

確かにDVDやブルーレイで買い直せないコンテンツは滅多にないだろうし、画質、扱いやすさなど、どこをとってもDVDやブルーレイなどと較べていいところは無いのだが、あのモノとしても圧倒的な存在感や、愛情たっぷりに企画されたに違いないジャケットデザインなど、レーザーディスクというメディアは「所有するヨロコビ」に満ちている。


そこんとこは自分でもわかっていて、アナログレコードは今でもCDよりずっとよく聴いている。
LPは愛着を持ったままで、LDは捨ててしまったその理由はLDの再生機に愛着を持てるよい機械を選ばなかったことにある。

金がない若い頃に買った僕のレーザーディスクプレーヤーはパイオニアのCLD-110というCDとのコンパチ機で、安価で素晴らしい映像体験を与えてくれたことには感謝している。
だからこそ私は、レーザーディスクのハードとソフトを二束三文で売り払うのはなくて、あの時むしろ最後の投資として高級機を買うべきだったのだ。


そして世は直径12cmの光学ディスクにデジタル信号を刻んだパッケージが標準となり、ユーザーも面倒な手間なく手軽に映画や音楽を楽しめるようになった。
供給側は、まるで印刷をするような軽やかさで大量生産ができ、コンパクトになった分だけ流通費用もセーブできた。

コンピュータの機能が拡張していき、これらのデジタル信号を扱えるようになると、それらは容易にコピーされ、ネットワークの進展に合わせて著作権者の目を盗んで、何処にでも飛んでいくようになった。

今まで経済的な理由で、そうしたすぐれた芸術に触れる機会を持ちにくかった若者たちも、より多くの感動を得られるようになった。


しかしその現状を音楽や映画を「盗まれている」と解釈した人たちは、CCCD(Copy-Controlled Compact Disc)なる珍妙な規格まで作り出し、低音質の商品を流通させたし、映画でもARccOSのようなディスクの挙動が不安定になるコピーガードを搭載しては古いプレーヤとの間に不具合を起こしている。

CDやDVDの寿命も、当初喧伝されていたような長寿命ではなかったし、ソフト側に仕込まれた規格外の仕掛けのおかげでプレーヤーの寿命まで短くなった。

テレビの走査線の数は増えていき、その度に放送のクオリティが変わり、機器の買い替えを迫られる。

デジタル機器にはICチップが仕込まれ、事業者からのメッセージを否応なく受信する。
今までのように、「俺は受信料は払わねえよ」などと気取ってはいられない。

自宅で録画した番組はコピーする回数を決められ、一定以上の回数コピーすることはできないし、番組によってはコピーすると本体のデータが削除されるようになっているものもあると聞く。


何も便利さが悪いと言っているのではない。
が、CDにしてもDVD/Blu-rayにしても、あのような軽佻浮薄なパッケージが標準仕様である以上、そこに愛情を感じることは難しいのではないか。
どうせすぐに買い替える、と思って買うデジタル機器にもだ。

そういう扱いを受ける製品に愛情をこめて作るメーカーもないだろう。
若者が車を欲しがらない時代に、工場から出荷される、規格に添って生産された芸術作品を売ろうとして売れるような気は全然しない。残念ながら。


そうしてモノに縛られない風潮は加速していく。


結局のところ、我々が不景気と呼んでいるものの正体って、経済学者が難しい言葉で語るあれやこれやのロジックではなくて、我々自身の貧しくなった精神のことなんじゃないだろうか。

2013年7月30日火曜日

Girasole Records Blog: アナログレコードと、芸術の死と再生

Girasole Records Blog: アナログレコードと、芸術の死と再生: 未だに、一番よく使う音楽メディアはアナログレコードである。 それは単純な話、音楽に夢中になった少年時代、音楽メディアの主力はアナログレコードだったから、なけなしのカネでレコードのコレクションを揃えたし、だから強い愛着があって、今でも所有しているからに他ならない。 時代が変...

2013年7月14日日曜日

個人事業主、選挙に向き合い、そして思う

来週は参院選の投票に行く。
機会があって夏目漱石を紐解いたり、幕末あたりの顛末を調べたりして、今の日本の成り立ちを知れば知るほど、どうしていいのかわからなくなる。

学者さんの言う、難しそうに聞こえる「説」は、今までのいろんな事についてそうだったように、それがどんなに正しそうに思えても、多くの場合は結果そのようにならない。
で、後からこれまた正しいとしか思えない別の説によって説明される。
そういうものだ。

だから結局のところ選挙というのは、この予想どおりにならない成り行きの責任を国民の全員で分配するシステムなんじゃないか、と思う。

なるようにしかならない、ということだ。
でも、こうなって欲しい、ということならわかる。


自分は世間知らずの大学生のまま、平成元年というバブル絶頂期手前の幸せな時代に、たいして苦労もせずに就職した。
そして「子供」のまま社会で働き始めた。

仕事は山ほどあった。
若造の私にも大きな仕事がいくつも回って来て、直接的な仕事の技術はもちろん、社会のことや人間のことについても急速に学んだ。

バブルが終わり、市況が厳しくなっていくと、その学んだ技量だけでは成果が上がらなくなってきた。
チームでより多くの情報を集めたり、得意分野を補い合ったりすることが必要になったし、それはそれ自体がとても楽しい経験だった。

仕事自体を楽しむようになると、それなりの地位に就くようになる。
そうなってみて会社というものも誰かの意思で動いているのだと知るようになる。

現場で忙しく立ち回っている時は、マーケットと対峙するのが事業のすべてだと思い込んでいる訳だが、考えてみれば会社というのは誰かが立てた旗の下に集まった集団のことだから、はじめに意思ありきなのは当たり前の話だ。

だからそこには、必然的に意思の相克が発生する。
そして下手をすると顧客に相対する以上のエネルギーを社内の調整に充てることになる。

むろんある程度の規模をもった企業にしか提供できないサービスはあるし、そうした組織ではこの種のエネルギーは必ず必要なものだ。

しかし私自身は会社での経験を通じて、そうした意思の相克を必要としない、極めて「個人的な」事業のありように惹かれていった。
逆に言うと個人的な事業は、他者の意思との相克によって磨くことが出来ない分、維持していくのが極めて難しい事業形態だと思う。


結果、会社を辞めて家族経営のカフェを開くというチャレンジは丸7年になろうとしているが、現時点では幸運の助けもあって満足のいく成り行きになっている。
今後もこのスタイルでがんばっていきたいと思っている。

正直なところ収入は比較にならないほど少なくなったが、はるかに日々の充実感は高い。
余計なお世話かもしれないが、こういう充実感もいいもんだよと世界中に伝えたい気分だ。

だから、地域に根ざした心あるスモール・ビジネスを壊してしまうような国になってほしくない。


この仕事を通じて知り合った余市の農家さんたちは、皆家族で実に個性的で魅力的なスモール・ビジネスを展開している。
自分で育てた野菜だけを食べさせて太陽の下で育てた鶏の卵のあの自然な味。
その鶏の糞(まったく臭くない!)を肥料に育てている、大きさこそ不揃いだが、実に野趣溢れるベリー。

ビジネス的野心ではなく、鶏糞が繋ぐ農家のネットワークが、私たちのケーキの味を支えている。
失いたくない。


かなり前から牛乳の国内需要は減る一方で、日本の畜産農家はバター用の牛乳が採算に合わなくなり、現在は主にオーストラリアからの輸入に頼っているのが現状だ。
しかしそのために、近年の世界的な天候不順で牛乳の輸入が侭ならなくなると、あっという間に国内のバター流通が枯渇するのを何度も見て来た。

経済的効率性が最優先されるこの国で、現在では、美味しいクッキーを作るのに必要な発酵バターを作っているメーカーはほとんどない。
残念ながら、乳製品に関してはもしかしたら手遅れなのかもしれない。
僕たちはすでに、かつて人気のあったいくつかの商品を、今では作れなくなってしまっている。
バターがなければマーガリン、というようなわけにはいかないのだ。

我々の「豊かさ」とはGDPとやらの多寡で本当に計れるのだろうか。
そしてそれはお札をたくさん刷ることによって実現すべきものなのだろうか。


今回の選挙ははじめてのネット選挙だそうなので、せっかくだからこちらの気持ちもネットの方に載せておくべきではないかと思い、書いた。
そしてこのような想いは、どのようにしても「一票」に載せ切ってしまうことはできないだろう。
つまりそういうことなのではないか。

結局「生」は個人のものだ。
真剣に生きる個人が積み重ねていく日々の全てで、国家も社会も経済も出来ているんだと思う。

2013年6月21日金曜日

ある後悔の記憶

このカフェをはじめるまで働いていた会社で、私は専門学校の進学情報誌を作っていた。
その頃の同僚から、私が担当していたある学校の経営者について覚えていることがあれば教えてほしいと電話があった。
該当の情報が載っていそうな資料の在処を伝えて電話を切った。

私には、その学校との間に未だ消えぬ後悔の念があり、しばし頭の中に当時のことが浮かんでは消えた。


その学校で、私は経営者サイドから、変革を拒む現場教員を説得して教育機関をとりまく厳しい環境を認識させて欲しいと要望されていた。

事実、高等教育機関に入学する18歳の人口は減り続けていた。
大学に入学しやすくなるため、「大学に行けなかったから」専門学校に入学してくるという人はほとんどいなくなっていた。

経営サイドとしては、激化したライバル専門学校との競争に勝ち抜くために、他校にはない新しい商品=学科を生み出して競争力を強めたいと思うのは当然だ。
しかし、教育に専心してきて、今までの教育成果に誇りを持つ教員の皆さんは、そういう迎合的な商法には否定的だった。

それに、「大学に行けなかったから」な人たちのかわりに現れたのは、「もう勉強したくないから」という人たちで、こういう人たちはむしろ「訓練機関」である専門学校でこそドロップアウトしてしまう人たちなのだ。
当然職業教育機関である専門学校としては、その仕事に就くための技術が欲しいと思っている人たちに入学して欲しい。
今までの質実な教育方法にこだわる教員の皆さんのお気持ちも大変よくわかるのだ。


必要なのは説得ではなくお互いの「理解」であるとわかっていた。

教育の品質を置き去りにした学校改革なんて絵に描いた餅だ。
餅なら捨てれば済むが青春の貴重な時間を差し出させる教育機関ではそれは許されない。

経営を置き去りにした教育現場もまた絵に描いた餅だ。
自分たちの磨いてきた教育スキルを適切な人たちに届けるための努力をどうして他人に任せるのか。

でもその学校で、私はどうしてもそれを言うことができなかった。


社内ではどちらかというと温和なキャラで通していたが、現場での私は短気な営業マンで、学校では相手が理事長であろうとも、教育の品質を軽視した広報プランを指示されると本気で噛み付いてきた。
そうして喧嘩をしてきたお客様には、皆さん今でもあたたかくご親交いただいている。

たぶん、その学校では心からの信頼を得ていなかったのだと思うし、その学校の教育現場の質実さに心からの共感を持てていなかったのだと思う。


そんな時、経営サイドから大きな広報プランの発注があった。
今にして思えば断るべきだったのだと思う。

でも私は曖昧な気持ちのままその仕事を受けて、現場の責任者の方と打ち合わせを始めた。
現場の協力を得られないままどんどん捩じれていく事態。

それでも私はその仕事をやって15年目。
収束のイメージを持ててもいたから、ひとつひとつレンガを積むようにゴールを目指した。
現場の責任者の方の心に大きなダメージを与え続けていたのに気付かないまま。


