2013年3月28日木曜日

なぜ、カフェジリオのコーヒーはすべて500円なのか。

カフェジリオでは、ブレンド2種類、ストレート8種類、計10種類の自家焙煎珈琲豆を販売しています。高品質珈琲の主要産地であるアフリカ、中南米、アジアの代表的な珈琲を厳選しています。

で、価格はすべて100g500円です。
時々、こんな声を聞きます。
「あら!全部同じ値段じゃない。どうやって選べばいいの?」と。

これは、商品を選ぶ時の基本的な態度のひとつだと思います。
今日はちょっと奮発して和牛にしちゃおうかしら。
今日の唐揚げはブラジルのでいいわね。
というような。

珈琲豆も同じ産地の中で価格の高い安いがあり、それは概ね品質とリンクしています。
そして、世界的な規模でオークションによる買い付けが行われているこの珈琲豆の市場では、産地が違っても価格と品質はだいたいうまく均衡しています。

(いくつか例外があって、例えばブルーマウンテンなどはほぼ100%日本のみで消費されていますので、オークションシステムを通過していません。それで相場感から外れた価格設定が成立するのです。
ですがブルマンは確かに飛び抜けて高い品質を持つ珈琲なので、むしろ市場の洗礼に晒されないほうが、品質保持のためにいいだろうと、私も思います。
ハワイコナなどもほぼ同じ状況です。)

ですので、同じ仕入れ値の豆を揃えておくと、より純粋に産地による珈琲の味の違いのみをお楽しみいただける。
これが、この商品構成の狙いです。


なぜそんなところにこだわるのか。

それは僕が昔良くテレビでやっていた、ワインなどの「ブラインドテスト」が大嫌いだったからなのです。
一本何十万円もするワインと、スーパーで売っている数百円のワインをワイン通を自認する芸能人に利き酒させる、というあれです。
何が嫌かって、外れた時のコメンテーターたちの
「偉そうなこと言ってたけど、味なんかわかってないじゃん」
と指弾する、あの嬉しそうな顔!
なんて醜悪なんだろう、といつも思っていました。

さらにそれを面白がる僕らの顔も、きっと醜く歪んでいるに違いないのです。

生産者の情熱が注ぎ込まれたワインの味も、
農家さんや焙煎士のありったけの技術を駆使して作った珈琲の味も、
小説家の人生をかけた文学作品も、
画家の血を吐くような自己との対話と研鑽との結果描かれた絵画も、
音楽家の真摯な神への祈りを揺るぎなく体現した難解なる古典音楽も、

等しくそれが「作品」である以上、味わう者との関係は一対一なのです。
それを試したり、ましてやあざ笑ったりしていいはずがないのです。

そして味わう側にも、今の自分の力量でわかるのはここまでだがもっと先があるはずだ、という謙虚さと、自己研鑚を求められるのです。
だからこそ、作品を提供する側には、それをはるか上回る情熱と一定の犠牲が求められる。そういうものなのです。

僕自身も、テレビの外側であざ笑う側でなく、そういう「一対一」のサイクルの内側にいたい、と強く願っていました。

だから、珈琲豆を「値段で選ぶ」という思考停止を超えて、いろんな味の珈琲を経験していただくことで、珈琲という飲料の「味わい方」そのものに触れていただきたい。
珈琲の業界の中でしかほぼ通用しない「酸味」というのに「酸っぱくはない」特殊な風味の本当の味を、少なくともこの店のお客様にはわかっていただきたい。
そのための努力も投資も惜しまない。

そういう覚悟で、すべての珈琲に500円のプライスタグを付けています。