2013年5月30日木曜日

1979年のLed Zeppelin

お客様に、珈琲を褒められるとちょっと照れくさい。
小さな頃から、なんでも一人でできるようにと、母は簡単な料理や、洗濯、掃除といった家事一般を教えてくれたが、不器用な僕はどの家事も得意にはならなかったから。

開店を決めた時、その母は、あんたみたいに不器用なのに店なんてできるわけないでしょ、と言ったものだ。実は自分でもそりゃそうだと思っていた。

もちろん「仕事」として充分にディシプリンを積み、綿密にプランした「商品」を作ることができたと思うから開業もしたわけだし、自信も持ってはいる。
それでも今こんな仕事をしているのは、やっぱりなんだか不思議に思えるのだ。

そんな僕が、やはり一生の仕事にこれを選んだのは、やっぱりあの時の「あれ」かなあ、と思うことがひとつある。


1979年。
中学2年生の時、文化専門委員という生徒会の仕事を仰せつかった。

委員長は同級生のお兄さんで、高橋さんというロック好きの人だった。
その人は、ニューミュージック全盛の当時、自分の大好きなハードロックをみんなが聴かないのは単に聴く機会がないからに違いないと信じて、果敢にも放課後の音楽室でブリティッシュ・ハードロックの雄LED ZEPPELINのレコード・コンサートを生徒会主催行事として敢行した。

自分で一枚だけ買ったLed Zeppelinの4thアルバム。
名曲「天国への階段」収録のこのアルバムにはタイトルがなく、メンバーを表象したシンボルが4つ記されているため、一般にはIVとかFour Symbolsとか呼ばれている。


観客は20人くらいだったろうか。
私は委員として運営の手伝いをしていたのだが、その音楽があまりにも素晴らしくて仕事どころではなかった。
このレコード・コンサートがどのくらい音楽的啓蒙に寄与したかはわからないが、少なくとも一人は多いに感化されたわけだ。

翌年彼の偉業を引き継ぐべく、レコード・コンサートの継続を公約に、生徒会役員改選選挙にて文化専門委員長に立候補した。
しかし、レコード・コンサートのことしか考えていなかったためか見事に落選して、しかたなく高橋先輩に録音してもらったLED ZEPPELINのテープを自室で聴き続けた。


人が集まっている場所でレコードをかけて、誰かがその音楽に感動する。
この時のレコード・コンサートはいくつかある私の音楽的原風景のひとつで、自分が今カフェなどをやっていることのバックグラウンドの重要な一部を成しているように思える。

今でもレコードが好きなこと。
自分はAudio Phileではなくて、Music Loverだと思いたいのに、やっぱりオーディオ機器そのものも大好きなこと。
そういうことも、この時に生まれた僕の一部なのかもしれない。

この機会に、カフェジリオにお迎えしたお客様に素敵な音楽をお聴かせするために用意したオーディオ機器について、ご紹介しておこう。


このスピーカーは、英国タンノイ社のグリニッジ(Greenwich)というやつで、1986年頃のものらしい。
この店を出すときに、どんなスピーカーを置くか色々見て回った。今人気のある新しいスピーカーは、どれもスタイルが細身でなんだか気分が出ない。
でもJBLの大型機は大音量でないと真価が発揮できていないように感じたし、アルテックは感覚にぴったり来てぜひ欲しい!と思ったけどちょっと古すぎて業務で使うのは不安だった。
で、タンノイを聴いてみようと、アーデンという大型機を置いている喫茶店があると聞いてお邪魔したBasicというお店で、サブに使われているこのグリニッジの音と顔に一目惚れしたというわけだ。


アンプは、ちょっとだけ紆余曲折したが、最終的にこのスウェーデンのCoplandブランドCTA401真空管アンプに落ち着いた。
92年ごろにパイオニアが輸入していたものらしい。

当初アメリカMcIntosh社の真空管アンプでやっていたのだが、故障が続き、その度に大変な労力を取られるのと、お店のBGMってのはボリュームに気を使うもので、お客様からも随分「音量を下げてくれ」と言われて、それなら気の利いた、他所で使っていないプリメインアンプはないだろうか、と探していてこいつに出会ったのだ。


今までやってきたことや出会った人たち。
そんな日々の全部で今の自分なんだなあ、とあらためて思うわけで。
だから、自分だって誰かの大切な出会いのひとつでありたいなあと、心からそう思うのです。


