2014年3月29日土曜日

全国学力テストの総括が「早寝、早起き」だった件

全国の小学六年生と中学三年生を対象に行われている「全国学力テスト」に、13年度は保護者と教育委員会を対象にした追加調査を行っている。
その結果がまとまったと新聞に出ていた。

見出しには、「親の収入・学歴、成績と関係」と打たれていた。
「小6国語A」では、(保護者の)収入・学歴が最も低いグループで、平日の学習時間が「3時間以上」という子どもの正答率が59%で、最も高いグループで、「全くしない」と答えた子どもの正答率の方が61%と上回る結果も出ている。
教育問題に関心の深い方なら同種の調査結果を何度もご覧になっているだろう。
ここまでは想定通りということだ。

今回の調査は、その家庭環境と成績の因果関係を「生徒の生活習慣」に起因するのではないかと仮定して設計されているようだ。
(保護者の)収入・学歴が最も低いグループでも、毎日の朝食や起床・就寝時間、テレビを見る時間に注意を払う家庭の子どもは、成績の上位1/4に入った、としている。

調査研究を担当したお茶の水女子大の耳塚副学長は、
「学力格差の源は雇用問題などにあるが、生活規律の指導など教育現場でも何らかの施策が必要だ」
と総括した。


この国の“識者”は本当に現場を識らない。
生活規律の指導を学校でやっていないとでも思っているのだろうか。今回の調査はむしろそんなことが無意味だったと証明しているようにさえ思える。

地下鉄に乗るとき、いつも「ご乗車になりましたら入口付近に立ち止まらず、奥まで順にお繰り合わせ下さい」というアナウンスが聞こえる。
でもその声に従う人はほとんどいない。
母親も先生も。
正論であるというだけでは、人の心には届かない。
夜遅くまでの塾通い。
帰ってきたら、早く寝ろ。早く起きてメシを食え、という生活から学ぶ意欲なんて生まれるだろうか。
高学歴グループの家庭で勉強しなくても国語の点が高いのは、家庭で、例えば朝のニュースや新聞の情報を素材に、血の通った言葉が交わされるのを聞いているからではないのか。
教科書の言葉と社会を結びつける術を学んだ子どもは、学ぶことの面白さを識る。
この調査の数字に意味を見出すとすればそういうことなのではないか。


それなのにきっと、初等・中等教育のプログラムに発達心理の有り様にそぐわない道徳教育や、生活チェック的な家庭訪問が追加されたりして、ますます教員の時間を奪うかもしれない。
そして授業は血の通わないプログラムの“読み上げ”になり、学ぶ意欲は再び失われる。
子どもたちに必要なのは、どこまでいっても「知りたい」と思う心だ。
そこからすべてが始まる。
「教え方」そのものの問題から目を背けるべきでないと思う。


しかし耳塚先生もいいことをおっしゃっている。
「学力格差の源は雇用問題などにある」と。

ではなぜその根源の問題に解決のリソースを集中しないのか。


皆が忌み嫌う偏差値や、文章を書かせない知識型の試験は、人間を階級から解き放つ装置でもあった。
どんなに貧乏でどんなに無階級の人間でも、点数さえ取れば、官僚にもなれるし博士にも大臣にもなれるというのが<学歴社会>のひとつの側面ではあったのだ。

異論はあるだろうが、日本の高度成長が達成された理由として、日本の企業や官僚機構に、<学歴社会>の普遍化によって階級に関係なく人材が登用されたことは無関係でないと思う。
異質を飲み込む強靭な組織力が価値のある仕事を生むことは、僕のありふれた社会人経験からもなんとなく想像がつく。
日本の“総力”が結集されたことは、<学歴社会>の達成のひとつであったと言えるだろう。

このように雇用の問題と教育の問題は根深いところで繋がっている。

そして時代は変わった。
雇用の形態も、教育に求められるものも変わっているのかもしれない。
だからこそ、せっかくの調査を、教育の世界だけで議論して「早寝早起き」のせいなんかにせずに、労働問題の識者とも充分議論をして、<社会>の明日を考える契機にしていただきたいと思う。