ある日、責任者の方が倒れたと連絡が入った。脳梗塞だった。
「自分のせいだ」と思った。
見舞いには来るなと言われた。
私は、自分に出来ることをするしかなく、仕事の納品に向けてまたレンガを積みはじめた。

なんとか期日どおりに納品を果たして、電話もせずに学校に行った。
手術が成功して学校に復帰なさった責任者の方がロビーにいらした。
深く頭を下げることしかできなかった。
何と言えばよかったのか。

「あなたのせいじゃありませんよ」と言っては下さったが、肩の荷は降りなかった。


だって、そこには絶対にいくばくかの責任があって、しかも学校の人間でない私にはその責任を取ることはできないのだ。

その仕事を離れて何年もたった今でも、その方には本当に申し訳ないことをしたと思っている。
忘れるつもりはない。
責任を取れないことの重さごと、ずっと憶えていようと思う。
それだって、僕の大切な一部なのだから。

2013年6月16日日曜日

父の日に思う、父のこと。

今日は父の日なので、父のことを記そうと思う。

父は大学で体育を教えていた人だった。
だから運動音痴の僕のことがきっととても歯痒かったろうと思う。

小学生の時、足も遅かったし、持久力なんか欠片もなかったから、校内のマラソン大会ではいつも限りなく最下位に近かった。

そんな僕に、父は毎朝一緒に走ろうと言ってくれて、お酒を飲んだ翌日なんか辛かっただろうけど、毎朝毎朝ランニングに付き合ってくれた。

父は教師であった。
だからただ走ったりはしない。
走り方を教えながら走ってくれたのだ。

父はどんなときも問題をワンイシューに変換して説明するのが上手かった。

「走る時のエネルギーは太腿が上がる角度が作る」

この時教わったこの言葉は、足を速く動かすことを支配する「原理」を表現するものとして、その後僕が社会で働く中でぶつかったいくつもの問題を考えるとき、いつも頭に浮かんだ。

正しい理屈には結果をもたらす力がある。
この年僕は、マラソン大会で上位40%くらいに入る「大躍進」だった。
あまりに速くゴールラインにたどり着いたので、応援に来てくれた家族はあやうく僕の姿を見逃すところだった、という。

スキーも縄跳びも野球も技術ではなく、それが「重力との戦い」であるという視点から語られた。


「その事象を支配しているたったひとつの原理を探す習慣」、が父が僕に長い時間をかけて教えてくれたものだと思う。

子どもだからと思わずに大切なことを伝えてくれようとしたことに今ひたすらに感謝している。
僕は僕の社会経験でこの習慣を鍛えて来たつもりだ。

そして僕にも今は父と呼んでくれる娘がいる。
この宝物を娘にきちんと伝えていくことが父への恩返しだと思う。

2013年6月9日日曜日

「ナカナオリ」の歌

 ずっと以前、「ナカナオリ」という曲を書いた。

同じ職場の同僚と、ささいなことで仲違いして、一年近く最低限の会話しか交わさなかったことがあって。
一年もたってからやっと冷静になれて、自分が悪かったと気付いた。
仲違いの気持ちの裏で、自己弁護をしたくて相手を責めていたのだと気付いたのだ。

最低だと思った。
その時の気持ちを書いた歌だ。


先日、幼い頃長く住んだ釧路時代に、近所に住んでいた幼なじみが、突然お店に訪ね​てきてくれて35年ぶりの再会を果たした。

親同士が懇意だった我​々は両家の(たぶん)母親の計画で、小学校の夏休みにふたりっきりで近所にあった​釧路市青少年科学館に行った。

幼なじみは女の子だったし、僕らはまだ小学校三年生で、最初てれくさくて道幅いっぱいに離れて歩いて​いた。
でもプラネタリウムを見たり、いろんな実験を一緒にやったりで、帰り道気がつくと二人で大笑いしながら歩いてい​た。

迎えに出てきた母親たちが「ずいぶん仲良くなったのね」と言ったのを聞​いて我に返った僕はそれから彼女のことを避けるようになってしま​い、そのことがずっと心に刺さったトゲのようにチクチクしていたのだ​。

決して忘れた事のない、後悔の記憶。


でも35年ぶりにあった彼女は、そんなことまったく憶えていないかのような、昔のまんまの笑顔だった。
たぶん本当に憶えていなかった、いや気付いてすらいなかったのだと思う。
だから彼女とは「仲直り」する必要はなかった。
ただ旧交を温めればよかった。

でも僕には、たとえ彼女がそのことを憶えていなくても「その頃の自分」とは仲直りする必要があったのだ。
だって35年間感じてきた胸の痛みは確かに僕のものだったのだから。


結局のところ、仲直りというのは、過去の自分をありのままに認めることなのではないだろうか。
過去を変える事はできないというが、そんなことはない。

誰だって自分の行動の記憶は大なり小なり美化されているし、正当化されているものだ。後付けの理屈だって付いているだろう。
誰かとの仲違いがあったとして、美化や正当化の理屈のすべてを剥ぎ取って、自分のしたことと向き合ってみたとき、自分とそして誰かとの本当の意味での仲直りが出来る。
そんな気がする。


18年も在籍した会社で、僕は九ヶ月だけ部下を持っていた時期がある。
それは長い間念願していた職種で、自分の培ってきたものをメンバーたちに伝えながら、現場の情報を「適切に」経営陣に伝えることで事業の方向性に影響を与えられるポジションだった。

最初の半年ほどはそこそこ順調だったが、最初の部下の査定で、たぶん僕は部下たちの考えている事をうまく汲み取ってあげる事ができなかったのだろう。
不満は増殖して波及した。
結果チームの業績は目に見えて落ちてきて、僕はお役御免となった。

ずっと後になって、当時の上司に「あのままやらせないほうがいいと思った」と聞いた。その時はもうずいぶん気持ちも落ち着いていて冷静に聞きはしたが、納得はいかなかった。
その後も、同じ事業部でそれなりにがんばってみようと思ったが、どこか心に引っかかるものがあって、完全に昔のままの情熱で仕事にあたることは出来なかった。


本当に納得がいったのはこのCafeを開いてからのことだ。
ここは夫婦二人でやっているわけだから、経営判断だって全部二人で下していく。
何年も一緒に暮らしている夫婦でこんなに考え方が違うのか!と毎日のように驚く日々だ。
ましてや会社でたまたま席を並べた年齢も全然違う部下たちとは、感じ方や好ましいやり方も全然違うはずだ。

なのに僕は彼らの前で得意になって昔の成功談を繰り返していたのではなかったか。
話し合おうと設定した場でも、上から目線で譲歩ラインを提示しただけではなかったか。

・・悔しいなあ。
と心から思った。涙も出た。

その時僕は、その頃の自分と「仲直り」をしたのだと思う。


その当時のメンバーたちも各方面で活躍していると聞く。心から応援している。がんばって欲しい。僕も負けずにがんばる。



いろんなものを経てきた今の自分で、新しい「ナカナオリ」という曲を書いてみたいと今思っている。自分との「ナカナオリ」の歌を。

(旧Cafe GIGLIO Blogから、加筆修正して転載)

2013年6月4日火曜日

珈琲は黒いダイヤなんかじゃない

コーヒーの原産地であるエチオピア・イエメンの豆を「モカ」という。
これは豆の積出港だったイエメンのモカ港に由来する。
海外で人気があった有田焼が、積み出された港が伊万里だったため「Imari=伊万里」と呼ばれる式のあれだ。

コーヒーが飲料として世に出てきた17世紀当時、アラビア半島はイギリス帝国の支配下にあり、モカ・コーヒーの貿易権は当然イギリスが独占していて、かなり高額の関税をかけていた。
その当時はまだ、エチオピア近辺の東アフリカとイエメンでしかコーヒーは栽培できなかったのだ。

ヨーロッパ列強も自らの植民地でコーヒー栽培を試みるが、なかなかうまくいかない。
最初に成功を収めたのはオランダがセイロンやジャワ島に苗木を持ち込んで栽培したものだ。

オランダ東インド会社は、この東南アジアのコーヒー豆を収穫後すべてをモカ港に一度集積して、その時のエチオピア豆よりもいくぶんか安い値を付けて勝負に出た。
いいかげんイギリスの独善的な関税政策にアタマに来ていた市場は、この安価なオランダの豆を歓迎し、ヨーロッパ全域を席巻することになる。

商売にならなくなったイギリスはモカ・コーヒーに高い関税をかけるのをあきらめ、あらたな儲け口として中国からの「茶」の輸入に力を入れるようになり、紅茶の王国イギリスへの道を歩み始める、という訳だ。


その後ジャワ・コーヒーは隆盛を極め、現在もプログラミング言語の「Java」(もちろんジャワのことです)のアイコンにコーヒー豆が図案化されているくらいだ。
しかし、好事魔多し。

残念ながらセイロンはコーヒーさび病という天敵で全滅、ジャワも大きな被害を受け、両産地とも茶の栽培に舵を切っていくことになる。



中国茶の輸入に乗り出した英国は、コーヒーにおけるオランダの成功を真似しようと、なんとか自分の植民地のインドあたりで茶の栽培ができないかと試行錯誤をはじめた。
しかし、中国茶はインドの気候では栽培ができない。

そんなある日、英国東インド会社の少佐(この役職名からわかるように、東インド会社は植民地の治安維持軍の役割を担っていた)がインドの山奥で自生している新種の茶の木を発見!
これをインドで栽培して、英国の覇権は再び確固たるものとなっていく。
当時ヨーロッパは王宮を中心に中国風の生活をすること(シノワズリーといいます)が流行していて、茶は上流階級の必需品だったのだ。

後は歴史の繰り返し。
茶の関税はまた上がり、反発したアメリカ大陸の植民地で「ボストン茶会事件」が起こり、アメリカの独立へと繋がっていった。


そして時代は変わり、グローバリゼーションが進んだこの世界でも同じように歴史は繰り返されているように見える。
しかし、現代のありようを見ていると、帝国主義の時代のほうが正々堂々としているように思えてならない。
少なくともあの時代、国の未来を託すべき作物は、自らの力で発見しようと努力されてきたし、植民地化という方法は必ずしもフェアとはいえないが、自国の領土として統治はしているわけだ。

翻って現代をみると、アメリカやEUは国内の農業に国家として豊富な補助金を拠出し、かつての植民地がいくら良い生産品を作っても価格競争力を持てないようにしている。
しかたなく、国際的な巨大資本に言い値で売るためどんどん価格は下がっていく。

このどこまでいっても開発途上国に不利な枠組みを是正するため、ウルグアイ・ラウンドで農業補助金の撤廃が採択されたが、先進国組は(と言うより、食品コングロマリットが)これを不服とし、2003年メキシコのWTO閣僚会議で、まったく逆の方向に議論の舵を切っていく。