(旧Cafe GIGLIO Blogから加筆修正して転載しました)

2013年5月28日火曜日

音楽愛好家の目から見た「珈琲」の味わい

コーヒーを飲んで美味しいと思う子どもは少ない。コーヒーや茶が「経験的味覚」と呼ばれる所以だ。

その「経験的」なるものの中核を成すのが、お馴染みの「カフェイン」という物質が作り出す風味だ。
カフェインというのは、誤解を恐れずに言えばコーヒーや茶の樹木が自らの身を害虫から守るためにまとった「毒」なのだ。

彼ら(コーヒーや茶)は、この毒をその身に持つために樹木としては非常に短命で、数年の寿命しかない。
そのかわり虫の脅威に晒されずに群生して勢力を伸ばしていく。そういう生存戦略を選んだ種族だ。

我々人類は、虫なんかよりはずっと耐性が強いので、このカフェインは「毒」としては作用せず、神経系に程よい「緊張」をもたらしてくれる。
イスラム教の公式飲料だったコーヒーがキリスト教でも認められて(本当に教皇に洗礼を受けたのだ)以降、昼間からワインやウィスキーばかり飲んでいて半分眠っていたヨーロッパ社会は、文字どおり「覚醒」したのである。

しかし、神経に緊張をもたらす程度とは言え、毒は毒。味覚中枢はこれを恐る恐る味わう。だからコーヒーの味は何度も経験を重ねて初めて味覚中枢の奥底まで届くのだ。


音楽に対する審美性もこれに良く似たところがある。

音は、空気の振動だ。
どんな音も正弦波と呼ばれる「波」が変調して音を構成している。
この波の特定の組み合わせで共鳴という現象が起こって、新しい音波が生まれる。
こうして音楽の美しい響きというものが作られているのだ。

西洋音楽の基礎は9世紀ごろに成立したグレゴリオ聖歌にある。
メロディーだけで出来ていて響くようなところはない。
後にオルガヌムと言われる即興で、多くは5度(ドに対するソ)の和声を重ねる技法が出てくる。
5度の和声は最も響きやすい波の関係で和音の最も基本的な構造だ。

オルガヌムの時代にも時に3度(ドに対するミ)の和声が使われることがあったが、これは5度に較べると奇麗なだけの響きではない、当時の人々にはちょっとした違和感を感じさせる響きがあった。
しかしだからこそ、この音には魔術的な魅力があり、すぐに基本的な和声音として取り入れられる。
和声的には重要な音で、この3度の音を半音下げると短調の和音になる。


バッハはこの理屈を鍵盤楽器で出せる12の音に当て嵌めて、12音それぞれの長調と短調の24の調性を使った24のピアノ曲を作った。
平均律クラヴィーアというピアノ曲のバイブルがそれだ。
18世紀中盤のことなので、3度の和音がもたらす緊張を経験的に審美できるようになるまでに700年近くかかっていることになるだろうか。

そして18世紀後半に登場するベートーヴェンによって、音楽の緊張を審美するムーブメントは急速に加速される。

なにしろ交響曲第一番の第一音が、下属調の属七の和音で、今で言うサブドミナント・セブンスという緊張感の高い和音だ。第一交響曲の第一音から、当時の不協和音の中でぎりぎり使用を許されていた音を使うというのがベートーヴェンらしい。
さらに有名な「熱情」というピアノソナタでは、これまたぎりぎりの不協和音、属九の和音を3楽章の冒頭に使っている。

どちらの和音も現代の音楽では何の違和感もなく使われる普通の和音だが、これも革命者ベートーヴェンあってのことと言えるかも知れない。

そして、現代の音楽ではこれらの属九、属七の半音上、下、そして11度、13度といった和音を駆使して、聴くものに様々な味わいを持つ緊張感を与えようと腐心しているというわけだ。

ワーグナーの有名な「トリスタンとイゾルデ」というオペラの序曲に至っては、最初から理論的に説明不能であるがゆえに「トリスタン和音」と呼ばれている奇怪な響きから始まって、とうとう楽曲の最後の最後に一回だけ主和音が登場するという破天荒ぶりだ。

しかし、それでもやはり最後には主和音が登場するというのが、音楽という芸術だ。
様々な響きや和声の進行を使って、主和音に辿り着きたいという心情的な緊張を作り出すのが作曲の技法の主体なのである。


こうしてみると人間というものは、どうしようもなく生きていくということの中に、変化とかアクセントとか、シンプルに言えば「楽しみ」というようなものを求める存在なのだと思う。