2014年3月24日月曜日

書評:昭和史裁判

半藤一利さんと加藤陽子先生による歴史討論「昭和史裁判」をこれからお読みになられる方がいらっしゃったら、ぜひ「あとがき」から読んでいただきたい。

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この「あとがき」にある加藤先生の告白には胸を打たれる。
加藤先生といえば、「それでも日本人は戦争を選んだ」で小林秀雄賞を獲られた気鋭の研究者である。

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その加藤先生が、文春新書「あの戦争になぜ負けたのか」のために開かれた、半藤一利、中西輝政、福田和也、保阪正康、戸髙一成の五氏との座談会に臨んで、自分の発言の精彩のなさ、史料的裏付けの不十分さに恥じた、と書いていらっしゃるのだ。

「いつも学生に歴史学は床屋政談とは違うのです、と言っていた自分が情けなかった」という言葉ににじむ真摯な悔しさが、学者魂を感じさせる。


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その捲土重来への想いが、この半藤一利氏との長時間の対談企画を呼び寄せたのだろう。


さてその加藤先生の覚悟を胸に本編を読み始めれば、歴史探偵を名乗る半藤一利氏のいつもの名調子にまったく見劣りしない、加藤先生の立板に水の、知識、知見の奔流に押し流されそうになる。

論が「太い」のだ。
多くの史料に裏打ちされているだけでなく、人間性というものへの冷静な目配りを忘れない透徹な視点が、実在性のある歴史として像を結んでいる。

ひとつの国が戦争に進んでいく中で、多くの人の思惑や、誤解やすれ違いがあった。
意図的に隠された情報も。
悪意に発したものも、そうでないものもあった。

それが引き起こした長く悲惨な戦争のことを思えば、失策に結びついた判断には辛い点を付けたくなる。
そこに人の気持を慮り、「情状酌量」を見出していく、さながら腕利きの弁護士のような鮮やかな加藤先生の手並みが本書の読みどころである。


「正しい歴史」などというものは無い。
歴史<的>な事実というものがあるとして、その事実も「観察者」の言葉によって語られた時に、初めて「歴史」となる。

とすれば、例えばここで加藤先生と半藤氏がひとつの歴史的事実に対して、異なる視点から解釈を加えている総体としての「議論」も、それそのものが「二人の観察者」によって語られた「ひとつの」歴史であるといえるだろう。
本編を読んでいただければわかるが、二人は議論のさなか、逡巡することを躊躇わない。
そんなに簡単に「人間」のことはわからないよ、と言われているように感じた。

だからこそ、すでに終わっていることを研究しているはずの「歴史学」にも終わりはなく、それは永遠に学び続けられる。
そこに「何のために?」という問いは不要だ。
それは何のために生きているのかを問うのと同じくらい不毛な問いだと思う。
生まれてきたから生きているんだ。
心があるから学んでいるんだよ。


僕はふと、加藤先生と教室を共にできる東大大学院の学生の皆さんがとてもうらやましくなった。
学び続けている者から学べる、というのはどんな気分だろうか。

2014年3月20日木曜日

カフェジリオ、7周年を迎えました。

2007年3月20日に、札幌の宮の森という住宅地の路地にこのカフェジリオを開店してちょうど7年が経ちました。
本当にあっという間の7年間でした。


自分の中に喫茶店という将来像が浮かんだのは、やはり喫茶店でのことでした。
高校生の時、剣道部の練習帰りに「鉄舟」という喫茶店によく立ち寄っていました。
僕はタバコもやらなかったし、アーケードゲーム(当時はもうインベーダーが終わってギャラガとかが流行っていました)も人のプレイを見ているだけ。
友人たちのちょっとした「武勇伝」を聞いて笑っているだけでした。

そんな僕に苛立っていたのかもしれないな。
お店のお姉さんが、ある日たまたまカウンターに座った僕に「あんたタバコも吸わないの。やー、なんか乳臭いねー」と言ったのです。