この大規模な国際会議に、アフリカでは代表団を三名しか送れない小国もある中、EUは650名の大規模な代表団を組んで会議に乗り込み、たくさんの分科会を同時に走らせて、充分な対話を行わないまま、会議を押し切ろうとした。
アフリカ勢はこれに反発。
対話は暗礁に乗り上げたまま、現在も搾取は続いている。

机の上で計算されたり、会議室で繰り広げられる深謀遠慮から生まれる抽象的な勝利や成功はもういい。
コーヒーはコーヒーであって、黒いダイヤではないのだ。

品質の高いコーヒー豆を生産して、技を尽くして焙煎して、丁寧に抽出する。
そうしてできた一杯のコーヒーへの称賛や正当な報酬が当たり前に得られる世界を、半ばあきらめながら、それでも心の何処かに希望を抱いて、僕は今日もこのコーヒーを丁寧に丁寧に一杯ずつ淹れるのだ。



2013年5月30日木曜日

1979年のLed Zeppelin

お客様に、珈琲を褒められるとちょっと照れくさい。
小さな頃から、なんでも一人でできるようにと、母は簡単な料理や、洗濯、掃除といった家事一般を教えてくれたが、不器用な僕はどの家事も得意にはならなかったから。

開店を決めた時、その母は、あんたみたいに不器用なのに店なんてできるわけないでしょ、と言ったものだ。実は自分でもそりゃそうだと思っていた。

もちろん「仕事」として充分にディシプリンを積み、綿密にプランした「商品」を作ることができたと思うから開業もしたわけだし、自信も持ってはいる。
それでも今こんな仕事をしているのは、やっぱりなんだか不思議に思えるのだ。

そんな僕が、やはり一生の仕事にこれを選んだのは、やっぱりあの時の「あれ」かなあ、と思うことがひとつある。


1979年。
中学2年生の時、文化専門委員という生徒会の仕事を仰せつかった。

委員長は同級生のお兄さんで、高橋さんというロック好きの人だった。
その人は、ニューミュージック全盛の当時、自分の大好きなハードロックをみんなが聴かないのは単に聴く機会がないからに違いないと信じて、果敢にも放課後の音楽室でブリティッシュ・ハードロックの雄LED ZEPPELINのレコード・コンサートを生徒会主催行事として敢行した。

自分で一枚だけ買ったLed Zeppelinの4thアルバム。
名曲「天国への階段」収録のこのアルバムにはタイトルがなく、メンバーを表象したシンボルが4つ記されているため、一般にはIVとかFour Symbolsとか呼ばれている。


観客は20人くらいだったろうか。
私は委員として運営の手伝いをしていたのだが、その音楽があまりにも素晴らしくて仕事どころではなかった。
このレコード・コンサートがどのくらい音楽的啓蒙に寄与したかはわからないが、少なくとも一人は多いに感化されたわけだ。

翌年彼の偉業を引き継ぐべく、レコード・コンサートの継続を公約に、生徒会役員改選選挙にて文化専門委員長に立候補した。
しかし、レコード・コンサートのことしか考えていなかったためか見事に落選して、しかたなく高橋先輩に録音してもらったLED ZEPPELINのテープを自室で聴き続けた。


人が集まっている場所でレコードをかけて、誰かがその音楽に感動する。
この時のレコード・コンサートはいくつかある私の音楽的原風景のひとつで、自分が今カフェなどをやっていることのバックグラウンドの重要な一部を成しているように思える。

今でもレコードが好きなこと。
自分はAudio Phileではなくて、Music Loverだと思いたいのに、やっぱりオーディオ機器そのものも大好きなこと。
そういうことも、この時に生まれた僕の一部なのかもしれない。

この機会に、カフェジリオにお迎えしたお客様に素敵な音楽をお聴かせするために用意したオーディオ機器について、ご紹介しておこう。


このスピーカーは、英国タンノイ社のグリニッジ(Greenwich)というやつで、1986年頃のものらしい。
この店を出すときに、どんなスピーカーを置くか色々見て回った。今人気のある新しいスピーカーは、どれもスタイルが細身でなんだか気分が出ない。
でもJBLの大型機は大音量でないと真価が発揮できていないように感じたし、アルテックは感覚にぴったり来てぜひ欲しい!と思ったけどちょっと古すぎて業務で使うのは不安だった。
で、タンノイを聴いてみようと、アーデンという大型機を置いている喫茶店があると聞いてお邪魔したBasicというお店で、サブに使われているこのグリニッジの音と顔に一目惚れしたというわけだ。


アンプは、ちょっとだけ紆余曲折したが、最終的にこのスウェーデンのCoplandブランドCTA401真空管アンプに落ち着いた。
92年ごろにパイオニアが輸入していたものらしい。

当初アメリカMcIntosh社の真空管アンプでやっていたのだが、故障が続き、その度に大変な労力を取られるのと、お店のBGMってのはボリュームに気を使うもので、お客様からも随分「音量を下げてくれ」と言われて、それなら気の利いた、他所で使っていないプリメインアンプはないだろうか、と探していてこいつに出会ったのだ。


今までやってきたことや出会った人たち。
そんな日々の全部で今の自分なんだなあ、とあらためて思うわけで。
だから、自分だって誰かの大切な出会いのひとつでありたいなあと、心からそう思うのです。


(旧Cafe GIGLIO Blogから加筆修正して転載しました)

2013年5月28日火曜日

音楽愛好家の目から見た「珈琲」の味わい

コーヒーを飲んで美味しいと思う子どもは少ない。コーヒーや茶が「経験的味覚」と呼ばれる所以だ。

その「経験的」なるものの中核を成すのが、お馴染みの「カフェイン」という物質が作り出す風味だ。
カフェインというのは、誤解を恐れずに言えばコーヒーや茶の樹木が自らの身を害虫から守るためにまとった「毒」なのだ。

彼ら(コーヒーや茶)は、この毒をその身に持つために樹木としては非常に短命で、数年の寿命しかない。
そのかわり虫の脅威に晒されずに群生して勢力を伸ばしていく。そういう生存戦略を選んだ種族だ。

我々人類は、虫なんかよりはずっと耐性が強いので、このカフェインは「毒」としては作用せず、神経系に程よい「緊張」をもたらしてくれる。
イスラム教の公式飲料だったコーヒーがキリスト教でも認められて(本当に教皇に洗礼を受けたのだ)以降、昼間からワインやウィスキーばかり飲んでいて半分眠っていたヨーロッパ社会は、文字どおり「覚醒」したのである。

しかし、神経に緊張をもたらす程度とは言え、毒は毒。味覚中枢はこれを恐る恐る味わう。だからコーヒーの味は何度も経験を重ねて初めて味覚中枢の奥底まで届くのだ。


音楽に対する審美性もこれに良く似たところがある。

音は、空気の振動だ。
どんな音も正弦波と呼ばれる「波」が変調して音を構成している。
この波の特定の組み合わせで共鳴という現象が起こって、新しい音波が生まれる。
こうして音楽の美しい響きというものが作られているのだ。

西洋音楽の基礎は9世紀ごろに成立したグレゴリオ聖歌にある。
メロディーだけで出来ていて響くようなところはない。
後にオルガヌムと言われる即興で、多くは5度(ドに対するソ)の和声を重ねる技法が出てくる。
5度の和声は最も響きやすい波の関係で和音の最も基本的な構造だ。

オルガヌムの時代にも時に3度(ドに対するミ)の和声が使われることがあったが、これは5度に較べると奇麗なだけの響きではない、当時の人々にはちょっとした違和感を感じさせる響きがあった。
しかしだからこそ、この音には魔術的な魅力があり、すぐに基本的な和声音として取り入れられる。
和声的には重要な音で、この3度の音を半音下げると短調の和音になる。


バッハはこの理屈を鍵盤楽器で出せる12の音に当て嵌めて、12音それぞれの長調と短調の24の調性を使った24のピアノ曲を作った。
平均律クラヴィーアというピアノ曲のバイブルがそれだ。
18世紀中盤のことなので、3度の和音がもたらす緊張を経験的に審美できるようになるまでに700年近くかかっていることになるだろうか。

そして18世紀後半に登場するベートーヴェンによって、音楽の緊張を審美するムーブメントは急速に加速される。

なにしろ交響曲第一番の第一音が、下属調の属七の和音で、今で言うサブドミナント・セブンスという緊張感の高い和音だ。第一交響曲の第一音から、当時の不協和音の中でぎりぎり使用を許されていた音を使うというのがベートーヴェンらしい。
さらに有名な「熱情」というピアノソナタでは、これまたぎりぎりの不協和音、属九の和音を3楽章の冒頭に使っている。

どちらの和音も現代の音楽では何の違和感もなく使われる普通の和音だが、これも革命者ベートーヴェンあってのことと言えるかも知れない。

そして、現代の音楽ではこれらの属九、属七の半音上、下、そして11度、13度といった和音を駆使して、聴くものに様々な味わいを持つ緊張感を与えようと腐心しているというわけだ。

ワーグナーの有名な「トリスタンとイゾルデ」というオペラの序曲に至っては、最初から理論的に説明不能であるがゆえに「トリスタン和音」と呼ばれている奇怪な響きから始まって、とうとう楽曲の最後の最後に一回だけ主和音が登場するという破天荒ぶりだ。

しかし、それでもやはり最後には主和音が登場するというのが、音楽という芸術だ。
様々な響きや和声の進行を使って、主和音に辿り着きたいという心情的な緊張を作り出すのが作曲の技法の主体なのである。


こうしてみると人間というものは、どうしようもなく生きていくということの中に、変化とかアクセントとか、シンプルに言えば「楽しみ」というようなものを求める存在なのだと思う。


自分が作っているコーヒーという飲料も、きっとそのひとつ。
神経系に適度な緊張をもたらすコーヒーを作るための適切な苦味を引き出せる焙煎ポイントは一点しかなく、作り手側としての自分は、その一点を逃さないための緊張を、また楽しんで生きていこうと思う。
どうかよろしく。

(旧Cafe GIGLIO Blogから転載)

2013年5月27日月曜日

レモンティー

札幌もずいぶん春めいてきました。
まだ、アイスドリンクの注文が増えるほどではありませんが、「今日は紅茶にしようかな」という方が増える時期です。

どちらかというと珈琲は濃厚な味わい、紅茶はさっぱりした味わいというイメージがあるようです。
そしてそれは、珈琲の味の中核が「苦味」で、紅茶のそれは「渋味」であるからなのでしょう。

冒頭から脱線で恐縮ですが、よく珈琲の苦味はカフェインの味、という説明をネットなどでみかけますが、カフェインは確かに苦い物質ではありますがほんのりした苦味しかなく、感覚的には珈琲の苦味の10%ほどを担っているに過ぎません。
大部分は焙煎で生成するクロロゲン酸分解物や褐色色素群の味が苦味を担っていて、焙煎が進むと生成量が増え、さらに炭化していくため、焙煎が進むほど苦くなるという理屈です。
カフェイン自体は焙煎によって微減していきますので苦味への寄与度は減っていくのです。

それはさておき、カフェジリオは自家焙煎珈琲店ではありますが、紅茶も重要なメニューだと思っていますので、開業前にブルックボンドハウスのティー・インストラクター講座で2週間ほど集中的に勉強しました。
日本紅茶協会公認のインストラクター資格も取りました。
札幌の紅茶屋さんを回って、一番美味しかった石渡紅茶さんから茶葉を分けていただいて営業しています。

