2013年12月24日火曜日

ニューヨークの夢、夢のイタリア

クリスマスになると、決まってポーグスとカースティ・マッコールのデュエットによる「ニューヨークの夢」をかける。
なぜ、この曲をかけるのかについては毎年書いているが大事な話なので今年も書く。

堕ちた天使
堕ちた天使
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ザ・ポ-グス
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昨年は映画「華麗なるギャツビー」に魅せられ、翻訳ミステリ「夜に生きる」に痺れた。
どちらの物語もその背景にアイルランド系移民の恵まれない環境がある。
「自由」の旗の下で生きていくことの厳しさの側面が、そしてその中で生きていくことに決めた人間の強さが描かれている。

ポーグスの「ニューヨークの夢」に描かれているのも、アイルランドから夢を追いかけてアメリカに移住して来た移民の物語だ。
なかなか成功を掴めず年老いてしまった夫婦が、若い頃の出会いから始まり、クリスマスの夜に飲んだくれて警察に拘置され一夜を明かした翌朝の会話で終わる。
その会話がこれだ。

「俺には明るい未来があったはずなのに・・」

「そんなこと誰にだって言えるわ!
「最初に知り合った時に、あなたは私の夢を持って行っちゃったのよ」

「ああ、その夢なら俺が今でも大事に預かっているよ
「自分のと一緒にしまってあるのさ
「俺はどうせ一人でやっていけるような強い男じゃない
「君がいなければ夢を持つこともできないんだ」


僕は毎年クリスマスになるとこの曲を聴き、そして今もこのご老人の言い分に激しく共感している。
僕もまた一人では夢を持つこともできなかった男のひとりだからだ。


豊かになった日本に生まれ、戦争も知らずに生きてきた僕たち夫婦は、そのうえさらに幸運にまで恵まれて、こうしてお互いの郷里に近い札幌で、お互いが夢見てきた喫茶店とケーキ屋さんを融合したようなお店を開くことができた。

でも本当にこれは僕の夢だったんだろうか。

思い返すと僕の心にあったのは「サラリーマンにはなりたくない。けど今の自分に何ができる?」ということだけだったような気がする。
高校生くらいの時から、そのような自問自答の消極的な選択肢として「喫茶店ってのもいいかなあ」とは思っていた。

でも結局そのための何かをするでもなく、好景気の後押しで大学の先輩に勧められた会社に就職して社会人になってしまった。
そうして配属された部署で、僕の目の前の席に、子供の頃からの「ケーキ屋さんになりたい」という夢を実現するための資金が欲しくて就職しましたっていう人(家内デス)が座っていた。
僕は自分の考え方の甘っちょろさに深く深く恥じ入った。

そして図々しい僕はその人の「意志」に自分の漠然とした希望を仮託することで、形をもった「夢」に変えてもらったのだ。
そうしておいて、僕らは二人分の夢を束ねて半分ずつの力で実現したのだった。

そして強欲な僕らは、二人で作ったもうひとつの夢を持っている。
家内の菓子職人修行のスタートがたまたまイタリア料理店のドルチェ担当であった縁で、イタリアという国に興味が湧き、二人でイタリア語を学び、実際に何度もイタリアに出かけた。
バイオリンが生まれた街クレモナには音楽が溢れていた。
欧州文化の故郷フィレンツェには、料理や菓子、文芸や舞踏、そして絵画など今も我々の胸を打ち続ける文化のルーツが眠っていた。
ヴェネツィアには職人の誇りが息づき、シエナには静謐な「生活」がゆっくりした時間の中をたゆたっていた。

この国で暮らしたい!
と、思った。
そしてその前にイタリアで知り合った人たちのように、郷里にきちんと根を下ろし、自分の好きなことでコミュニティに貢献する生き方をやろう。
そんな生き方が板につくまで、イタリア人に混じっても恥ずかしくないと思えるまで、頑張って働いて、すり減っていこう。
そうして歳を取ったら憧れのイタリアに二人で住んで、それまでの生活を懐かしみながらゆっくり暮らそう、と約束した。

そんなふうに新しい日々を過ごし始めてもう7年が経った。
上司も部下もいない。どんなことの責任も自分にあるという生活はなかなかしんどい。

僕たちの気持ちをよそに、国は大企業にまず儲かっていただいて、中小企業の皆さんはそのおこぼれでなんとか食べていってね、と言い出して、大企業向けの減税と合わせ技で中小企業殺しの伝家の宝刀「消費税増税」を二度にわたって振るう予定だ。
また、すごく美味しいものを作っても、「高くて美味しいなら当たり前じゃん」などと言って切って捨てられる風潮の中で、材料を偽装して、自らのプライドを削ってまでして生きていかなくちゃならない世界に、気が付けば僕らはたどりついていた。

そんな四面楚歌な世界の中でも「その夢なら、今でも僕が預かっている」と思えているだろうか。
僕はクリスマスが来る度に、ポーグスの「ニューヨークの夢」を聴きながら、その約束が風化していないのを確かめる。
そして、二人分持ったのに重くならずに、足取りが軽くなる「夢」の不思議を思いながら、僕たちは今日もこの世界を歩いて行くんだ。


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