自分が作っているコーヒーという飲料も、きっとそのひとつ。
神経系に適度な緊張をもたらすコーヒーを作るための適切な苦味を引き出せる焙煎ポイントは一点しかなく、作り手側としての自分は、その一点を逃さないための緊張を、また楽しんで生きていこうと思う。
どうかよろしく。

(旧Cafe GIGLIO Blogから転載)

2013年5月27日月曜日

レモンティー

札幌もずいぶん春めいてきました。
まだ、アイスドリンクの注文が増えるほどではありませんが、「今日は紅茶にしようかな」という方が増える時期です。

どちらかというと珈琲は濃厚な味わい、紅茶はさっぱりした味わいというイメージがあるようです。
そしてそれは、珈琲の味の中核が「苦味」で、紅茶のそれは「渋味」であるからなのでしょう。

冒頭から脱線で恐縮ですが、よく珈琲の苦味はカフェインの味、という説明をネットなどでみかけますが、カフェインは確かに苦い物質ではありますがほんのりした苦味しかなく、感覚的には珈琲の苦味の10%ほどを担っているに過ぎません。
大部分は焙煎で生成するクロロゲン酸分解物や褐色色素群の味が苦味を担っていて、焙煎が進むと生成量が増え、さらに炭化していくため、焙煎が進むほど苦くなるという理屈です。
カフェイン自体は焙煎によって微減していきますので苦味への寄与度は減っていくのです。

それはさておき、カフェジリオは自家焙煎珈琲店ではありますが、紅茶も重要なメニューだと思っていますので、開業前にブルックボンドハウスのティー・インストラクター講座で2週間ほど集中的に勉強しました。
日本紅茶協会公認のインストラクター資格も取りました。
札幌の紅茶屋さんを回って、一番美味しかった石渡紅茶さんから茶葉を分けていただいて営業しています。

昔は、紅茶、と頼むと「レモンにしますか、ミルクにしますか」と聞かれたものですが、今は多くの喫茶店で「レモンティー」とか「ミルクティー」とかいう言い方はしないですし、ウチも紅茶の種類で載せています。
さらに、レモン下さい、と言われたことは開業以来たったの一回しかありません。
もうレモンティというメニューは、あまり飲まれなくなっているのでしょうか。
だとすると、勉強中に習ったことで、思い当たることがあります。

紅茶の渋味の主成分は「タンニン」です。
このタンニンは、レモンのクエン酸と結びついて紅茶の色を薄くしてしまいます。紅茶の色は水色(「みずいろ」ではなく「すいしょく」)と言って、味わう際の重要な要素ですので、これが薄くなってしまうのは好ましくありません。レモンを皮ごと入れると、これまたタンニンと結びついて今度は苦味成分を作り出してしまいます。
味も損なわれてしまうのですね。

そんなこともあってか、ブルックボンドのテキストにはレモンティーの「レ」の字も出てきません。
ですので、ジリオでも紅茶にメニューに特にレモンやミルクとは表記していないのです。


中国では、緑茶にレモン果汁を入れる飲み方があったそうで、本家シノワズリー(中国趣味)の伝播者である英国と、その文化的影響を強く受けた台湾では今でも緑茶にレモンを入れる飲み方が残っているそうです。ただし、英国では紅茶にレモンを入れることは一般的でなく、ミルクをいれるのが常道です。

そういえば、ピーター・ラビットの作者ビアトリクス・ポターの生涯を描いた映画「ミス・ポター」で、出版のマネジメントをしてくれる(後に恋人となる)男性が、はじめて家に招かれた時、「お茶は?」と聞かれて、「あ、レモンで」と答えて家人に怪訝そうな顔をされるというシーンがあり、マナーにうるさい上流階層と実業家との身分がはっきり分かれていたことを表現していました。

日本の飲料に関する習慣は戦後アメリカのやり方に上書きされたものが多いのですが、紅茶にレモンを入れる習慣も、アメリカのレモン農家が酷暑の農作業中に疲労回復に効果のあるクエン酸を摂取するために冷やした紅茶に入れて飲んだのが伝わったもの。
冷えていれば苦味も強くは感じないため一般的になり、いつしかあたたかい紅茶にも使われるようになったのかもしれません。


