2014年1月30日木曜日

「BGMをかける」のと「音楽を聴く」というのは、まるで別のことなのであった

喫茶店を開くというアイディアは、高校生くらいの頃から持っていた。
音楽を聴きながらできる仕事、というのが第一の理由だったことを覚えている。


でも実際にやってみると、「BGMをかける」のと「音楽を聴く」というのは、まるで別のことなのであった。


BGMはカフェの空間にあって、特別な役割を果たしている。
もちろん雰囲気のようなものを作り出す効果もあるのだが、もっと具体的で切実な役割を担っているのだ。

カフェでは、いくつかある席にグループに分かれて座る。
オープンスペースであれば、隣の席との間には物理的な空間はあるが、隔てる壁はない。
昔風の喫茶店では、椅子自体を壁にしたててグループ分けし、それぞれのプライバシーを確保する設計のお店をよく目にした。

しかしこの方法は、プレース・パフォーマンスが悪く、店が狭くなってしまうし、少々息苦しい空間になってしまいがちだ。

そこでオープンスペースに視線が直交しないように席を配置して、その空間を「音で埋める」のが近年のカフェの基本的なデザインになっている。


そういう役割を担うBGMに一番重要な要素は「音量」で、うるさくても小さすぎてもだめなのだ。
そしてその「音量」は、アンプのボリュームを廻す加減だけではなく、音楽の種類によってもずいぶん違ってくる。
このちょうどいい塩梅がわかるのに、けっこうな時間がかかってしまった。


最初のうちは大好きなロックをよくかけていたので、必要以上に音量を下げなければ適切なBGMにならず、苦労した。

意外なことに、もっともBGMに適さないのはクラシックの楽曲で、最弱音と最強音の差が大きく、大きいときはうるさいし、小さいときは聞こえない。

いろいろかけてみて、ジャズピアノのソロか、それに準じる小編成の音楽が最も無難だということがわかった。

管楽器でも(Kind Of Blue以外の)マイルズ・デイヴィスは自己主張が強すぎてキツイが、コルトレーンはどんなに吹きまくっていても、音そのものがスムースだし、音量が安定していてコントロールしやすい。

また同じように自己主張の強い音でも、ピアニストのビル・エヴァンズが弾いているものをかけているとき、「この曲、なんですか?」と聞かれることが多いのだ。
万人に受け入れられる個性、という夢のような特性をエヴァンズの音は持っているようだ。

この試行錯誤のために、ずいぶんジャズのCDを買った。
評論なども読んで勉強した。
たくさん聴けば好きになるし、知れば知るほど愛着もわく。
だから、ジャズが好きかと問われれば、好きだと答えていいような気もする。

オーディオに、ジャズ向きやクラシック向きのものがあるという一般的な認識は、もう現代ではほとんど意味を持たない。
それでもBGM向きのオーディオは存在する、と僕は思っている。

まずはアンプだが、これは真空管式がいいと思う。
小さな音量でも浸透力があるからだ。



このアンプは昨年導入したスウェーデンの真空管アンプCOPLANDだ。


一般に真空管式は「暖かい音」みたいなイメージがあると思う。
もちろんそういう音のアンプもあると思うが、この北欧のアンプはお国柄か冷静で透明な音がする。
いろんな音色の真空管アンプがあるだろうが、基本的に増幅素子ひとつでアンプリファイドする真空管の方が、化学反応を司る多くのユニットを接合して増幅を担当するトランジスタよりも「素直」な増幅感が得られるような気がする。
この素直さが、小音量でも心に忍び込んでくる音を作ってくれているのではないか、と僕は思っている。
気分の問題かもしれない。
でももともと音楽って、気分の問題でしょう?


音量が小さいからこそスピーカーも大事だ。
僕が使っているのはタンノイのグリニッヂという小型のブックシェルフ・スピーカー。
ほんの数年間しか生産されず消えていった不人気機種なのである。
おおー、タンノイですかー、と言われるほどのスピーカーではないのである。
でもこれがいいのだ。

まずユニットがひとつしか見えないが、このスピーカーは2Wayである。
ウーファーとツイーターの軸線を合わせてまるでひとつのユニットのように配置しているのである。
これにより、一直線上に音が飛んでいく。
さらにこの口径の小ささ、がポイントで、大きなウーファーはどうしたって大きな音像を作ってしまう。で、これを小音量で鳴らせば、小さくて正確なミニチュアの音像が出来上がる、というわけだ。
この高音と低音がズレてない感じが、小音量時の浸透感に有利に働いているように僕には感じられる。
気分の問題かも・・はもういいか。