言い返す言葉もなく、曖昧に笑った僕の心の中では、「大人になる場所」としての喫茶店の存在が強く刻み込まれていきました。
そしてその強い印象は、「大人になった自分は、一体何をする人になるのだろう」という、誰でもその年頃に考えるテーマに、自然に結びついていき、しかし、何も知らない子どもだった僕は、「乳臭い」自分から脱却したいという気持ちを、ネクタイ絞めて、七三に分けた真面目サラリーマンみたいなものにはならないぞ、というまるで見当違いのイメージに結びつけてしまったのです。


その後、大学に進学した僕は、フォークソング研究会というサークルに入って音楽三昧の日々を過ごすのですが、音楽で生きていくってのもいいなあ、なんてこれまた甘い幻想を抱く世間知らずの僕の前に、当時サークルに在籍しておられた松崎真人さんという、在学中にプロデビューしたシンガーソングライターが現れるのです。

サークルのオーディションや演奏会で時折松崎さんの歌を聴く機会があるのですが、なんかもう全身から放ってるものが全然違うんですね。
練習してなんとかなるような、そういう部分じゃないところに大きな違いがあるのがどうしようもなく感じ取れてしまうんです。
少なくとも自分の中にそういうものはない。
ああ、音楽で生きていくってこういうことなのか、と自分自身の甘さのようなものをやっと10代の終わりにして実感しました。


そのサークルの部長を僕は務めたのですが、先代の部長が就職していたリクルートという会社を僕も選んで社会人になりました。
入社前に北海道支社でアルバイトをさせてもらったのですが、その時広告制作セクションのチーフが、ある広告を見せてくれました。
札幌コンピュータ専門学校(現札幌情報未来専門学校)の募集広告で、大きな筆文字で「とりあえずコンピュータ、なら大学へ行ってください」(広告は手元になく、うろ覚えです。すみません)という挑発的なキャッチが書かれていました。

僕はその広告を見て、予備校時代に知り合った札幌コンピュータ専門学校の友だちのことを思い出しました。親に専門学校進学を反対されて学費を出してもらえなかったので、新聞配達などのバイトをしながら学校に通っていた彼は、疲労困憊に見えました。
どうしてそこまでして、と聞いた僕に彼は「いや、コンピュータで生きていくことにもう決めたからしかたないんだ」と言ったのです。

その時感じた、自分の進む道を決めた者の覚悟のようなものが、広告からも感じ取れました。(この仕事は面白そうだぞ)と思い、学校広報の部署への配属を希望しました。


4月に入社して、幸いにも希望通りの部署に配属されました。
新人研修が終わって本配属になった新宿のオフィスに行くと、同期入社で同じ北海道出身の女の子が同じ課の配属だとわかりました。
何気なく、「なんでリクルート選んだの」と聞くと、子供の頃からお菓子職人になりたかったけど、家が農家で学費を出してもらえなかったから、お給料いい会社に入って資金を作って製菓学校行こうと思ったの、と言う。

ここにもまた自分の道を決めて進んでいる人がいた、と思いました。
すでにお察しのことと思いますが、彼女が現在のカフェジリオのパティシエであり、僕の家内になる人です。
僕は彼女と話しているうち、高校生の時に抱いた「喫茶店」という未来を思い出し、そここそが自分が何者かになる場所とイメージしていたことに思い至って、僕自身も何者かにならなければ、と強く思うようになりました。
そして、彼女は予定通り4年でその会社を辞め、学校に行き、お店に入り、ドイツでの修行も経て、開業の準備を進めました。
僕はその会社で18年、いろんな経験を積ませてもらいながら資金を用意しました。

そして僕らは7年前に、彼女のはっきりした直進性をもった夢に、僕の未熟な思いから生まれた夢ともいえないイメージを仮託して、カフェジリオというカタチを作ったのです。
おかげさまで、想像もしていなかったほど順調で楽しい7年間でした。感謝の気持ちはとても言葉にはなりませんが、美味しいケーキとコーヒーを作る続けることが何よりのご恩返しと心得て、今日から8年目の営業に入ります。
変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