紅茶のことは知っているようで知らないことが多く、開業前の修行中に何度も驚きました。
紅茶と緑茶とウーロン茶は、同じカメリアシネンシスという植物の葉で発酵の度合いが違うだけ、とか。
そのカメリアシネンシス以外の植物で作られた飲料(つまりハーブ茶のようなもの)は茶外茶と呼ばれるとか。
ティー・スプーンは茶葉2gの計量にも使えるようにコーヒースプーンより大きいとか。
オレンジ・ペコーは紅茶の種類じゃなくて茶葉の大きさの規格だとか・・

こういう食についての常識が、特に飲料について弱いのは、我々喫茶店側が正しいメニューを備えていないことに原因があるのは明らかだと思います。
レストランや料亭で料理に勝手な名前をつけて長い時間をかけて先人たちが磨いてきた伝統あるメニューを汚したりしているのを見かけることはほとんどありません。

カフェや喫茶店が簡単に開業できてしまうため、充分に勉強していない人が多いということなのかもしれません。
自戒をこめて、真摯にやっていきたいと思っています。

(旧Cafe GIGLIO Blogから再掲)

2013年5月24日金曜日

車椅子入店拒否事件が他人事でない理由

乙武さんの「イタリアン、車椅子入店拒否事件」は、我々のような個人経営の小規模店舗にとって、まるきり他人事ではない。

人は我知らず、お店で受けたお気に入りのサーヴィスを他の店舗でも求めるものだ。
それは例えば「あら、〇〇はないのね」というような言葉で現れる。
おそらくそれは見たままの言葉で、悪意など欠片もないのだ。

それでも、文字通り人生をかけて自分のお店を切り回している人にとって、その言葉は生き方そのものを否定されるような鋭利なエッジを持っている。
そしてそのようなナイフは、想像されるよりずっと頻繁に飛んでくるものなのだ。

経営者は常にそうしたプレッシャーとストレスに晒され続けている。
ストレスへの耐性には臨界点のようなものがあり、だから、何気なく発されたお客様の言葉に、時に激しく反応してしまうことがある。

そしてボタンは決定的に掛け違えられた。

とは言え、これはボタンの掛け違いにすぎないがゆえに、時間が容易に解決してくれる。
冷静になれば店主も相手に悪意などなるでなかったことに気付くし、自分の使った言葉がその状況にまるで相応しくなかったことにも気付くものだ。

かくして事態は収拾され、この一件はすでに過去のことになりつつある。


しかし、僕は、この一件が乙武さんが「食べログ」で予約したことから始まっていることに、実は強い既視感を持っている。

カフェジリオもおかげさまで、食べログにたくさんのレビューが載っているが、最初にレビューを書いて下さった方が、たまたまレギュラーの商品ではない「ミルクレープ」を召し上がられて、それこそ勿体ないような絶賛レビューを書いて下さったのだった。

またこれが文章の上手な方で、自分でも食べてみたくなってしまったくらいで、それを見てミルクレープを指名して来店される方がちらほら現れた。
イレギュラー商品で、滅多に出ないものだし、だいたいカフェジリオのホームページに掲載していない商品なのにおかしいな、と思い、来店されたお客様にお聞きしてみてはじめて食べログに載っていることを知ったのだ。

それ以降も、食べログユーザーがミルクレープ情報に惹かれて、ご来店。そして後発のレビューを書く、という流れで、結果的に食べログだけ見ると、ミルクレープが一押しの、誰か他の人がやっているお店のように見えて、よそよそしささえ感じるくらいだ。


そういう僕にとっては、良くも悪くも食べログというのは、ごく一部の人たちの個人的な意見によって構成された情報源で、予約をする際の補助的な情報にはなっても、これで予約をしようという気には到底なれない。
ましてや僕のところには、過去に一ヶ月に一度は、「食べログにやらせのレビュー書いてあげますよ」という営業のメールが来ていた時期もあったくらいだし。

それに僕は昔から、気心の知れた自分のお店を作って、長く通い続けるのがカッコいいと思っていたし、だからこそ誰かと食事をするお店に、自分のよく知らない店を選ぶような習慣はなかった。

だから僕の作ったこの店は常連さんと一緒に長く細く運営していくように、細部まで事業設計されているのだ。
もちろんお店の使い方は、それぞれでいいと思う。でもそれだって自ずとお店のカタチの範囲内のブレで収まるものだ。

