2013年12月3日火曜日

マネジメントするということ:「管理」ではなく「情熱」で、「組織」ではなく「社会的意義」を

夫婦で商売をやっていると、最初のうちは「いいですね〜」と言われるが、打ち解けた話になると、特に男友達からは「でも奥さんと仕事って大変じゃない?」と訊かれる。
もちろん大変だ。

でも夫婦だからなのではない。
上下の関係がないところにマネジメントもないからだ。

一応カタチの上では僕の個人事業ということになっているが、自家焙煎珈琲および喫茶部門と製菓販売部門の二人のCOO(chief operating officer)、というのが実情だ。
売上の大きさで言えば、家内の事業の方が若干大きいわけだが、だからといって事業の本質である「味」に言及出来ない以上、どちらかが代表してこの全く異質な事業をマネジメントすることは事実上できない。

だから、僕らはお互いのマネジメントをしない。

しかしそれでもひとつの店をやっている以上どうしたって、合意を形成しなくてはならない場合もある。
そんな時、「僕ならそういうやり方はしないがなあ」と思っても、伝えようとすれば指示や提案といった穏健なものにはならず、夫婦喧嘩の一形態として顕現することになる。
マネジメントが介在できないから、そうなるしかないのだ。

そういう時僕らはマネジメントの真似事をしない。
必要と割りきって、切り出して、どちらかが我慢する。
そういう意味ではマネジメントがあったって、なくたって結果は同じなのだ。

そんな時いつも、だいたいマネジメントなんて本当に必要なんだろうか、と思う。


ピーター・ドラッカーの時代の「マネジメント」は良かった。
それは社員の仕事のスタイルを管理することなどではなく、その事業には社会的意義は本当にあるのか、と問い続けることだった。
そのために必要な部署と役割はこうだ、と定義すること。それがドラッカーのいうマネジメントの本質だ。

それが、「失われた10年」あたりから、人心掌握術とか人物評価法とかスタイル変革みたいな内向きのマネジメントが有難がられるようになり、なんだか窮屈な世の中になっていったのを覚えている。

平成元年に新卒で入った会社でお世話になった当時の課長は、そのようなマネジメントは一切しなかったように思う。
でもその課長は営業進捗の報告と、時々同行していただいた時の感触から、直接担当している僕よりも正確に、その商談の行方を見抜いた。
その理由が知りたくて、同行してもらうと課長がお客様に話す内容をずっとメモしていた。
ずいぶん後になってから、親しくなったお客様が「新人の頃の君はずっと課長の話を一生懸命メモしてたけど、最近話し方も似てきたね」と言ってくださった。
不思議にそんなことがうれしかった。

その後僕も課長になって、部下と一緒に営業をした。
管理するのではなく、僕ら自身が社会に必要とされているかどうかを一緒に体感したかった。
課長の背中を見ながら仕事をしていたあの頃のように。

でももう時代はすっかり変わっていた。
限られたリソースで経営が要求する数字を作らなくてはならない。期待されている時間も短かった。
僕のチームは一定の成果をあげることが出来ず、年度途中で解散させられた。
そしてマネジメントの必要がない、今までとは違うミッションが与えられた。
今までの日々のすべてや、あのお客様の言葉さえもすべて否定されたような気がして、自分の力不足がとても悔しかった。

その日から僕は、かねてからやりたいと思っていた喫茶店というスモールビジネスを、「管理」ではなく「情熱」を使って、「組織」ではなく「社会的意義」を維持できるものにするにはどうすればいいのか、を真剣に考え始めて、現在のカフェジリオの基本的な枠組みを構築したのだ。

頑なに成長を拒否しながら、ありったけの情熱を注いで、昨日と同じ今日を歩もうとする路地裏のカフェは、今のところうまく機能しているように思える。
だからあの日負った心の傷を忘れるわけにはいかないのだ。
この痛みだけが、僕自身をマネジメントしているのだから。

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