2014年3月18日火曜日

堀江貴文さんの知らない、大学に行く意味

堀江貴文さんがお書きになった「ホント、日本の大学の学部行ってる学生は今すぐ辞めたほうがいいと思うよ。。。」というブログ記事を読んでひどく悲しい気分になった。

それがどんな大学であっても、それぞれに入学した一人ひとりの大学生にとって意味のある選択だったのではないのだろうか。
少なくとも、辞めたほうがいいと言われる筋合いのものではないと思う。


僕自身は、1985年に長年住んだ釧路を離れて、北海道大学に進学し、札幌に出てきた。
はじめて親元を離れての一人暮らし。
日本中から集まってきたオモロイ同級生たちとの日々。
半分大人だけど半分子どもの都合の良い身分で、バンドをやったり、古本を買いあさって読んだり、学習塾や貸しレコード屋や引越し屋なんかでバイトをした。

それは自由な生活なんだと思っていた。
大学にもクラス担任がいて、大学生になったんだからこの本を読め、とエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を勧められて図書館で読んでみた。

はっきりとはわからなかったけど、どうも今自分が楽しんでるこれが本当の自由っていうのとは違うんじゃないかとは感じた。

哲学科に進んではみたが、今学んでるこれが一体何の役に立つのか、その時にはわからなかった。
でも社会に出て、いろんな困難に出会うたびに、それを言語化して解決するためのヒントは大学時代に学んだことの中にあった。


昔より、はるかに多くの人が大学に行けるようになって、彼らはそれぞれに人と出会い、本に出会い、音楽に出会い、映画に出会い、今より豊かな日本を作り出してくれる。
僕はそう信じたい。


その意味では、堀江貴文さんの発言を伝えたJ-CASTのニュース「東大と慶應のブランド価値は天と地の差」 ホリエモンツイートがまたまた物議醸すにも気になる表現がある。

冒頭の、

日本には今、782校(2013年5月1日現在)もの大学がある。多くの人が高等教育を受ける機会に恵まれているが、「多すぎて学生の質の低下につながっている」という指摘も根強い。
という部分だ。

確かに、高校レベルの補習(リメディアルといいます)が必要な大学も多いと聞く。
ならば、そもそも高校レベルの知識がないほど勉強が嫌いな人がなぜ大学に行っているのか、ということを考えるべきだ。
答えは簡単だ。「行けるから」だよ。

高度経済成長期やバブル期を駆け抜けた両親、または祖父母の手元に残っている豊かな財産が直接的、間接的にそれを可能にしている。
高卒で就職できる職場は極端に少なくなっている。これからもっと減るだろう。職業というものはできるところからシステム化され、人間に残された領域は専門化し、高度化していくからだ。
行く場のない彼らに大学は絶好のモラトリアムを与えてくれる。

でもそれのどこが悪い?
そのおかげで、彼らの懐に貯めこまれていた蓄財は経済サイクルの中に還流され、教員や職員といった雇用まで確保される。

教室が無法地帯になるのは、この恩恵の副作用だが、そもそも教室で傍若無人な振る舞いをすることの要因は、それが旧来の大学に行けなかった層であるということと多少の因果関係を持つだろうが、それ以上にその個人の人格を形成した「家庭」の劣化によるものだと考えなければ理屈に合わない。

そのような学生たちをも振り向かせる魅力ある授業を行えれば、もちろん問題は解決する。
だが、想像してみて欲しいが、それはいったいどのような授業なのか。
予備校のスター講師のように、明快な物言いで試験対策のポイントを押さえていくような授業が容易に想像できるが、研究者から直接手ほどきをいただく大学のような場所で、それは要求としてふさわしいものと言えるだろうか。どんな場合にも求道者に対しては一定の敬意を払うのが筋というものではないか、と思う。

本質的な意味で、大学は学問をする場所である。
でありながら同時に、その場所にあってもそれを目指さないこともできる場所なのである。
そのような自由の精神が許された場所でこそ、人間の知は磨かれるに相応しい。