それが、食べログのようなメディアに載ることでブレが増幅され、少しはみ出して鋭いエッジを持ったナイフと化す。

食べログにはお店自身からは出てこない、お客さん目線の情報を知ることができる。
でもそこには、お客さんの視点しかないのだ。
我々が情熱の限りを尽くして設計した事業への思いは、そこには入り込む余地がない。
そしてやらせレビューの入り込む闇の源泉もそこにあったのだ。

コントロールのできない食べログというメディアが、僕は恐ろしい。
心底怖い。

2013年5月23日木曜日

牛乳を奥から買うことの意味

長くサラリーマンをやってきて、たいして下積みもせずにこのカフェを開いたので、最初は驚く事ばかりでした。

普通、「経営課題」といって最初にイメージするのは顧客の獲得だと思います。で、それは確かに事実そうなのですが、これを左右するのは商品力そのものであって、商品力の無さを他の何かでカバーしようとするというのは、まさに本末転倒。考えてもあんまり意味がありません。
むしろ、いつも大きな問題となるのは「ロス」でした。


家族経営を主是とするカフェジリオの経営では、生産力を向上させるという選択肢はありませんから、わざわざ人目につかないところで営業しています。
ですから顧客数は少ないのです。
しかしその日お客様が何を買いに来られるかはわかりませんし、消費者の心理として選択肢の少ない商品は売れない。
だからある程度の数を揃えて開店することになり、結果として一定の数のロスが発生します。

先日、コンビニの経営についての本で「弁当を一個廃棄すると、六個分の利益が飛ぶ」と読みましたが、まさにそのようなことが店をやっている限り必ず問題になります。
開店直後、提供していたサンドウィッチなどは評判の良い商品でしたが、普通にやっていると50%くらいがロスになってしまう。たまらずメニューから下げてずいぶんお叱りを戴きましたが、その分ケーキに集中できたので、その後いくつかのヒット商品にも恵まれ結果的には良かったと思っています。

ロスの問題がしばしば前面化するのは、焼き貯めておける焼き菓子の賞味期限との兼ね合いにおいてです。

私もこの店を始めるまでは、スーパーで牛乳を買うとき見える範囲で消費期限の異なるものがあれば新しい方の商品を奥から取り出して買っていました。
この行動様式は一般化していて、私たちのような店でもクッキーを並べておけば、たいていの人は奥から買って行きます。結果、棚に2種類の日付の商品が並べば古い方のものは、そのままロスになる公算が大きいということです。
私たちのような小さな店なら、並べ方を考えるだけで解決できる問題なのですが、様々なチャンネルで大量に販売される石屋製菓の「白い恋人」なんかでは回避しようがないでしょうから、一昨年問題になったような賞味期限の改竄なんていうことが起きるのも、あっちゃいけないことだけど、わからなくもない。
そう気付いて以来スーパーで牛乳を奥から買うのは止めましたが、日本全国で果たしてどれだけのロスが、この何気ない悪意なき消費者のごく自然な行動によって起きているのかを考えると、行政の無駄を云々しているのが莫迦莫迦しく思えてくるくらいです。

たかが、牛乳を奥から買う事が、事業者にどれだけ深刻な影響を与えるか、私はこの事業を自分で経営するまで体感する事ができませんでした。

経験という裏付けが無いとき、どうしても人間の判断は一面的になります。今目の前にあることだけでしか判断できないからです。物事は時間軸の中を流れているし、その流れの中で実に多くの事と関係を持ちながら変転して行く。これはおそらく経験(読書のような間接的な経験も含め)からしか得られない知見です。さらに人間の視界は、絶望的なほど狭い。

経験していないことには、思いもよらない見えない一面がある。
だから、報道や誰かの言論を引用して、一面的な批判を述べる事なんかでは、せいぜい自分を賢そうに見せることくらいしかできないし、ましてや世界を変える事などできはしない。
村上春樹は、良い小説を書くために必要なことは、と聞かれ、「結局のところ良く生きる、ということしかないのだと思います。」と彼らしい物言いで答えておられた。
「簡単に口にしない」ということを経営の教訓として肝に銘じて、せめて自身の日常の集積であるこのカフェの経営を誠心誠意「経験」しながら、「良く生きる人」の一員となれるよう精進していきます。

2013年5月20日月曜日

続・スモールビジネスのウェブの一例として

カフェジリオのホームページは、Digitalstage社のBiND5というソフトで作っている。FLASHベースのホームページを作れるiD for WEB LiFEというソフトからの付き合いだったが、iPhoneはFLASHに対応していないことから、HTMLベースのページに移行しようと思っていたら、折よく同社からBiNDが発売されたので乗り換えた次第だ。
BiNDになってからVer.1から3、そして5と飛び飛びにバージョンアップに付き合った。