自分でカフェに行くときは、大きな口径のスピーカーで大きな音像を作ってくれるお店に行く。
サラリーマン時代は、渋谷のメリー・ジェーンで呆れるほど大きな音を浴びながらアンチョビのスパゲティを食べて、日本の新本格ミステリを読むのが好きだった。

そういう意味では、完全に好きなことを仕事にできたわけでもないわけだが、これが案外悪くない。仕事ってそういうもんかもね。




2014年1月22日水曜日

僕が太地町で見たものは

ケネディ米駐日大使が、太地町でのイルカ漁について、その非人道性を深く懸念しアメリカ政府を代表して反対すると述べているそうだ。

イルカ漁に「非人道性」を感じる、という文脈が字義的にどうもうまく頭に入ってこない。
それは僕が見た、太地町でイルカに関わる仕事をする人たちから感じられる当代一級ともいえそうなヒューマニティーとの乖離が大きすぎるからだと思う。


以前僕は、専門学校の募集広告を作っていた。
専門学校にはいろいろな専門分野があるが、なかでも「イルカの調教師」=ドルフィントレーナーを養成する学科は、子供たちに非常に人気の高い学科のひとつだ。

ドルフィントレーナーは、一般に水族館がその就職先となるが、これは全国で200名程度しか現職者がいない極め付きの狭き門だ。
ひとつの就職先として、その水族館にイルカを販売する会社があると聞いて取材に行ったことがある。

太地町の静かな湾に沿ってその会社はあった。
紹介をお願いした専門学校の卒業生は、仕事のあらましを教えてくれた。

イルカはクジラ漁の網にかかるのだという。
もともとイルカとクジラは同じ動物で、サイズの違いで分類されているに過ぎない。
イルカは頭のいい生物なので、人間に捕えられたことを認識し、恐怖している。
だからこれをそのまま水族館に連れて行っても芸をするはずがない。
その販売会社の大きな役割は、水族館にイルカを渡す前に、人間への不信感を解くことにあるのだという。

仕事の現場を見せてもらった。
たくさんの若者がウェットスーツを来て、湾に設えらえた生け簀の中でイルカたちと寄り添うように泳いでいた。
生け簀は湾に沿ってたくさんあり、それぞれ別の会社が運営しているのだという。
隣の会社でも、同じ学校の卒業生が二人働いてますよ、と教えてくれた。

生け簀でトレーナーたちは、イルカに笑顔で話しかけたり、餌をあげたりしていた。
中には激しい拒絶の姿勢をとるイルカもいた。
言葉の通じないものに、自身の愛情をどうやって伝えるか、若い彼らは一生懸命だった。
うまくいかなくて休憩所で泣いている女の子もいたが、先輩たちがアドバイスをしていた。結局愛してあげる以外にないのだ、と。
イルカは、トレーナーを信頼すると決まって、餌をもらうときに水面から直立する立ち泳ぎをするのだという。
いわば、この立ち泳ぎが卒業証書なのだ。

幸運にも僕はこの取材中に、あるイルカが初めて立ち泳ぎをする瞬間に立ち会うことができた。
生け簀のなかの全員が大喜びで、拍手をしたり歓声をあげたりしていた。
見ている僕も不思議な感動に包まれて涙が出てくるのを抑えられなかった。

これ以上に「人道的」な職場を僕は未だかつて見たことがない。
これからもそうだろう。


イルカ漁を批判する声を聞くたびに、本当に批判することはたやすく、理解することは難しいと痛感する。
動物を殺して食べることは「殺生」で、植物ならば良いとするベジタリアンという考え方に僕は強い違和感を感じる者だが、そのことを批判はしない。
一部のベジタリアンの流儀では動物の中に魚が含まれていないと知ったときは仰天したが、そういうものなのだろう。
有精卵を食べることは「殺生」で無精卵ならばかまわないという論拠もおそらく説明を受けても理解できないだろうが、論破しようとは思わない。
人間の行いなど、そのコミュニティの中で容認されていればよいのである。

ただ、それを「道義」と呼ぼうとするなら話は変わってくる。
人類の歴史を汚してきた数々の殺戮の多くが、他者の振る舞いを自らの道義に照らして断罪しようとすることから始まったことを、僕らはそろそろ真剣に学んだほうがいい。