昔は、紅茶、と頼むと「レモンにしますか、ミルクにしますか」と聞かれたものですが、今は多くの喫茶店で「レモンティー」とか「ミルクティー」とかいう言い方はしないですし、ウチも紅茶の種類で載せています。
さらに、レモン下さい、と言われたことは開業以来たったの一回しかありません。
もうレモンティというメニューは、あまり飲まれなくなっているのでしょうか。
だとすると、勉強中に習ったことで、思い当たることがあります。

紅茶の渋味の主成分は「タンニン」です。
このタンニンは、レモンのクエン酸と結びついて紅茶の色を薄くしてしまいます。紅茶の色は水色(「みずいろ」ではなく「すいしょく」)と言って、味わう際の重要な要素ですので、これが薄くなってしまうのは好ましくありません。レモンを皮ごと入れると、これまたタンニンと結びついて今度は苦味成分を作り出してしまいます。
味も損なわれてしまうのですね。

そんなこともあってか、ブルックボンドのテキストにはレモンティーの「レ」の字も出てきません。
ですので、ジリオでも紅茶にメニューに特にレモンやミルクとは表記していないのです。


中国では、緑茶にレモン果汁を入れる飲み方があったそうで、本家シノワズリー(中国趣味)の伝播者である英国と、その文化的影響を強く受けた台湾では今でも緑茶にレモンを入れる飲み方が残っているそうです。ただし、英国では紅茶にレモンを入れることは一般的でなく、ミルクをいれるのが常道です。

そういえば、ピーター・ラビットの作者ビアトリクス・ポターの生涯を描いた映画「ミス・ポター」で、出版のマネジメントをしてくれる(後に恋人となる)男性が、はじめて家に招かれた時、「お茶は?」と聞かれて、「あ、レモンで」と答えて家人に怪訝そうな顔をされるというシーンがあり、マナーにうるさい上流階層と実業家との身分がはっきり分かれていたことを表現していました。

日本の飲料に関する習慣は戦後アメリカのやり方に上書きされたものが多いのですが、紅茶にレモンを入れる習慣も、アメリカのレモン農家が酷暑の農作業中に疲労回復に効果のあるクエン酸を摂取するために冷やした紅茶に入れて飲んだのが伝わったもの。
冷えていれば苦味も強くは感じないため一般的になり、いつしかあたたかい紅茶にも使われるようになったのかもしれません。


紅茶のことは知っているようで知らないことが多く、開業前の修行中に何度も驚きました。
紅茶と緑茶とウーロン茶は、同じカメリアシネンシスという植物の葉で発酵の度合いが違うだけ、とか。
そのカメリアシネンシス以外の植物で作られた飲料(つまりハーブ茶のようなもの)は茶外茶と呼ばれるとか。
ティー・スプーンは茶葉2gの計量にも使えるようにコーヒースプーンより大きいとか。
オレンジ・ペコーは紅茶の種類じゃなくて茶葉の大きさの規格だとか・・

こういう食についての常識が、特に飲料について弱いのは、我々喫茶店側が正しいメニューを備えていないことに原因があるのは明らかだと思います。
レストランや料亭で料理に勝手な名前をつけて長い時間をかけて先人たちが磨いてきた伝統あるメニューを汚したりしているのを見かけることはほとんどありません。

カフェや喫茶店が簡単に開業できてしまうため、充分に勉強していない人が多いということなのかもしれません。
自戒をこめて、真摯にやっていきたいと思っています。

(旧Cafe GIGLIO Blogから再掲)

2013年5月24日金曜日

車椅子入店拒否事件が他人事でない理由

乙武さんの「イタリアン、車椅子入店拒否事件」は、我々のような個人経営の小規模店舗にとって、まるきり他人事ではない。

人は我知らず、お店で受けたお気に入りのサーヴィスを他の店舗でも求めるものだ。
それは例えば「あら、〇〇はないのね」というような言葉で現れる。
おそらくそれは見たままの言葉で、悪意など欠片もないのだ。

それでも、文字通り人生をかけて自分のお店を切り回している人にとって、その言葉は生き方そのものを否定されるような鋭利なエッジを持っている。
そしてそのようなナイフは、想像されるよりずっと頻繁に飛んでくるものなのだ。

経営者は常にそうしたプレッシャーとストレスに晒され続けている。
ストレスへの耐性には臨界点のようなものがあり、だから、何気なく発されたお客様の言葉に、時に激しく反応してしまうことがある。

そしてボタンは決定的に掛け違えられた。

とは言え、これはボタンの掛け違いにすぎないがゆえに、時間が容易に解決してくれる。
冷静になれば店主も相手に悪意などなるでなかったことに気付くし、自分の使った言葉がその状況にまるで相応しくなかったことにも気付くものだ。

かくして事態は収拾され、この一件はすでに過去のことになりつつある。


しかし、僕は、この一件が乙武さんが「食べログ」で予約したことから始まっていることに、実は強い既視感を持っている。

カフェジリオもおかげさまで、食べログにたくさんのレビューが載っているが、最初にレビューを書いて下さった方が、たまたまレギュラーの商品ではない「ミルクレープ」を召し上がられて、それこそ勿体ないような絶賛レビューを書いて下さったのだった。

またこれが文章の上手な方で、自分でも食べてみたくなってしまったくらいで、それを見てミルクレープを指名して来店される方がちらほら現れた。
イレギュラー商品で、滅多に出ないものだし、だいたいカフェジリオのホームページに掲載していない商品なのにおかしいな、と思い、来店されたお客様にお聞きしてみてはじめて食べログに載っていることを知ったのだ。

それ以降も、食べログユーザーがミルクレープ情報に惹かれて、ご来店。そして後発のレビューを書く、という流れで、結果的に食べログだけ見ると、ミルクレープが一押しの、誰か他の人がやっているお店のように見えて、よそよそしささえ感じるくらいだ。


そういう僕にとっては、良くも悪くも食べログというのは、ごく一部の人たちの個人的な意見によって構成された情報源で、予約をする際の補助的な情報にはなっても、これで予約をしようという気には到底なれない。
ましてや僕のところには、過去に一ヶ月に一度は、「食べログにやらせのレビュー書いてあげますよ」という営業のメールが来ていた時期もあったくらいだし。

それに僕は昔から、気心の知れた自分のお店を作って、長く通い続けるのがカッコいいと思っていたし、だからこそ誰かと食事をするお店に、自分のよく知らない店を選ぶような習慣はなかった。

だから僕の作ったこの店は常連さんと一緒に長く細く運営していくように、細部まで事業設計されているのだ。
もちろんお店の使い方は、それぞれでいいと思う。でもそれだって自ずとお店のカタチの範囲内のブレで収まるものだ。

それが、食べログのようなメディアに載ることでブレが増幅され、少しはみ出して鋭いエッジを持ったナイフと化す。

食べログにはお店自身からは出てこない、お客さん目線の情報を知ることができる。
でもそこには、お客さんの視点しかないのだ。
我々が情熱の限りを尽くして設計した事業への思いは、そこには入り込む余地がない。
そしてやらせレビューの入り込む闇の源泉もそこにあったのだ。

コントロールのできない食べログというメディアが、僕は恐ろしい。
心底怖い。

2013年5月23日木曜日

牛乳を奥から買うことの意味

長くサラリーマンをやってきて、たいして下積みもせずにこのカフェを開いたので、最初は驚く事ばかりでした。

普通、「経営課題」といって最初にイメージするのは顧客の獲得だと思います。で、それは確かに事実そうなのですが、これを左右するのは商品力そのものであって、商品力の無さを他の何かでカバーしようとするというのは、まさに本末転倒。考えてもあんまり意味がありません。
むしろ、いつも大きな問題となるのは「ロス」でした。


家族経営を主是とするカフェジリオの経営では、生産力を向上させるという選択肢はありませんから、わざわざ人目につかないところで営業しています。
ですから顧客数は少ないのです。
しかしその日お客様が何を買いに来られるかはわかりませんし、消費者の心理として選択肢の少ない商品は売れない。
だからある程度の数を揃えて開店することになり、結果として一定の数のロスが発生します。

先日、コンビニの経営についての本で「弁当を一個廃棄すると、六個分の利益が飛ぶ」と読みましたが、まさにそのようなことが店をやっている限り必ず問題になります。
開店直後、提供していたサンドウィッチなどは評判の良い商品でしたが、普通にやっていると50%くらいがロスになってしまう。たまらずメニューから下げてずいぶんお叱りを戴きましたが、その分ケーキに集中できたので、その後いくつかのヒット商品にも恵まれ結果的には良かったと思っています。

ロスの問題がしばしば前面化するのは、焼き貯めておける焼き菓子の賞味期限との兼ね合いにおいてです。

私もこの店を始めるまでは、スーパーで牛乳を買うとき見える範囲で消費期限の異なるものがあれば新しい方の商品を奥から取り出して買っていました。
この行動様式は一般化していて、私たちのような店でもクッキーを並べておけば、たいていの人は奥から買って行きます。結果、棚に2種類の日付の商品が並べば古い方のものは、そのままロスになる公算が大きいということです。
私たちのような小さな店なら、並べ方を考えるだけで解決できる問題なのですが、様々なチャンネルで大量に販売される石屋製菓の「白い恋人」なんかでは回避しようがないでしょうから、一昨年問題になったような賞味期限の改竄なんていうことが起きるのも、あっちゃいけないことだけど、わからなくもない。
そう気付いて以来スーパーで牛乳を奥から買うのは止めましたが、日本全国で果たしてどれだけのロスが、この何気ない悪意なき消費者のごく自然な行動によって起きているのかを考えると、行政の無駄を云々しているのが莫迦莫迦しく思えてくるくらいです。

たかが、牛乳を奥から買う事が、事業者にどれだけ深刻な影響を与えるか、私はこの事業を自分で経営するまで体感する事ができませんでした。

経験という裏付けが無いとき、どうしても人間の判断は一面的になります。今目の前にあることだけでしか判断できないからです。物事は時間軸の中を流れているし、その流れの中で実に多くの事と関係を持ちながら変転して行く。これはおそらく経験(読書のような間接的な経験も含め)からしか得られない知見です。さらに人間の視界は、絶望的なほど狭い。

経験していないことには、思いもよらない見えない一面がある。
だから、報道や誰かの言論を引用して、一面的な批判を述べる事なんかでは、せいぜい自分を賢そうに見せることくらいしかできないし、ましてや世界を変える事などできはしない。
村上春樹は、良い小説を書くために必要なことは、と聞かれ、「結局のところ良く生きる、ということしかないのだと思います。」と彼らしい物言いで答えておられた。
「簡単に口にしない」ということを経営の教訓として肝に銘じて、せめて自身の日常の集積であるこのカフェの経営を誠心誠意「経験」しながら、「良く生きる人」の一員となれるよう精進していきます。

2013年5月20日月曜日

続・スモールビジネスのウェブの一例として

カフェジリオのホームページは、Digitalstage社のBiND5というソフトで作っている。FLASHベースのホームページを作れるiD for WEB LiFEというソフトからの付き合いだったが、iPhoneはFLASHに対応していないことから、HTMLベースのページに移行しようと思っていたら、折よく同社からBiNDが発売されたので乗り換えた次第だ。
BiNDになってからVer.1から3、そして5と飛び飛びにバージョンアップに付き合った。