出来がいいからではない。
開発側はバグではないと言いたいだろうが、作業中首を捻らざるを得ない素人っぽい不良仕様がたくさんあるのだ。
一番腹立たしいのは、文字列を選択する際、たいていのメジャーソフトウェアでは文字列をはみ出すように指定すれば全体を指定できるが、Digitalstage社のソフトはどれも最後の文字をはみ出すと指定がキャンセルされるという恐ろしい仕様になっていることだ。
文字の選択の仕方なんて、ある種の作法なのであって、一ソフトメーカーが口を出してはいけない領分だと思うのだが。

それでもこのバグ(仕様?)が次のバージョンでは消えているのではないか、と期待してしまうのは、やはりそのテンプレートのセンスにある。
もう、こうしたいのに、なんて思わずにテンプレートが要求するようにコンテンツ側で工夫して写真や文章を埋めていくとプロが作ったようなサイトが出来る。いやそういう意味では「プロが作った」サイトなのである。

だからこのソフトウェアハウスには、「センス」以外のものを求めてはいけない。
ネットショップを作るためのスペシャル・パッケージなどがあるのだが、まるで使いものにならない。
現代に生きる僕らはAmazonのこの上なく洗練されたインターネット・ショッピングを体験してしまっている。そんな僕らに、この会社の提供するインターフェイスはあまりに時代がかっていて、やはりデザインのセンスとビジネスのセンスは別物なのだな、と思わずにいられない。
ネットショッピングなら、受注管理、顧客管理ができるネットショップ開業ソフト「ネットショップ・オーナー」や、ASPサービスの「MakeShop」など専業の洗練されたサービスがある。そちらを利用したほうがいいだろう。

あ、あと大量についてくる著作権フリーの写真は本当に助かる。
これだけで、ソフト代のもとが取れてるかもしれないくらい。
写真の選択もこだわりすぎないのがコツ。ピンときたら貼ってみる。
しばらく見てると、ふーん、いいじゃない、となる。
いい写真ってそういうもんだと思う。


最近レンタルサーバー内に設置して独自ドメインでのブログ付きサイトを簡単に作成できるWordPressが大流行だが、それゆえパッと見て、ああWPだなとわかってしまうけどカッコイイからいいと思う。事実、自分もBiNDを使っているのに、かなりWPのテンプレートを意識して作ってるし。それに無料だし。
それでもソフトで作りたいのは、やっぱり僕の感性が古いのだろう。

結局カフェジリオのサイトは、大きなリニューアルを三度ほど行ったが、その度に情報を「減らし」ていった。
サイトの情報が充実してもお客様が増えるわけじゃないし、更新性の高い情報はBlogで流せばいいし、今はFacebookもある。
だからケーキやら焼き菓子やらのいちいちの情報を削除して、経営の考え方を書くことにシフトしてきた。

長い間広告の仕事をやってきて、これは真理だなと思うのは、広告ってのはできるだけたくさんの人に知ってもらうための投網であると同時に、本当にそのサービスによって幸せになる人を選り分けるためのフィルタなんだってことだ。

だから結局のところホームページを作るという作業は、自らが設計したサービスが本当は何だったのかを日常のお客様との関係の中で感じ取って、それをどれだけシンプルな言葉にできるかを問われているわけで、だから必要な「作業」はどんどん単純になっていくものなのだ。
そしてそれが何より難しい。
精進していきたい。

スモールビジネスのウェブの一例として

昨日、絶好の花見日和の中、店にこもって自社サイトの再構築に勤しんでおりました。
あわせてこのブログのデザインもちょっといじりましたが。

このカフェを開業する前、広告営業をしていました。
世の中は完全にネット媒体にシフトしていて、効果的な広告に関する考え方そのものが再構築されていった時代。

我々の商品もネット媒体が主力になっていきましたが、情報が集積されたサイトで気になる情報を見つけた人は、そこで完結せずに大本のサイトに情報を確認しにいくもの。
というわけで、広告の提供側としても情報の受け皿である自社サイトを充実していただく必要があり、そんな流れでお客様の自社サイト制作なども受注することがありました。
おかげで、ウェブ制作やSEOに関する基礎的な知識くらいは身についていたんですね。