たびたび持ち上げるイルカ漁批判に、太地町のドルフィントレーナーたちから抗議の声は上がらない。
当たり前だ。
彼らは自分の仕事にひとかけらの疑問も持ってはいない。
ひたすらにイルカたちとの信頼を回復しようと笑顔で生け簀を泳いでいる彼らには、ネット越しに「人道性」を説く人たちに自分たちの仕事を理解してもらう必要なんてどこにもないのだ。
僕もそんなふうに、自分の仕事に誇りを持って生きていきたいと常々思ってはいるが、今だってつまらないことで時々心が揺れてしまう。
ますます精進していきたい。

2014年1月11日土曜日

どちらが被害者でもなく、加害者でもない

物事の見た目と内実はずいぶん異なっていることが多い。

皆さんも喫茶店などで、店員を「すいませーん」と呼んでも来ないことが多くて苛立ったことがあるのではないだろうか。僕もよく苛立っていた。もう少し、客の様子をきちんと見ろよ、と。

だから自分で喫茶店を始めた時は、お待たせしないぞ、という決意を漲らせてお客様の様子に注意していた。
様子に注意するということは、お話も聞こえてくるということだ。
お客様の喫茶店での会話というのは多岐に渡っているようで、実はそうでもない。
個人が持つ行動パターンというのはある程度決まっているもので、喫茶店で友達と会う人というのは、他の目的のときにも外食店を利用することが多い人なのだ。だから自然、話題は外食店での珍事に集中することになる。

この種の話題は、たいていお客さんが店員さんに話しかけるところから始まる。だからそれを披露するとき、冒頭には、身振り手振り付きで臨場感たっぷりに「すいませーん」という演技が入る。
店を始めたばかりのういういしい店主であった僕は、その演技にいちいち反応して、「はい!」と大声で返答し、テーブルに駆け寄ったものだ。
そのたびに、話の邪魔するんじゃないわよ、という白い目に晒されて、すごすごと持ち場に戻った。

一年もすると、お客様の呼び声に無反応な店主の仲間入りをしていた。
お客様のために、という気持ちはいささかも錆びついていないつもりだが、何かの不備が重なれば、ああ、あそこはお客さんを大事にしない店だからね、と言われることになるだろう。


実際に体験していない事象の「真意」を知ることは実に難しい。
だから世の中は、報道や誰かの細切れの言葉に反応的に紡がれた、的外れな批評に満ちている。
失言と言われた政治家の多くの発言の全文を読んで印象がひっくり返ったことなど一度や二度ではない。
ことに政治の世界などは、未来に何が起こるかわからぬ神ならぬ身で、大きな責任を負って決断をする人たちの戦場なのだ。
我々の世界とは大きな乖離があって当然ではないか。

グローバルにまたがった複雑な利権をくぐり抜け、様々な副作用を鑑みて立案された政策を、ほんの一言か二言でしか判断しない人たちのために書かれた商用文で、僕らは一刀両断したつもりの批評を書いたりする。
それでもその批評の言葉の文体が優れていたり、時代の空気にマッチしていたりすると容易に拡散され、ある種の世論が形成されてしまう。
こんな世界で、本当の意味での挫折を知らず、未だ全能感に満ちた心で社会を見る思春期の青年が、民主主義の欺瞞を暴いたつもりの投書を新聞にしたとしても誰にも責められはしまい。

重要なことは、それがどんな分野であっても、体験しなければわからない内実の真意を得ることだ。
もちろんすべてのことを知ることはできない。それでいいのだ。
自分の仕事をきちんとやる、ということだ。
自分の仕事とは、誰かに与えられたものではなく、それをやっている間は間違いなく自分の時間を使っていると実感できるもののことだ。
そこから生まれるのがプロの言葉だ。

「言葉が軽くなった」とは近年、政治家の言動を評して使われることが多いが、誰の言葉も軽くなっているのではないか。
タクシーの運転手はお客さんに道を訊き、医者は患者が欲しがる薬を処方する。
食材の営業パーソンは味についての言葉を持たず、インターネットサーヴィスを売り込みに来た人は価格のことしか言わない。

また職業人としての我々のプロフェッショナリティーが失われていくのと同時に、生活人としての我々の道理も薄れていく。
PTAの集まりに出て、子供の名前にどんな想いを込めたか、という話題になったとき、驚くほどたくさんの人が「占い師さんに決めてもらいました」と言うのを聞いて、生活の外注化の時代が始まったんだな、と感じた。