出来がいいからではない。
開発側はバグではないと言いたいだろうが、作業中首を捻らざるを得ない素人っぽい不良仕様がたくさんあるのだ。
一番腹立たしいのは、文字列を選択する際、たいていのメジャーソフトウェアでは文字列をはみ出すように指定すれば全体を指定できるが、Digitalstage社のソフトはどれも最後の文字をはみ出すと指定がキャンセルされるという恐ろしい仕様になっていることだ。
文字の選択の仕方なんて、ある種の作法なのであって、一ソフトメーカーが口を出してはいけない領分だと思うのだが。

それでもこのバグ(仕様?)が次のバージョンでは消えているのではないか、と期待してしまうのは、やはりそのテンプレートのセンスにある。
もう、こうしたいのに、なんて思わずにテンプレートが要求するようにコンテンツ側で工夫して写真や文章を埋めていくとプロが作ったようなサイトが出来る。いやそういう意味では「プロが作った」サイトなのである。

だからこのソフトウェアハウスには、「センス」以外のものを求めてはいけない。
ネットショップを作るためのスペシャル・パッケージなどがあるのだが、まるで使いものにならない。
現代に生きる僕らはAmazonのこの上なく洗練されたインターネット・ショッピングを体験してしまっている。そんな僕らに、この会社の提供するインターフェイスはあまりに時代がかっていて、やはりデザインのセンスとビジネスのセンスは別物なのだな、と思わずにいられない。
ネットショッピングなら、受注管理、顧客管理ができるネットショップ開業ソフト「ネットショップ・オーナー」や、ASPサービスの「MakeShop」など専業の洗練されたサービスがある。そちらを利用したほうがいいだろう。

あ、あと大量についてくる著作権フリーの写真は本当に助かる。
これだけで、ソフト代のもとが取れてるかもしれないくらい。
写真の選択もこだわりすぎないのがコツ。ピンときたら貼ってみる。
しばらく見てると、ふーん、いいじゃない、となる。
いい写真ってそういうもんだと思う。


最近レンタルサーバー内に設置して独自ドメインでのブログ付きサイトを簡単に作成できるWordPressが大流行だが、それゆえパッと見て、ああWPだなとわかってしまうけどカッコイイからいいと思う。事実、自分もBiNDを使っているのに、かなりWPのテンプレートを意識して作ってるし。それに無料だし。
それでもソフトで作りたいのは、やっぱり僕の感性が古いのだろう。

結局カフェジリオのサイトは、大きなリニューアルを三度ほど行ったが、その度に情報を「減らし」ていった。
サイトの情報が充実してもお客様が増えるわけじゃないし、更新性の高い情報はBlogで流せばいいし、今はFacebookもある。
だからケーキやら焼き菓子やらのいちいちの情報を削除して、経営の考え方を書くことにシフトしてきた。

長い間広告の仕事をやってきて、これは真理だなと思うのは、広告ってのはできるだけたくさんの人に知ってもらうための投網であると同時に、本当にそのサービスによって幸せになる人を選り分けるためのフィルタなんだってことだ。

だから結局のところホームページを作るという作業は、自らが設計したサービスが本当は何だったのかを日常のお客様との関係の中で感じ取って、それをどれだけシンプルな言葉にできるかを問われているわけで、だから必要な「作業」はどんどん単純になっていくものなのだ。
そしてそれが何より難しい。
精進していきたい。

スモールビジネスのウェブの一例として

昨日、絶好の花見日和の中、店にこもって自社サイトの再構築に勤しんでおりました。
あわせてこのブログのデザインもちょっといじりましたが。

このカフェを開業する前、広告営業をしていました。
世の中は完全にネット媒体にシフトしていて、効果的な広告に関する考え方そのものが再構築されていった時代。

我々の商品もネット媒体が主力になっていきましたが、情報が集積されたサイトで気になる情報を見つけた人は、そこで完結せずに大本のサイトに情報を確認しにいくもの。
というわけで、広告の提供側としても情報の受け皿である自社サイトを充実していただく必要があり、そんな流れでお客様の自社サイト制作なども受注することがありました。
おかげで、ウェブ制作やSEOに関する基礎的な知識くらいは身についていたんですね。

だから、自分の店を作る時に、ウェブ戦略は重要だと思っていたし、またどこかに発注すればそれなりのコストがかかることも知ってはいたものの、なんとか自力でやってみようという気になったのです。

結果2007年から現在に至るまでカフェジリオのサイトは一貫して自作を通しています。

問題もありました。
最初の自社サイトを作って、Google検索をしてみると、同名のイタリア料理店がトップに出てくる。これでそのお店の存在を知って、さっそく行ってランチなど食べてみたら、これがウマいんですよ。(現在はオステリア・ジリオの名前で営業中です)

まあ、そんな呑気なことも言っていられない事態なんだけど、楽観視してたのは、イタリア料理店のカフェジリオさんには自社サイトがなく、口コミサイトの投稿が表示されていただけだったから。

Google検索の仕組みでは、同一ドメインの中でキーワードに合致するものを拾う数を制限している。口コミサイトのような大きなサイトでは、それだけ埋もれる可能性が高いということになる。
その意味では、やはり独自ドメインを取ることがSEO的にはキホンのキ、であって、その上でアクセスを増やす工夫をしないと、せっかくの工夫が効果に繋がっていかないのですね。

でまずはレンタルサーバーを探して、独自ドメインをとることになります。
ここで僕は最初のミスをします。

プライベート環境でのプロバイダは最初からずっとソネット。
当時やってたバンドや作曲活動報告のためのサイトを作ったのもSo-netさんのサーバー。
だからあんまり考えずにソネットのサイトでドメイン取得サービスを探して、すぐに見つけて、なんだ簡単じゃないか、とcafegiglioとかcafe_giglioとかいろいろ試して、空いていたcafe-giglioで独自ドメイン登録したんです。
ほんの30分くらいの作業でした。
初期費用8,190円、その後年額5,040円。

そしてその後レンタルサーバーを探すんですが、どう検索してもロリポップというサービスがトップにくるから、変な名前だなあと思いつつも調べてみると、当時としては本当に抜群に安い。
へえーと思って、こちらに申し込んでみると、ムームードメインというこれまたヘンな名前の独自ドメイン取得サービスを持っていて、なんとドメインによっては年額580円で済むというではありませんか!

あー、先にレンタルサーバー探しをしておけばよかった。

今でも乗り換えを考えなくもないが、こういうのにトラブルは付き物なので、事なかれ主義で何もせぬまま現在に至っております。
これから、スモールビジネスをやって自分でサイト作成をやろうと思っている方は、迷わずにロリポップにすべてを委ねるが吉、と思われます。

ロリポップの良いところはそれだけではない。
独自ドメインでロリポップサーバーを使うと、同じドメイン・ネームでJUGEMブログも使える。うちの場合だとcafe-giglio.jugem(現在は別のドメインを使ってます)というドメイン名になるわけ。
他のブログサービスを使うと、その独自ドメインと共通性のある名前が空いているかどうかの保障がないわけだけど、ロリポップの場合には連携したサービスなので、自然に同じドメインネームが使えることになって、まことに具合がいいのです。
(別にロリポップの営業をしているわけではありません)

で、またSEOの話だけど、検索で上位にくるサイトの条件に「信頼性」というのがあって、たくさんのサイトからリンクされているとか、たくさん更新されてるとか、UUが多いといようなことを総合的に判断している。
ところが、実際やってみるとお店のサイトなんかをたくさん更新するというのは、物理的に無理があって、自然ブログに頼ることになる。
で、ブログの方で一生懸命更新して、自社サイトとブログのリンクされた連合体の信頼度を上げていこうとしたわけです。
ま、そのことに気付いたのがすでに開店して2年目くらいの時だったのですが。

リンクしはじめて最初のうちは、あまり効果がなかったけど、一年くらいしてブログの更新件数が100件超えたあたりから、めきめきと検索順位が上がり始めて、今はあまりまめにチェックしてないけど、いつも一番上に自社サイトが表示されるようになった。
閾値のようなものがあるようですね。
現在は、今ご覧いただいているGoogleのブログサービスでcafe-giglioドメインが使えたので、こちらに乗り換えて、もうJUGEMの方は一年近く更新らしい更新をしていないのですが、200件近い投稿をしていると放っておいても検索で人が集まって毎日100~300程度の集客があります。
で、自動的に自社サイトの(検索エンジンにとっての)信頼性を稼ぎ続けているのです。

次回は、実際の自社サイトの作成について書いてみたいと思います。


2013年5月9日木曜日

せっかくだからストレートコーヒー、の真意

カフェジリオの珈琲は、ブレンド2種、ストレート9種をご用意しています。
ですからお客様は、はじめてメニューから珈琲を選ぶ時、少なからず迷われます。
珈琲の味は実に言語化が難しく、苦いか酸っぱいかの二元論だけで語られがちです。しかし、珈琲は苦味、酸味の要素に絞ってしまえば、それは焙煎度の深浅だけの要素で、だから本来珈琲は苦くても酸っぱくても失敗なのです。
では、その先の珈琲豆の持つ本来の香味は、どのような言葉で表現すればいいのかと言われると、これが甚だ頼りない。


例えば、エチオピアは「花の香」と言ったりします。隣国マラウイには良質の珈琲を形容する言葉に「花束を抱えたような」という粋な慣用句が存在します。
キリマンジャロの名で知られるタンザニアは「柑橘の酸」と評されます。確かにそのような鋭い酸味が持ち味の珈琲です。
しかし、これらの「業界用語」で皆さんに珈琲の味は伝わっているかについて、僕は懐疑的です。
しかも歴史の浅い(とはいえ結構古いですが)コロンビアやブラジル、グァテマラなんかはどういう言葉で表現すればいいのかがまだ定まっていなくて、コクとかキレとかビールみたいな言葉で表現されている。
ワインみたいな言語的洗練を得るまでにはまだ遠い道のりが残されているようです。

そんな訳で、どう説明されてもお客様には完全にはその味がイメージできないから、「オススメは?」と聞かれます。
私は間髪をおかず「ジリオブレンド」です。とお答えしています。
それがこの店のコーヒーのコンセプトを体現している、いわば珈琲屋としての私の名刺だからです。
すると大半のお客様は、「うーん、せっかくだからストレートを飲みたいのです。ストレートのオススメは?」と重ねて問われます。

自分で聞いた「オススメ」を退けて重ねて問うほどの「せっかくだから」の真意はどこにあるのでしょうか。
「せっかくここに来たのだから、ここにしかない珈琲を飲みたい」わけではないですね。ここにしかない珈琲こそが、お店のブレンドなのですから。

だとすると、
「せっかく喫茶店に来たのだから、できるだけ美味しい珈琲を飲みたい。」
という気持ちに対して、
「ブレンドコーヒーよりもストレートコーヒーの方が美味しいはずだから」ストレートの方からオススメを言って欲しい、のでしょう。