人生の真ん中で、何をしてもいい時間が与えられるということは、近代、人類が獲得した自由の価値を象徴する素晴らしい特権だ。
これが、より広い人たちに与えられるようになったことをまずは喜ばしく思うのが先なのだ。
そして、この大学という場所が決して就職のための予備校でないことをこそ、僕らは目指さなければならない。

願わくばそこが多くの人にとって学問っておもしれーな、と思える場所だといいと思うが、そのためには研究者たちがまず、学問を面白がっていなくてはならない。
研究者たちは、学問を面白がれているだろうか。
今はそれが気にかかる。

2014年3月17日月曜日

学校が社会のリクツから隔絶されていなくてはならない理由

娘がまだ小さかった頃、一緒に「絶対可憐チルドレン」というTVアニメを観ていた。

使い方を間違えれば世界を滅ぼしてしまうほどの超能力を持った美少女三人の管理者として赴任してきた皆本氏(=源氏、この物語は源氏物語を下敷きに描かれている)が、最初の仕事として取り組んだのは、超能力を持つがゆえに一般社会から隔絶されて育てられた三人を普通の学校に編入することだった。

その際、皆本氏が、「どうせうまくいかない」と尻込みする彼女たちに言った、

「君たちは、何にでもなれるし、どこへでも行ける」

という台詞を聞いた時、僕は隣にいる娘に、同じ台詞を心から言えるだろうかと考えていた。それはきっと、僕自身が「今、何者かになれたのか?」と問われている、と感じたからだろう。

そして僕は同じ問いを、社会人になったばかりの頃に問われたことがあるのだ。


新人研修の一環でお客様への営業に同行させてもらった時、電車を待つ駅のホームで、一年先輩の営業パーソンが「で、お前何になりたいんや?」と突然話しかけてきた。
「社会人になった」と思っていた僕は、不思議なことを聞く人だなと思うばかりで、うまくその質問に答(応)えることが出来なかった。

曖昧に笑う僕に構わず、その人は「オレはなあ、オーストラリアで土産物屋がやりたいんや」と言った。
「雨季の間は休めそうやから」という理由はともかく、就職がゴールじゃないっていう考え方には刺激を受けた。

人は、どうしたら<何者>かになれるのだろう。
やはりそれは、<目的>を心に持つことから始めるしかないのではないか。

僕はその後、喫茶店の開業に向けて40歳の時に退職して珈琲修行を始めた。
目的を得た者の<学び>は、まさに学ぶ者の<手段>である。であるからこそ、「何の役に立つかわからない」ものを学んだりはしない。

しかし、初等・中等教育が対象とする子どもたちの多くは、まだ社会人のようには学びの目的を持つことは出来ない。
いや、出来ないのではなく、それが「何の役に立つのか」などと考えながら学ぶべきでないのだ。
なぜなら意欲を育むのが学力であって、その逆ではないからだ。
何も知らないのに、何をしたいかわかるはずがない。
<目的>という打算無しに学ぶ対象に没頭する瞬間がなければ意欲を生むための学力を得ることは出来ない。
そのための場所を<学校>という。

だから<学校>というものは社会のリクツから隔絶されていなくてはならない。
そうでなければ、どうして僕らは僕らの愛おしい子どもたちに、
「君たちは何にでもなれるし、どこへでも行ける」
などと言えるだろう。

何者かになるためのスタート地点は、何にでもなれる場所でなければならない、と僕は思う。
そのための場所を娘のために残しておいてあげたい。
そしてその場所が、今危機に瀕しているのではないか、と僕は心配している。

大人たちが、自分たちが学んできたものを「なんの役に立つのかわからないもの」と言い、それは不要であるとするようなこの時代が、大切なモノを壊してしまうのではないか。
キャリア教育の名のもとに、社会のリクツが<学校>に忍び込んできた時、<意欲>は育んだものでなく、押し付けられたものにならないか。