生きていくことの大切な部分をお金を払って外注することと、その外注を受けるプロフェッショナルの専門性の喪失が同時に起こっている。
考えてみれば当たり前で、どちらも同じ人間がふたつのペルソナを被ってやっていることなのだ。
何年も食材を偽装されていながら、表示された「名前」の有難さに金を払い続けた消費者と、厳しい景況の中で「高くてうまいのは当たり前」などと言って歴史と情熱の賜物であるホンモノの料理を袖にするドライな消費者を引き留めるために最後のプライドを売り渡した料理人は、同じ人間のふたつの顔なのであって、どちらかが被害者でも加害者でもない。

必要なのは批判の言葉ではなくて、学びあうための言葉ではなかったか。
経験に裏打ちされたリアルな言葉を、誰かの学びのために提供するためにこそ、この進化したInformation Technologyを使うときなんじゃないないだろうか。
わからない者同士で、わからないことを議論してわかったつもりになるために使うんじゃなくてね。

学びあう、とは言ったが、特に学校のことは考えていない。
社会が行き詰ると、すぐに学校教育の改革論が出てくるのが常だが、たいてい対症療法で役にたたない。だいたい一番大事な生きることに関する学びまで学校に丸投げしようとしているところに現代の諸問題の根っこのひとつがあるんじゃないのかい。

結局のところ一生懸命働いて生きている僕たちの背中を見て、自分の子供が何かを感じてくれるならそれ以上の教育はないと思う。 一番見た目と内実の間に嘘の入り込む余地がないのが家族の絆だと思うから。

2014年1月6日月曜日

祈り~マンデリンと経済発展とグローバリズムと

マンデリンという豆は、知名度も高く、ストレートの豆としては最もよく売れる豆だ。
インドネシアの種族の名を冠したこの珈琲は、もちろんインドネシア、スマトラ島で栽培、加工されている。
インドネシアにはオランダの植民地時代にアラビカ種が持ち込まれた。
当時イギリスの東インド会社がエチオピア・イエメン産の珈琲豆でヨーロッパの市場をほぼ独占していた。イエメンのモカ港から出荷されたため「モカ」と呼ばれたこの珈琲の通り名は、そのまま珈琲を指し示す代名詞となったほどだ。

英国以外の欧州列強はこの成功を妬ましく思い、自分たちの植民地で珈琲豆の栽培を試みるが、なかなか成功しない。
はじめて大きな成功を収めたのがオランダがインドネシアに移植したアラビカ種だった。
オランダ東インド会社は低価格戦略でモカを一気に欧州市場から駆逐した。
経営を維持できなくなった英国東インド会社は、主力を茶の輸入に切り替え、紅茶王国イギリスへの道を歩み始めるというわけである。

しかし好事魔多し。
成功を収めたはずのインドネシアのアラビカ種はさび病の大流行でほぼ絶滅してしまう。
主要な農園だったジャワ島は紅茶の栽培に全面的に移行し、現在ジャワと聞けばお茶を連想する人が多いだろうが、かつてここが珈琲の大生産地であったことはコンピュータ言語のJAVAのシンボルマークがカップから湯気を立てている珈琲であることに名残を残している。
この時、わずかに残ったアラビカの苗を大事に守り育て続けたのが「マンデリン族」という氏族であった。
他の多くの農園は、それまでノウハウを活かしてさび病に強いが安価なロブスタ種の栽培に切り替えた。
だから、インドネシアでは今でも圧倒的多数のロブスタ農園に囲まれて、ごく少数のスマトラ・アラビカ(はい、これが正しい呼び名です)が生産されているのである。

この希少性からマンデリンは高値で取引されていて、高値だから美味しいだろうということで人気があるという側面は否めない。
しかし、焙煎をしてみるとわかるが、この豆は実に素性のいい豆だと思う。
実によく膨らむのだ。

珈琲の味は、焙煎時に豆内にできるたくさんの微細な孔に生じる800種類に及ぶ化学物質から成る。よく膨らむ、ということはこの微細な孔がたくさん出来ているということを意味していて、抽出の際、味の出やすい珈琲豆であると言える。
実際の風味がよいかどうかは、それとは別の話なのだが、少なくとも良い珈琲豆になる遺伝的特質のひとつを備えている豆であることは間違いない。

しかし近年このスマトラ・アラビカの優秀性が脅かされている。
それは、周囲で栽培されているロブスタ種との自然交配である。
工業が発展するインドネシアで、農家の後継者問題が深刻化するのは日本も通ってきた道だ。優秀な人材は工場にとられ、農園の管理は少しづつ緩んでいく。
開業した7年前深い緑色だったマンデリンが、だんだん白っぽくなってきたなあと感じ始めたのは3年ほど前のことだ。
入手できる限りのサンプルを集め、昨年やっと一番当時の色合いと味に近い「トバコ」というブランドに出会った。
それも数年後はどうなっているかわからない。