もしかしたら、美味しくないブレンドを出すお店が多いのかもしれない。
品質の悪い安価な豆を混ぜて、原価を削減しているお店があるのかもしれない。

私がブレンドコーヒーをオススしていることに対して、「何かお店に都合の良いものを押し付けられて、自分の方は損するのではないか」という疑いもあるのかもしれない。

まさに自業自得。
喫茶店という業界が、不実を重ねてきた報いを今、受けているというわけですね。
そして、まさにこの一点が、スターバックスの日本進出以降、すごい勢いで喫茶店が減っていった要因なのでしょう。

逆に言えば、今生き残っている喫茶店は、付加価値のみで生き残ったお店を別にすれば、どこに行ってもブレンドがストレートに劣る店はないはずです。

大切なことなので、改めて申し上げておきますが、ブレンドコーヒーというのは、お店の考える理想的なコーヒーの味の体現なのです。

私共の話をすれば、ともすれば単体ではすこし癖の強さを感じるエチオピアの花の酸味とタンザニアの柑橘の酸味を、ブレンドすることで立体的に味わい、両者に共通して欠けているボディ感をアジア系の豆で補う。これがジリオブレンドのコンセプトで、コーヒーの酸味の誤解を解く、という私自身のコーヒー屋としてのビジョンを実現させる尖兵なのです。

幸い常連になってくださったお客様は、多くのストレートコーヒーをお試しいただいて、結果的にジリオブレンドのリピートユーザーになっていただいている方が多いです。

またそういう方は、時折違う味のコーヒーを楽しむためにストレートコーヒーを飲まれます。これは一歩進んだコーヒーの楽しみ方と言えます。
そういう方にこそ、同じアラビカ種の豆なのに産出国によって(つまり育つ土の風味で)まったく味が違うコーヒーの香味を積極的に楽しんでいただきたいと私も思っていますので、そのお手伝いは喜んでさせていただきたいのです。


2013年3月28日木曜日

なぜ、カフェジリオのコーヒーはすべて500円なのか。

カフェジリオでは、ブレンド2種類、ストレート8種類、計10種類の自家焙煎珈琲豆を販売しています。高品質珈琲の主要産地であるアフリカ、中南米、アジアの代表的な珈琲を厳選しています。

で、価格はすべて100g500円です。
時々、こんな声を聞きます。
「あら!全部同じ値段じゃない。どうやって選べばいいの?」と。

これは、商品を選ぶ時の基本的な態度のひとつだと思います。
今日はちょっと奮発して和牛にしちゃおうかしら。
今日の唐揚げはブラジルのでいいわね。
というような。

珈琲豆も同じ産地の中で価格の高い安いがあり、それは概ね品質とリンクしています。
そして、世界的な規模でオークションによる買い付けが行われているこの珈琲豆の市場では、産地が違っても価格と品質はだいたいうまく均衡しています。

(いくつか例外があって、例えばブルーマウンテンなどはほぼ100%日本のみで消費されていますので、オークションシステムを通過していません。それで相場感から外れた価格設定が成立するのです。
ですがブルマンは確かに飛び抜けて高い品質を持つ珈琲なので、むしろ市場の洗礼に晒されないほうが、品質保持のためにいいだろうと、私も思います。
ハワイコナなどもほぼ同じ状況です。)

ですので、同じ仕入れ値の豆を揃えておくと、より純粋に産地による珈琲の味の違いのみをお楽しみいただける。
これが、この商品構成の狙いです。


なぜそんなところにこだわるのか。

それは僕が昔良くテレビでやっていた、ワインなどの「ブラインドテスト」が大嫌いだったからなのです。
一本何十万円もするワインと、スーパーで売っている数百円のワインをワイン通を自認する芸能人に利き酒させる、というあれです。
何が嫌かって、外れた時のコメンテーターたちの
「偉そうなこと言ってたけど、味なんかわかってないじゃん」
と指弾する、あの嬉しそうな顔!
なんて醜悪なんだろう、といつも思っていました。

さらにそれを面白がる僕らの顔も、きっと醜く歪んでいるに違いないのです。

生産者の情熱が注ぎ込まれたワインの味も、
農家さんや焙煎士のありったけの技術を駆使して作った珈琲の味も、
小説家の人生をかけた文学作品も、
画家の血を吐くような自己との対話と研鑽との結果描かれた絵画も、
音楽家の真摯な神への祈りを揺るぎなく体現した難解なる古典音楽も、

等しくそれが「作品」である以上、味わう者との関係は一対一なのです。
それを試したり、ましてやあざ笑ったりしていいはずがないのです。

そして味わう側にも、今の自分の力量でわかるのはここまでだがもっと先があるはずだ、という謙虚さと、自己研鑚を求められるのです。
だからこそ、作品を提供する側には、それをはるか上回る情熱と一定の犠牲が求められる。そういうものなのです。

僕自身も、テレビの外側であざ笑う側でなく、そういう「一対一」のサイクルの内側にいたい、と強く願っていました。

だから、珈琲豆を「値段で選ぶ」という思考停止を超えて、いろんな味の珈琲を経験していただくことで、珈琲という飲料の「味わい方」そのものに触れていただきたい。
珈琲の業界の中でしかほぼ通用しない「酸味」というのに「酸っぱくはない」特殊な風味の本当の味を、少なくともこの店のお客様にはわかっていただきたい。
そのための努力も投資も惜しまない。

そういう覚悟で、すべての珈琲に500円のプライスタグを付けています。

2013年2月28日木曜日

豆が、珈琲のコトバで話しかけてくる。 カフェジリオ・コーヒーストーリー part-5(最終回)

承前

中野弘志氏のコーヒーセミナーから学んだことは実に多いが、確かにいちいち言語化できないことが多かった。
あえて文学的なアプローチを試みると、「豆が、珈琲のコトバで話しかけてくる」という感じか。

実務的なコトバにするならば、要するに煎りドメに至る豆の変化は、終局において「皺が伸びる」=内部の多孔質化が充分進んだ、という局面と「ふわっと煙が出る」=内部の油脂分が表面に出てくる直前まで来ている、という局面の兼ね合いで出来ていて、厄介なことに産地によって、その頃合いが異なっているということだ。

前回の最後に、少し煎りの足りないものと、それをそのまま再度焙煎機に放り込んで焼成を進めたものについてお話したが、ほんの温度にして2℃程度、時間にして5秒くらいの差なのだが、飲み比べてみると仕上がりの差は明らか。
もちろん酸味の残りなども気になるのだが、そんなこと以上に「味の力強さ」のようなものが違うのだ。

最近よく、店頭で生豆の種類を選んで注文すると、その場で焙煎して渡してくれるというお店を見かけるが、この場合、豆は100g単位で焼けることや、お客様をお待たせしないスピードが必要になってくる。
そのために開発された焙煎機がジェット・ロースターで、少量の豆を高熱で処理して90秒程度で焼きあげるのだという。

私も、珈琲豆は鮮度こそが最も重要であるという立場であるので、これでウマい珈琲豆が焼けるのなら、こんなにいいことはない。
マーケティング的な納得感も高く、広告効果も高いだろう。

しかし、20分かけて焼いた最終工程の5秒でこんなに味が変わってしまうのに、90秒で焼けてしまう機械の場合は、どこでどう煎り止めを判断しているのだろうか。見ている限りでは、タイマーで自動化されているようだった。

実際に何店舗かで豆を買ってみたが、どれも表面は焼けていても芯残りで、強い苦味の中に、これまた強い酸味が残るという味だった。

そしてまた、このように味の問題を「酸っぱい」と「苦い」というコトバに帰着してしまえるところにこの議論の次元の低さがあるように思う。

中野弘志氏の教えの画期的なところは、珈琲は「酸っぱくても、苦くてもダメ」で、味の議論はその先にある、というところにあり、まさにそこに一日拾万円の価値があるのだと私は思う。

であればこそ、その道ははるか遠くまで伸びている。
私は毎日焙煎をしながら、あの一日に覚えた、珈琲が焼けていく時の様々な表情や音の変化を思い出して、珈琲修行を始めるきっかけとなった河野社長の珈琲を自分でも再現できる日を夢見ているのだ。

The END

2013年2月25日月曜日

カーティス・フラー / ブルースエット


2月も今週で終わりですか・・早いですね。
今日のBGMです。
カーティス・フラーというトロンボーン奏者のリーダー・アルバム「ブルース・エット」です。

村上春樹の「アフター・ダーク」に登場するアマチュア・トロンボーン奏者がこの楽器を手にとったきっかけとして紹介されているFive Spot After Darkが収録されていることでも有名な盤です。
もちろん、アフター・ダークという書名もこの曲名に由来しているのです。

あまりにも印象的なリードメロディが頭にこびりついて離れないので、他の曲の印象が薄いのですが、ベニー・ゴルソンの必殺のスムース・テナーが炸裂する4曲目も聞き逃すべきでない佳曲だと思います。

2013年2月23日土曜日

タイム・トゥ・キル / ソフィー・セルマーニ

今日のBGMは、ジャズをお休みして、スウェーデンの女性シンガーソングライター、ソフィー・セルマーニの3rdアルバムをピックアップしました。

せっかくスウェーデンのアンプを買ったので、なにかスウェーデンの音楽を、と思って自室のCD棚を見ていたら、6年くらいまえに人に勧められてファーストから揃えていたのを思い出して、かけてみました。

北欧のSSWらしい、囁くような声と素朴なメロディはもちろん素敵なのですが、時折アコースティックギターで繰り返されるロックのリフっぽいメロディが新鮮。ディランやニール・ヤングからの影響を公言する彼女らしさも、また魅力的です。

が、それゆえにアルバムは素朴なサウンドと準ロック・サウンドが混在し、BGMには使いにくい側面もあり、そのバランスが一番よい3rdを今日はかけています。

音楽的には、2ndのプレシャス・バーデンが最もよいと思います。こちらも機会があったら聴いてみてください。

2013年2月22日金曜日

ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ vol.1


今日のカフェジリオ・ミュージックは少し古めのジャズで。
ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ vol.1です。

ジャズ評論家レナード・フェザーが、ドイツのデュースブルクという街で見つけたピアニスト。

この時の様子をレナードは「洞窟のようなクラブへの階段を降りると、5人の若者が演奏していた。赤い髪の少女が奏でるピアノは、長年ナチズムや戦争に苦しんだ国のものとは思えない素晴らしいリアル・ジャズだった。」と書いています。

なんかビートルズみたい。

で、彼はさっそくアメリカのレコード会社に売り込むべく、フランクフルトでデモ音源を録音。
この時の録音の8曲がBlueNoteから、4曲がMGMからリリースされます。
契約を継続したのはBlueNoteで、創業者のアルフレッド・ライオンがベルリン出身なのも関係があるのかもしれません。
で、このCDのリリースとなるわけです。
このCDの冒頭レナード自身がユタを聴衆に紹介するMCも収録されています。

当時の評論家の仕事っぷりが、いいですね。
やはりプロというのは口だけじゃなくて、行動が伴ってこそかな、という気がします。

演奏が始まると、二曲続けて哀愁ただよう短調の曲が香ばしくも力強いタッチで奏でられる。
ことにディア・オールド・ストックホルムは必聴で、マイルズやジョン・ルイスなどの有名な演奏とはテーマメロディの解釈が異なっていて、一聴同曲とは思わなかった。