そもそもが不公平に出来ている現実(=社会のリクツ)に抗えるものは、例えば自分の子どもが犯罪を犯してしまったとしても、それでも君はかけがえのない僕の子どもだと言える強い愛情しかないと思う。
同じように学校という場所は、子どもたちを「社会の子ども」として愛し抜くことで「何にでもなれる」場所としての位置を担保しなくてはならないのだ、と思う。
そしてだからこそ「社会の子ども」を守る学校という場所は、社会の不公平の一部である<家庭>そのものからも隔絶されている必要があるのだ。

家庭というものは社会の不公平の起源である。
サンデル先生もご著書にて、「まったく日本の教育ってのはさあ」という文脈で必ず引き合いに出されるハーバード大学に入学するアメリカ人学生の多くが、恵まれた環境の出身者であることを紹介して「実力の正体」について言及しているが、<実力主義>を根底に持つ<個性教育>とは「恵まれた環境すらも<実力>の一部」であるという思想なのである。

それに、どのような環境でもそれを突き破って出てくる制御不能な存在を「天才」と呼ぶのではないか。
僕は、そのような<実力主義>や<天才>に目配りをして、ほんの一握りの秀でた才能を育てる教育よりも、皆に「君たちは何にでもなれるし、どこへでも行けるんだよ」と言ってやれる教育環境が尊いと思う。
そしてそれは、「社会の子ども」を愛し抜く主体としての教員が、ただ子どもたちのために時間を使える環境なんだと思う。
いずれにせよ、それは学校の<内部>にある。


教育改革に意欲的な現政権の改革案を見ていれば、そこにイデオロギーの影を見て取ることは容易い。
政府の考える「明日の日本に必要な人材像」などを<外部>から子どもたちに押し付けてはならないと思う。
どんな明日が来ても、僕は娘にこう言ってあげられる親であり続けたい。
「君は何にでもなれるし、どこへでも行けるんだよ」と。

2014年3月13日木曜日

「偏差値」というスケープゴート

リクルートという会社で、18年ほど高等教育機関の募集のお手伝いをしていた。
高校生に配布する自社メディアを持っていたが、一般に「進学情報誌」と呼ばれるそのメディアにはいわゆる「偏差値」は記載していなかった。

その頃、僕たちは「偏差値」に依らない学校選びを高校生にしてもらおうと必死だった。
だからといって、偏差値廃絶を叫んでも解決にはならない。

僕たちはまず学校を「知る」ところから、いつも仕事をはじめた。
同じ薬学を勉強するのでも、学校によって学び方は違う。
有名教授で選んでもいいだろうが、例えばゼミのありかたとか、産業界との距離のようなものでもずいぶん学校での学びの姿というのは変わってしまうもので、そのような複層的な情報をどのように情報誌上に「編集」するか、いつも頭を捻っていた。

そのような作業から出てくる学校の個性の表出は、パンフレットの表現などにも落とし込まれるが、入試にももちろん大きな影響を与える。

伝統のある薬学系の名門大学に入試のことで相談があると言われ、お伺いすると「人道的な感性」を問う入試についてのご相談だった。
「頭だけいいやつが医道に入ってくるとろくなことがない」とその人は言った。
僕は深く頷いた。

また保育系の学校では、「保育の世界で幸せになれるのは、子どもを好きな学生ではなく、子どもに好かれる学生なんです」と聞いた。
学生たちに未来の可能性を伝える難しさに、心を引き締めた。


学校の現場では、世の中が偏差値偏重になっているかどうかに関わりなく、そこで学ぶ人と人材が巣立っていく産業界のことを考え、模索し、変わり続けているのである。

日本の教育に問題があるとすれば、それはむしろ過度の偏差値アレルギーが引き起こしているのではないだろうか。



茂木先生の偏差値批判騒動のおかげで見つけた「偏差値が重視されるたったひとつの理由」という記事を読ませて頂いて、平成になってからこっち絶えることなく提言されている偏差値偏重批判の内実が見えてきたような気がする。
偏差値アレルギーのエッセンスが集約されていると思う部分を以下に引用する。
偏差値などというつまらないものを上げるための勉強ではなく、自分の思考に組み込まれて、血肉となるような知識を身につけてください。
偏差値は何の役にも立ちません。犬も食わないくだらない指標です。
 しかし血肉となった奥深い知識は、必ずあなたの人生を助けます。誰かの言い分を鵜呑みにしない自立した個人になるためには、多様で厚みのある知識が不可欠です。 
受験ゲームに興じる親たちのためではなく、あなた自身のために、しっかりと勉強しておくことをおすすめします。