ブラジルは世界で最も多くのコーヒー豆を生産する国だが、手はかかるが他にない甘みが魅力的な樹上完熟農法を行う農家さんの豆を愛用してきたが、ここ3年でトルマリン農園、ヴァージニア農園と、見つけるたびに次々に農園を閉じた。
今は日系三世のトミオ・フクダさんの手掛ける豆を使っている。ぜひ長くやってほしいと思っている。
良質な農産物を作る農家さんが、誇りを持って仕事を続けられない世界の現状を深く憂う。

リーマン・ショックの後、行き先を失った投資マネーが珈琲豆の先物市場に集中したことがある。珈琲豆の価格は高騰したが、別に生産者が潤ったわけじゃない。

スターバックスが、エチオピアのイルガチェフェ村の少し深めに焼くと非常に複雑な香味を生じる豆に注目して買い占めたことがある。
産地に関係なく農協がまとめて購入し利益を分配する方式をやめて、産地としてのブランドを確立しようという動きに賛同して一般のエチオピア豆の2倍近い価格の豆を小さなロースターが買い支えてきた豆だ。その年は、我々のようなロースターにはイルガチェフェは入手できなかった。
買い占めは一年で終わり、翌年はケニアの豆を大量購入したようだ。
生産量を増やすべく投資をしたのに一気に仕事を失ったエチオピアの農家の多くが麻薬の栽培に転作したと聞いた。

東京では、会員制で、希少性の高い珈琲豆をかっこいいボトルに詰めて非常に高価な価格で販売している業者が成功していると聞いた。ここにも生産の現場に直結しないマネーの狂騒を感じる。ビジネスモデル?あんまり無責任な言葉を使わないでほしい。
生産者の現状が劣悪でなかったらこんなことは言わない。

修行時代、美味しい豆を輸入するために毎年生産の現場を回っておられる方々を選んで師事した。先生たちはみなさん地域に根を下ろして毎日、どうやって昨日と同じ味のコーヒーを作るかということだけに腐心しておられた。
そのためにアフリカやブラジルに飛び、生産にアドヴァイスもされていた。

安全で美味しいものが、豊かな生活を支えている。
カネだけあっても豊かにはなれない。
美味しいものがなければ、世界のどこかから漁って来よう、というのがグローバリズムだというのなら、それは人を幸せにしない思想だ。

この美味しいマンデリンが、明日も美味しいままでいてくれる世界を作るために、僕に何ができるだろう。
きっとそれは、この路地裏のカフェで、美味しいマンデリンを美味しいと感じてくれる消費者の方に届け続けることなんだと思う。
だから僕にとって珈琲を淹れるということは、ある種の「祈り」なのだ。

2014年1月2日木曜日

平凡に生きていくことは難しい〜新年のご挨拶にかえて

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

つとめて「平凡」に生きようとしてきた。
もちろん昨年も。

言葉から受ける印象とは異なり平凡に生きていくことは難しい。
人は一人で生きているのではなく、取り巻くすべては移り変わり続けている。
その中で、平凡に生きていこうとすることは、「自分であること」を維持するための戦いなのだ。

だから僕のこの平凡そのものに見える日常は、いつものお客様を笑顔でお迎えして、丁寧に珈琲を淹れ、充分吟味して作ったケーキを召し上がっていただくこの店の日々を守るための戦いなのだといえる。


その事はたとえば、ちょっといつものより苦いんじゃないの、と言われて自分の焙煎技術の未熟さを心底恥ずかしく思う瞬間がもたらしてくれる成長、のようなカタチであらわれる。
だから苦言だって大事な「縁」だと思う。なるべく「おいしさ」以外のものを経営に混入させずに作ってきた「縁」の中で僕らはささやかに生きていく。

そして、振り返ってみると昨年が飛躍の年であったようだ。
我々の一年間の通信簿はクリスマスケーキの受注数だが、この一年で倍ほどの数に膨らんだ。

特に期することなく始めた日常の仕事は、運や縁に支えられ、それらを逃さないよう丁寧に続けていくことだけが、虚飾のない実力となる。
そしてその「実力」だけが、真に「平凡」な日々をもたらしてくれる原動力なのだ。

その意味では元旦こそは一年の計を案ずるに最もふさわしくない一日ではないか。
やはり一年の計は「毎日」にあるのだ。
油断せずにいこう。