ふーん。これがヨーロッパの中から見たストックホルムかあ、なんてこの間買ったスウェーデンのアンプから出てくる音に浸っております。

2013年2月21日木曜日

その講習、一日拾萬円也。カフェジリオ・コーヒーストーリー part-4

承前。
3時間のセミナーで、僕の目から数枚の鱗を落とした中野弘志さんの自家焙煎セミナー。

結論としては、珈琲という飲料が、焙煎によって作られる800種類の香味成分を抽出して飲むものであること。
さらにその香味成分が、加熱によって多孔質化した「孔」の中に生成されていることから、優れた焙煎とは、多孔質化の最大化と香味成分をより多く作り出すが、焦がさない、という最適点を見つけることに他ならない、
ということだとわかった。

そして、その最適点は、豆を育てる土壌によって変わる、ということ。
見極めるポイントは定量化できず、「状況判断」によって行うということ。
ゆえに、結局数こなさないとダメねってことがわかった。

しかし、闇雲に数をこなしているだけで身につくような技術でもない。やはり、経験豊かな指導者が横についてアドバイスを受けることが必要だ。

で、中野先生のご自宅で二日間マンツーマンのつきっきりでやってあげますよ、というセミナーにおいでなさいな、ということなのでした。
なんとお値段、二日間で弐拾萬円也。

でもねえ、この際背に腹は代えられないよなあ、と思った。
だって、今まで数人の「先生」と呼ばれる人に習ってきたわけだけど、それぞれに皆仰ることが違う。このまま確信を持てないまま、ズルズルいろんな人にお話聴いて回るのもいい加減疲れたし、そろそろ確かな理論持って、自分の味作り始めたいよな、と思ったわけです。

で、思い切ってお電話してみた。
自家焙煎でやりたいと思った経緯とか、今まで教わったこととか、洗いざらい話してみた。
そしたら、中野先生、「あ、そこまでやっていらしたのなら、一日で習得できるでしょう。拾萬円で結構です。ご都合の良い日は何時ですか?」とおっしゃる。

さっそく日を決めたら、翌日様々な国の焙煎された珈琲豆が合計1kg送られてきた。
とにかく、それを全部飲んで、舌が珈琲の味の違いがわかるようにしといてください、と書いてあった。
期日まで4日程しかない。
4日で一キロの珈琲飲むってのはけっこう骨ですよ。
結局半分くらいしか飲めなかったけど、まあ全種類飲んだ。
もう最期の方は、美味しいかどうか分かんなくなってたな。
で、電車に乗って横浜の先生のお宅に向かったのだ。

到着すると、どのくらい基礎的な知識が共有できているか、さらっと打ち合わせて、だいたい問題ないレベルだと確認して、もうさっそく焙煎に入る。

まず驚いたのは、この先生、珈琲豆を米のように「研ぐ」のだ。バケツの中で研いだ豆を新聞紙にあげて、荒く乾かしてある。
庭に別棟として設えられた焙煎室には、1kg用の小さな富士ローヤルが置かれていた。これは河野塾でもよく扱った機種で、500gくらいの少量でも綺麗に焙煎できる便利なものだ。

だが、やはり郷に入れば郷に従え。
中野先生は、ダンパーは投入する生豆の量に応じて、焙煎釜の容量を最適化するのが役割、と規定されていて、1kg釜で500g焙煎の場合は、ダンパーは開度50%、バーナーも強度50%で固定して、ひたすら煎り上がりの時間に集中する、というやり方。

しかし、30秒ごとくらいにテストスプーンを開けて、ああ今内部に大きな亀裂が入ったよ、とか、今皮の部分が割れ始めているんだよ、とか細かく教えてくださる。
とにかくこれをずっと一日中やるのだ。

途中集中力が切れて、シティローストくらいのところで上げてしまった時、先生は「お、それ半分とっとこう」と言って、半分を別のボウルにあけて、残りを再度釜に投入。何も無かったかのように焙煎を続けた。
「あとで飲み比べてみようね」と、普通におっしゃるので、焙煎の中断ってアリなんですか?と聞いてみたが、昔からダブル焙煎という手法があるそうで、まったく問題ないそうだ。
勉強になるなあ。

さて、この焙煎度比較、どうだったのか。
続きは次回。

インパルス・レコード・オムニバス/House That TRANE Built


カフェジリオ、今日のBGMのお時間です。
今日のお題は、インパルス・レコードの数ある名曲・名演をCD4枚組にコンパイルしたオムニバス盤、
The House That TRANE Builtです。


タイトルは、ほんのちょっと補って直訳すれば「ジョン・コルトレーンが建てた家」。インパルスがコルトレーンの大成功で大きくなったことを表しています。

有名なマザーグースの一曲「This is the house that jack built」を捻ったタイトルなんでしょうね。

今日はそのDisc1をかけています。

ギル・エヴァンス、オリヴァー・ネルソン、アート・ブレイキー、ベニー・カーター、カウント・ベイシー、コールマン・ホーキンス、ロイ・ヘインズ、フレディ・ハバート、チャールズ・ミンガス、そしてもちろんコルトレーン。

なんて豪華なオムニバス。

中でも2曲めのオリヴァー・ネルソン、Stolen Momentは、ドルフィーがフルートを、とかエヴァンスのピアノが、などという謳い文句などまったく必要ない、緻密に構成された作編曲の見事さが聴きどころだと思います。
美メロなしで、短い旋律を構築的に組み上げて音楽を作り上げている、ベートーヴェンの中期の作品群を思わせる、聴き応えのある楽曲ですね。

2013年2月20日水曜日

ビル・エヴァンス/ムーンビームス

今日のBGMは説明不要の名盤、ビル・エヴァンスのムーンビームスです。

説明不要と言いながら、説明書いてますが、あの天才ベーシスト、スコット・ラファロを自動車事故で失い、失意の底にいたエヴァンスが、チャック・イスラエルを招いて作った復帰作。

どこまでも美しい音像から、よく「ジャズ、というよりはイージー・リスニング」という評価をみるアルバムだが、これはエヴァンスのフレーズの「かっこよさ」を存分に楽しむアルバムなのだと思います。ぜひ四曲目の「星へのきざはし」を聴いてみて欲しい。メロディの間に挟み込まれた装飾音のどれもが文句なくカッコいいのよ

ところで、このジャケットの美女ですが、ベルベット・アンダーグラウンド&ニコのニコさんだという説が有力なのですが、なぜか納得感の高い一次資料がなかなか見つかりません。
どなたか、真相をご存知ないですか?

2013年2月19日火曜日

ディック・カッツ/ピアノ・アンド・ペン


おはようございます!今日のカフェジリオのBGMはこいつですよ。
ディック・カッツのピアノ・アンド・ペン。



あまりリーダー作はないが、ケニー・ドーハムとか、ヘレン・メリルがお好きなら名前を見かけたことがあるかも。
先週ご紹介したテディ・ウィルソンのお弟子さんでもある。

それにしてもオリジナル曲がいい!
一曲目の「ティモニウム」という曲の、軽快で洒脱なくせに、こっそり捻った展開。ドナルド・フェイゲンのジャズ・サイドに惹かれる人なら思わず唸ってしまうと思う。

2013年2月18日月曜日

リー・コニッツ&ブラッド・メルドー/ライブ・アット・バードランド


カフェジリオの今日のBGMです。

ブラッド・メルドーのライブ。リー・コニッツとの共同リーダー作ということになっている。


ベースはチャーリー・ヘイデン、ドラムスはポール・モチアンということで、サックス入りのクァルテットとくれば、誰だって70年代のキース・ジャレットのアメリカン・クァルテットを思い出すだろう。

しかし、実際にこのライブを聴いて思うのは、メルドーはキースのプレイがあまり好きじゃないんじゃないかな、ということだ。

キース・ジャレットの紡ぎだす音楽は、あくまでもある種の「陳腐さ」の中にあって、それでも心を動かす圧倒的な美しさを持っている。それは性善説のジャズ。
ケルンコンサートのあまりにもストレートな名演奏は、感動の中に、ほんのわずか気恥ずかしさを感じさせる。

メルドーは、右手と左手で異なるメロディを奏でながら、どこまでもわかりやすさを拒んでいる。だからこそ、レディオヘッドなどのポピュラーなロック曲を好んで題材に選んでは、ポピュラリティそのものを切り刻むようなアレンジを施すのではないだろうか。

そのような楽想にリー・コニッツはまさにうってつけだ。コードからの解放を目指したトリスターノ派の急先鋒。老いて円熟はしているが、かつて「ホリゾンタル」(=垂直的)と言われた急変化を伴うフレージングは健在。エリック・ドルフィーとはまったく違う地平に着地した老兵のプレイを今こそ聴こう。

2013年2月16日土曜日

ジャッキー・マクリーン/4,5 and 6


今日のBGMです。

ジャッキー・マクリーンの4,5and6。
ジャッキー・マクリーンの、と言ってしまっていいのだろうかと迷う、超豪華なメンバーで録られた名盤。


だって、管が、ジャッキーにドナルド・バード、そしてハンク・モブレイの三人って。もうこれだけのメンツですから、もちろんアンサンブルなんぞありません。おそらく大雑把に打ち合わせてテーマ振ったら、あとは勝手にバシバシソロ吹いて、勝手にビシビシ絡んでいくっていう流れでしょう。

でもばっちり音楽になってる。
だってピアノ、マル・ウォルドロンなんだもの!
ビリー・ホリディの歌伴で鍛えた音楽を包み込むチカラはさすがですね。
そういえば、マルの名盤「レフト・アローン」の一曲目のすごいサキソフォンもジャッキーだったね。

2013年2月15日金曜日

テディ・ウィルソン/フォー・クワイエット・ラヴァーズ


今日のBGMです。
テディ・ウィルソンのフォー・クワイエット・ラヴァーズ。
ジャケ買いでした(汗)。


大好きな「パリの四月」が入っているので、まずそれを聴いてみたのですが、今まで好きだったサド・ジョーンズの演奏もジャズらしい勢いが素晴らしいのですが、こちらはいかにもパリ!という感じの洗練された演奏で、とても素敵でした。
決して綺麗な音で繊細に弾くピアニストじゃないんですけどね。
なんか気品みたいなものを感じます。

2013年2月12日火曜日

低温投入法の是非、の前に カフェジリオ・コーヒーストーリー part-3

なんとかKONO式珈琲塾を修了したものの、このまま開業して成功するような気はまったくしなかったので、単発の喫茶店開業講座にいくつか参加してみました。

そのうちのひとつ、堀口珈琲工房を主宰される堀口氏の講座を受けた時、河野社長のお父さんに抽出を習ったという話を聞いて、俄然興味が湧いて、今度は堀口氏のセミナーに参加することにしました。

この抽出講座からは実に多くのことを学びました。
「ドリップは重力の力で湯を豆に通す」という言葉が、それまで河野塾でやってきた技術のすべてに明快な裏付けを与えてくれました。
「灰汁が出てくるのは、1分半から」という言葉が、ドリップのスピードを明快に決定付けました。
「エマルジョン=乳化現象」という言葉が、必要な湯の温度を確定させました。(このあたり詳しくは、当ブログの「おいしいコーヒーの入れ方」ラベルで御覧ください)