だから、自分の店を作る時に、ウェブ戦略は重要だと思っていたし、またどこかに発注すればそれなりのコストがかかることも知ってはいたものの、なんとか自力でやってみようという気になったのです。

結果2007年から現在に至るまでカフェジリオのサイトは一貫して自作を通しています。

問題もありました。
最初の自社サイトを作って、Google検索をしてみると、同名のイタリア料理店がトップに出てくる。これでそのお店の存在を知って、さっそく行ってランチなど食べてみたら、これがウマいんですよ。(現在はオステリア・ジリオの名前で営業中です)

まあ、そんな呑気なことも言っていられない事態なんだけど、楽観視してたのは、イタリア料理店のカフェジリオさんには自社サイトがなく、口コミサイトの投稿が表示されていただけだったから。

Google検索の仕組みでは、同一ドメインの中でキーワードに合致するものを拾う数を制限している。口コミサイトのような大きなサイトでは、それだけ埋もれる可能性が高いということになる。
その意味では、やはり独自ドメインを取ることがSEO的にはキホンのキ、であって、その上でアクセスを増やす工夫をしないと、せっかくの工夫が効果に繋がっていかないのですね。

でまずはレンタルサーバーを探して、独自ドメインをとることになります。
ここで僕は最初のミスをします。

プライベート環境でのプロバイダは最初からずっとソネット。
当時やってたバンドや作曲活動報告のためのサイトを作ったのもSo-netさんのサーバー。
だからあんまり考えずにソネットのサイトでドメイン取得サービスを探して、すぐに見つけて、なんだ簡単じゃないか、とcafegiglioとかcafe_giglioとかいろいろ試して、空いていたcafe-giglioで独自ドメイン登録したんです。
ほんの30分くらいの作業でした。
初期費用8,190円、その後年額5,040円。

そしてその後レンタルサーバーを探すんですが、どう検索してもロリポップというサービスがトップにくるから、変な名前だなあと思いつつも調べてみると、当時としては本当に抜群に安い。
へえーと思って、こちらに申し込んでみると、ムームードメインというこれまたヘンな名前の独自ドメイン取得サービスを持っていて、なんとドメインによっては年額580円で済むというではありませんか!

あー、先にレンタルサーバー探しをしておけばよかった。

今でも乗り換えを考えなくもないが、こういうのにトラブルは付き物なので、事なかれ主義で何もせぬまま現在に至っております。
これから、スモールビジネスをやって自分でサイト作成をやろうと思っている方は、迷わずにロリポップにすべてを委ねるが吉、と思われます。

ロリポップの良いところはそれだけではない。
独自ドメインでロリポップサーバーを使うと、同じドメイン・ネームでJUGEMブログも使える。うちの場合だとcafe-giglio.jugem(現在は別のドメインを使ってます)というドメイン名になるわけ。
他のブログサービスを使うと、その独自ドメインと共通性のある名前が空いているかどうかの保障がないわけだけど、ロリポップの場合には連携したサービスなので、自然に同じドメインネームが使えることになって、まことに具合がいいのです。
(別にロリポップの営業をしているわけではありません)

で、またSEOの話だけど、検索で上位にくるサイトの条件に「信頼性」というのがあって、たくさんのサイトからリンクされているとか、たくさん更新されてるとか、UUが多いといようなことを総合的に判断している。
ところが、実際やってみるとお店のサイトなんかをたくさん更新するというのは、物理的に無理があって、自然ブログに頼ることになる。
で、ブログの方で一生懸命更新して、自社サイトとブログのリンクされた連合体の信頼度を上げていこうとしたわけです。
ま、そのことに気付いたのがすでに開店して2年目くらいの時だったのですが。

リンクしはじめて最初のうちは、あまり効果がなかったけど、一年くらいしてブログの更新件数が100件超えたあたりから、めきめきと検索順位が上がり始めて、今はあまりまめにチェックしてないけど、いつも一番上に自社サイトが表示されるようになった。
閾値のようなものがあるようですね。
現在は、今ご覧いただいているGoogleのブログサービスでcafe-giglioドメインが使えたので、こちらに乗り換えて、もうJUGEMの方は一年近く更新らしい更新をしていないのですが、200件近い投稿をしていると放っておいても検索で人が集まって毎日100~300程度の集客があります。
で、自動的に自社サイトの(検索エンジンにとっての)信頼性を稼ぎ続けているのです。