ここでの問題は、初等・中等教育で学ばれる<カリキュラム>が「何の役にも立たない」と断言されているところにある。
そしてそこには「多様さ」や「厚み」が欠けている、と断罪している。

しかし、小学校から中学、そして高校に至って完成するように設計された日本の教育指導要領は、我々人類が長い時間をかけて得てきた文明の歴史をコンパクトに再現しているのである。

高度な思考は、高度な言語を以って為される。
高度な言語とは高度な概念ということで、それ自体がある種の構造と歴史を持っている。
換言すれば、それは「多様さ」や「厚み」そのものだ。
それは<教養>というカタチで児童、生徒たちに沈殿し、様々な個人的、社会的活動のさなかに、ベーシックなプロトコルを提供する。

それは、微分や積分が実社会にどのように役に立つのか、といったような話とはまるで次元の違うことが目的とされているのである。

どのみち職業的な専門知識としての微分積分は、大学に入ってから学び直さなければならない。そしてその専門的で実際的なレヴェルの知見というものは、数学なら数学だけの知識では学び得ないものなのである。

それを表現する観念的な言語の理解。
その理論が生まれた国の文化が、理論自体に与えた強い影響。
他者と議論して理解を深めるために必要な、言葉の選び方。

 様々な局面で、それまで学んできた<教養>が意識するとせざるとにかかわらず顔を出す。
そういうものだ

このような全体性を持った<教養>を滋養するために組まれたカリキュラムが無意味と断じられ、その無意味さの成果としてのみ偏差値が捉えられ、敵視されているとすれば、それは本当に残念なことだ。
 勉強というものは、それ自体が人類の英知の歴史を追体験する人生のフェーズなのである。

ギリシャで天文を知るために、手の届かない星の角度を計算する必要から三角関数は生まれた。

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神事を執り行う儀礼を正しく後世に伝えていくため多くの「文字」が生まれ、それが日常生活を規定する言葉に変化していく。

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人類は長い長い時間をかけて、我々自身の生活を豊かにしてくれた「智慧」を学問という体系に組み上げていった。
初等・中等教育のカリキュラムは、原初的で実利的な「知」が学問という体系になっていくプロセスを追体験するように組まれている。

それは人間が、変化し続けていく世界を生きていくための力を得る大切なステージなんだと思う。

だからブログ筆者が、呼びかけている「あなた自身のために、しっかりと勉強しておくことをおすすめします」という言葉の実現のためにこそ、学校での勉強を一生懸命やるべきなんだと思うのだ。

そして<教養>としてのカリキュラムを生徒に十全に伝授するのには、きわめて高いスキルが要求されるだろう。
それが現状充分か、と問われると、甚だ心許ないと言わざるを得ないとも思う。

僕はこの一点において、このブログの筆者と危機感を共有している。

 学校をとりまく、例えば保護者の存在や、行政からの干渉、歴史的な教育学部のスタイルのこと。問題は複雑だし、一般に知られていることはあまりにも少ない。
だからこそ、安易に「偏差値」というスケープゴートを祀り上げることには反対の声を上げざるをえないのだ。

2014年3月11日火曜日

慰霊について

東日本大震災から、今日で3年目。
復興は首相の言葉とは裏腹に遅々として進んでいないように見える。
まだ行方不明の方もたくさんいらっしゃる。
悲劇はいまだ進行中である。
そして被災者の誰の心の整理もつかないまま哀悼の言葉だけが先走っている。