こんな言葉ひとつで、今までどうしても安定しなかったドリップが、すぐにピシっと決まるようになるのですから、不思議なものです。

練習のための明快な指針を得て、抽出に関しては目処がついたと感じていました。


問題は焙煎です。

河野塾では、まず釜に200℃の予熱をかけたあと、釜の火を消して豆を入れずに92℃まで冷まします。
で、釜が冷えたら豆を投入し、再度加熱を始めます。約20分ほどかけて焼き上げますが、その間、火の強さは徐々に強くしていき、豆が大きく膨らんでいくタイミングで火力を最大に。その後、ピチピチいいながら多孔質化していく段階では極弱火で仕上げていきます。
釜の中の空気量を調整するダンパーの操作も頻繁で、150度に達するまでは60%解放。豆が膨らんでいく工程では40%解放まで絞込み、多孔質化の工程で今度は80%まで解放し、最終段階で100%解放します。

その後、焙煎機メーカーにおじゃまして、いろいろな焙煎士さんのデータを見せて頂きましたが、こんなに釜を頻繁に操作するケースはなく、大抵は火力とダンパーの解放量は、釜の容量における生豆投入量の占有率で決めて、最初から最後まで固定でいくことが多いのです。

また、豆の投入は、予熱をかけた200℃の状態で行われるのが普通で、冷めるまで待ったりはしません。あまつさえ、一品種焙煎した余熱を次の品種の焙煎につかうべく、豆を釜から出した後、すぐに次の豆を投入することが推奨されています。
この方法は、確かに効率がよく、全体の作業が短時間で終わります。
しかし、ここにこそ河野社長のこだわりがあり、だからこそ、この焙煎法を「低温投入法」と呼んでいるくらいです。

では、その味への影響度というのはどれほどのものなのでしょうか。
それを確かめるのは実に難しいのです。

何故なら、結局のところの珈琲の焙煎の成否を決める最大のポイントは、どこまでいっても「どこで煎り止めるのか」にかかっているからで、如何に途中の釜の操作に神経を使っても、最後の煎り止めのポイントを正しく見極められなければ結果は失敗。
しかも、その煎り止めは、5秒違えばまるっきり味が違ってしまうという、極めてデリケートなものでした。

まずは、ここをマスターする必要がある。
しかし、習っている間中、遅い!だの、早い!だのと言われて体得できるようなものではないような気がして、今度は焙煎法に絞って、セミナーを探してみました。
で、見つけたのが旭屋出版さんが主催される中野弘志さんという方のセミナー。

この3時間ほどのセミナーで僕の目から落ちた鱗の数は何枚だったか。
「焙煎に浅煎りも深煎りも無い」とか、「ブレンドは作品だ。せっかくだからストレートを、などと言われない店を目指せ」とか、漠然と疑問に思っていたことに対する理知的でストレートな解答がドバドバ飛んでくるではありませんか。
そして、最後に「結局、焙煎の成否は煎り止めで決まる。そしてそれは適切な指導者の付き添いの元たくさんの焙煎をこなすしかない」ときて、希望者には私が二日間つきっきりで、ご指導いたします」とおっしゃるではないですか!
それそれ、それだよー、と思いながら資料に目を落とすと、「焙煎講座二日コース、二十万円」とあるではないですか!!

二十万・・
え?どうしたかって?
それは次回のお楽しみ。

...to be continued.


2013年2月9日土曜日

新しいケーキ、いろいろお作りしております。

新しいケーキ、いろいろお作りしております。
まずは、
ショコラナッツ

ショコラナッツ、と申します。
ヘイゼルナッツのバタークリームとクラッシュした胡桃の下地に、パティシエお得意のクレーム・ブリュレが載せてあります。

次に、
チーズのタルト
チーズのタルト、ですね。
レモン風味の効いたチーズに、クリスピーな歯ざわりを演出するシュトロイゼルを載せて、タルト生地に載せました。

そして最後に、
和歌山産キウイのシフォン
和歌山産キウイのシフォンケーキです。
またひとつシフォンのバリエーションが増えました。

どうぞお楽しみください。

2013年2月8日金曜日

劣等生の日々 カフェジリオ・コーヒーストーリー part-2

KONO式珈琲塾での私は、完全な劣等生で、まるっきり家事もできない男が挑むには高すぎるハードルだったと後悔しました。

KONO式のペーパードリップは、円錐フィルターに24gの中細に挽いた粉を入れ、それをまず強く振って厳密に平らにすることから始めます。
そして、その中心に90℃以上にした湯を静かにポタポタと滴状に注湯していくのですが、これがドバっといっちゃったり、真ん中から流れてツツーっと周辺部にいっちゃったりすると、見ている先生から「ああ〜」と悲痛な声がこぼれます。

周りのみんなは何度かトライして成功するのに、私は何度やってもこれがうまく出来ずに、先生も「ちがう、ちがう、こうね、こう!」と手振りで教えてくださるのですが、やっぱり再現できず・・
「なんで、そうなっちゃうの〜」と言われるのですが、それはこっちが聞きたい・・

しかし、カタチが再現できた同期生たちの珈琲も、そのお味は、となると、やはり河野社長の淹れた珈琲が特別すぎて比較することすらできません。
まるで魔法なのですよ。
で、魔法であるがゆえに、それは説明や学習によっては再現され得ないのです。

結局、在塾中にはマスターできず、その後河野社長のお父さんに指南を受けたという別の方に教わって、マスターすることになるのですが、それはまた別の話。

KONO塾は、抽出と焙煎の二本立て。焙煎の方も河野社長のマジックが炸裂します。

その前に、珈琲の焙煎について基礎的なことをお話しておきますね。
Part-1冒頭に、珈琲の味は焙煎によって生成する約800種類の化学物質によって作られていると書きました。
その800種類の化学物質は、焙煎によって豆の内部に生じた平均7μほどの小さな孔の中に生成します。
ですから焙煎の役割のひとつは、できるだけ中心部まで均等に火を通してなるべく多くの孔を作り出すこと、にあります。
火を通す時間が足りなかったり、強すぎる炎で焼けば、中心部だけが焼け残り、酸っぱい珈琲が出来上がってしまいます。

で、この中心部までムラなく熱するのに最も適した方法が、「空気で温める」という方法です。なので、世界的に珈琲の焙煎釜はくるくる回る円筒の内部に羽がついていて、絶えず空気中に豆を放り投げながら過熱するタイプが主流です。
河野塾でも使われている、富士珈機社のFUJI ROYALでは、「空気」で温めているのだから、と釜の中の空気量をコントロールする「ダンパー」という調整弁がついています。これはプロバットのような海外の釜には見られない機能なのですが、このダンパーと、ガスの量を調整して熱量をコントロールするレバーを操作しながら珈琲を焼いていきます。

口で言うのは簡単なのですが、中身の見えない珈琲豆の、しかも7μの孔のことなんか、いったいどうやって判断して焙煎していけばいいというのか。
これはとても難しいですね。

塾では、河野社長から一枚の紙が配られます。
珈琲の豆温度とバーナーの強さとダンパーの開け具合が書いてありました。その操作のきっかけは、豆が出す音と、豆の表面の色や皺です。
焼きながら少量のサンプルを取り出して確認できる機構がついていて(テストスプーンといいます)、温度や音の変化に注意しながら適宜実際に豆を見ながら操作していきます。

で、豆がハゼ始めたので、テストスプーンを引き抜くと、「ほら豆が膨らみ始めただろう」と言われますが、まあわかりませんやね。
チリチリと高い音のハゼに変化したところで、また引き抜くと「ほら、皺が出てきただろ。あとはこれが膨らんで油が出てくる一歩手前で釜から出すんだ。」って、一歩手前はどうやって知るのー?
で、わからないなりに、このあたりか!と思い切って豆を出すと、「ああー、5秒遅かったなー」って、わかんないってば。

何一つ再現できない、職人技の凄さにただ驚くだけの日々。
河野さんの珈琲への道が果てしなく遠いことだけがよくわかった河野塾時代でした。しかし、わからないなりに、社長の動作を見て、再現できない自分に苛立っていたあの日々こそが、その後、他のお師匠さんの仰ることを理解するための基礎体力になっていたのです。

...to be continued

2013年2月7日木曜日

珈琲焙煎修行のはじまり カフェジリオ・コーヒー・ストーリー part-1

珈琲の旨味成分である約800種にも及ぶ化学成分は、焙煎によって生成され、一週間で約60%が消失してしまう、「生鮮食品」です。
ですので、カフェジリオのコーヒーは、すべて店内で焙煎して、鮮度の高いものをお出ししています。

しかし、このカフェを作る時は、そんなことも知らず、最初は珈琲豆の自家焙煎など考えてもいませんでした。
ワンプッシュで一定量のホットコーヒーやエスプレッソがサーブされるマシンのカタログを調べたり、実物を見にショールームに出かけたりしていたくらいです。

と、並行して、自分たちのイメージに近い全国の喫茶店を廻っていました。
珈琲をたくさん飲むと、次第に味がずいぶん違うことがわかってくるのですね。
なにが要因なのかと調べてみると、美味しいところは大抵、自家焙煎か小規模なロースターの豆を使って、抽出も機械ではなく手で淹れていました。

ほほうそれならばと、喫茶店開業のための市民講座やカルチャースクール(探してみると、驚くほど多くの講座が開催されている!そんなに喫茶店やりたい人って多いのか)に行ってみようと、手始めに、当時住んでいた門前仲町の近くの図書館でやっていた市民講座に参加しました。

その講座では、いつも僕らが珈琲豆を買っていたお店の豆と、今朝、講師の方が焙煎してきたという豆を使って目の前でペーパードリップを実践してみせてくださったのですが、そりゃ自家焙煎じゃなきゃだめだわ、と納得できるほど、すべてのことが違っていました。豆の膨らみ。香り。そしてもちろん味。

近くの喫茶店の店主が講師だったので、さっそくその店に豆を買いにいくようになりました。
そして、勧められるままにKONO式のドリップ用器具一式を買って、教わったとおりに淹れてみたが、これがなかなかうまく入らない。
生来不器用な方だし、だいたい家事一つやったことがないのに、珈琲だけ突然上手に入れられるはずがないですよね。

しかし、それで「この珈琲という仕事、思ったよりおもしろい。よし、いっそ自家焙煎でやってやろうじゃないか。」と決心したわけです。
せっかくやるんだから、本家に学ぼうと、KONO式の開発メーカー「珈琲サイフォン社」の珈琲教室に参加しました。
そこで僕は運命の珈琲に出会うのです。

講師は、珈琲サイフォン社社長の河野氏。教室の参加者は四名でした。教室がはじまるとすぐ、KONO式ドリッパーの使い方を簡単にレクチャーしながら四人分のコーヒーを淹れてくれました。

そのコーヒーの味のことは、とうてい言葉では表現できません。
それはコーヒーという飲料が持つ美点を抽象的に束ねたような、恐ろしく完璧な味のするコーヒーだったのです。
自分自身のコーヒーの考え方の転換点になった大事な一杯なので、後から振り返って美化しているのかもしれませんが、そのくらいの衝撃を受けた一杯だったのです。

そしてその日から、河野さんが淹れたコーヒーを再現するための紆余曲折の日々が始まったのでした。

...to be continued