次回は、実際の自社サイトの作成について書いてみたいと思います。


2013年5月9日木曜日

せっかくだからストレートコーヒー、の真意

カフェジリオの珈琲は、ブレンド2種、ストレート9種をご用意しています。
ですからお客様は、はじめてメニューから珈琲を選ぶ時、少なからず迷われます。
珈琲の味は実に言語化が難しく、苦いか酸っぱいかの二元論だけで語られがちです。しかし、珈琲は苦味、酸味の要素に絞ってしまえば、それは焙煎度の深浅だけの要素で、だから本来珈琲は苦くても酸っぱくても失敗なのです。
では、その先の珈琲豆の持つ本来の香味は、どのような言葉で表現すればいいのかと言われると、これが甚だ頼りない。


例えば、エチオピアは「花の香」と言ったりします。隣国マラウイには良質の珈琲を形容する言葉に「花束を抱えたような」という粋な慣用句が存在します。
キリマンジャロの名で知られるタンザニアは「柑橘の酸」と評されます。確かにそのような鋭い酸味が持ち味の珈琲です。
しかし、これらの「業界用語」で皆さんに珈琲の味は伝わっているかについて、僕は懐疑的です。
しかも歴史の浅い(とはいえ結構古いですが)コロンビアやブラジル、グァテマラなんかはどういう言葉で表現すればいいのかがまだ定まっていなくて、コクとかキレとかビールみたいな言葉で表現されている。
ワインみたいな言語的洗練を得るまでにはまだ遠い道のりが残されているようです。

そんな訳で、どう説明されてもお客様には完全にはその味がイメージできないから、「オススメは?」と聞かれます。
私は間髪をおかず「ジリオブレンド」です。とお答えしています。
それがこの店のコーヒーのコンセプトを体現している、いわば珈琲屋としての私の名刺だからです。
すると大半のお客様は、「うーん、せっかくだからストレートを飲みたいのです。ストレートのオススメは?」と重ねて問われます。

自分で聞いた「オススメ」を退けて重ねて問うほどの「せっかくだから」の真意はどこにあるのでしょうか。
「せっかくここに来たのだから、ここにしかない珈琲を飲みたい」わけではないですね。ここにしかない珈琲こそが、お店のブレンドなのですから。

だとすると、
「せっかく喫茶店に来たのだから、できるだけ美味しい珈琲を飲みたい。」
という気持ちに対して、
「ブレンドコーヒーよりもストレートコーヒーの方が美味しいはずだから」ストレートの方からオススメを言って欲しい、のでしょう。

もしかしたら、美味しくないブレンドを出すお店が多いのかもしれない。
品質の悪い安価な豆を混ぜて、原価を削減しているお店があるのかもしれない。

私がブレンドコーヒーをオススしていることに対して、「何かお店に都合の良いものを押し付けられて、自分の方は損するのではないか」という疑いもあるのかもしれない。

まさに自業自得。
喫茶店という業界が、不実を重ねてきた報いを今、受けているというわけですね。
そして、まさにこの一点が、スターバックスの日本進出以降、すごい勢いで喫茶店が減っていった要因なのでしょう。

逆に言えば、今生き残っている喫茶店は、付加価値のみで生き残ったお店を別にすれば、どこに行ってもブレンドがストレートに劣る店はないはずです。

大切なことなので、改めて申し上げておきますが、ブレンドコーヒーというのは、お店の考える理想的なコーヒーの味の体現なのです。

私共の話をすれば、ともすれば単体ではすこし癖の強さを感じるエチオピアの花の酸味とタンザニアの柑橘の酸味を、ブレンドすることで立体的に味わい、両者に共通して欠けているボディ感をアジア系の豆で補う。これがジリオブレンドのコンセプトで、コーヒーの酸味の誤解を解く、という私自身のコーヒー屋としてのビジョンを実現させる尖兵なのです。

幸い常連になってくださったお客様は、多くのストレートコーヒーをお試しいただいて、結果的にジリオブレンドのリピートユーザーになっていただいている方が多いです。

またそういう方は、時折違う味のコーヒーを楽しむためにストレートコーヒーを飲まれます。これは一歩進んだコーヒーの楽しみ方と言えます。
そういう方にこそ、同じアラビカ種の豆なのに産出国によって(つまり育つ土の風味で)まったく味が違うコーヒーの香味を積極的に楽しんでいただきたいと私も思っていますので、そのお手伝いは喜んでさせていただきたいのです。