でも仕方がないのだ。
生者の我々には、死者の言葉は聞こえない。
彼らがどのような思いで死の瞬間を迎えたのかは、我々にはわからない。
どのように彼らの魂を慰めればいいのかは、誰にもわからないのだ。


新聞には、津波に流されてしまった3歳の息子さんの死亡届をどうしても出すことができず、この春入学するはずだった小学校からの入学通知書が届いた父親の言葉が書かれていた。父親は、もう子どもを探し続ける気力も失い、それでもその死だけを頑なに受け入れずにいた。
この父親の無力感にどのような慰めの言葉も虚しい。
生者の声は聞こえても、やはり我々にそれを慰める言葉は無い。


この圧倒的な無力感の前に佇んで、どうしていいのかわからずに戸惑う。
その率直さこそが、宗教行為としての「慰霊」の厳粛さを担保している、と昔読んだ「現代霊性論」に書いてあった。

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生前の故人をよく知る人だけが、その縁に甘えて言葉を発することを許される。
「僕たちは大丈夫だから、安心して眠ってね」と。


だから僕たちは、死者の言葉を代弁してはならない。
このような代弁行為は、国と国との諍いのような、個々の顔が見えないとき往々にして発動する。
死者の「せい」にして自分たちの要求を言い立てるようなことは厳に慎まなければならない、と僕は思う。

2014年3月10日月曜日

茂木健一郎さんが本当に言わなくてはならなかったこと

脳科学者の茂木健一郎氏が、Twitterで「偏差値教育」について持論を語り、大手予備校を名指しで非難した。

Livedoor News:茂木氏「くされ外道予備校ども」

茂木氏の論は、小学生にアメリカ、ハーバード大学の「偏差値」を問うところから始まる。もちろん、ハーバード大学の偏差値は存在しないが、茂木氏はその理由をこう言っている。

「偏差値が計算できるということは、みんなが同じテストを受けて、その点数を比較できるからじゃない。でも、本当は、一つのテストじゃ、それぞれの得意なこと、決められないよね。数学と、小説と、オリンピック、一つの数字じゃ比べられない。だから、ハーバードには、偏差値ないんだよ。」


では実際のハーバード大学の入学選考はどのようになっているのだろうか。

まず、出願の前に受験生はSATという共通テストを受けておく。外国籍の場合はTOEFLも必要だ。
そして、高校での自分の活動歴と大学でやりたいことについてのエッセイの提出を求められる。
高校での成績は一学年の分からすべて評価の対象になる。
ちなみにここまではインターネットですべての手続を行える。
一斉テストは存在しない。

これらの提出書類の選考をクリアすると、ハーバード卒業生による面接がある。なんと日本人は日本で面接を受けることもできるんだそうだ。
これに合格すると晴れてハーバード大学への入学が許可される。


一斉テストと高校の内申書で行う日本の大学入試とは確かにずいぶん違うことがわかる。このような選考方法では、「模擬試験」が合格可能性を判定する基準になりにくいので、確かに模擬試験の結果から試験の難易度の影響を取り除く統計技法である「学力偏差値」の出番はないだろう。

では、選考方法を日本式のままにして、まずは茂木氏のおっしゃるように予備校を廃絶した世界を想像してみよう。
まず浪人生が学習する道標が失われる。困った浪人たちは当然卒業した高校に助けを求めるだろう。

そして、偏差値を失った高校現場は、生徒の進学先を指導することができなくなるだろう。予備校を代表とする「受験産業」全体を茂木氏はターゲットにしているので、模擬試験を作ってくれる人はいない。
しかたなく、自前の模擬試験を作成し、手探りの進路指導をする。
現代のような精度の高い合否判定のない進路指導現場は安全策を採り、1ランク低い大学を進める傾向が普遍化するだろう。

なんとなく、受験産業を攻撃しても、高校現場が大変になって、生徒はその煽りを食うだけで、事態はちっとも改善しないような気がしませんか。


そこで、いったん予備校とか偏差値とかのことは置いておいて、入試制度をハーバード式に改めることを想像してみる。

でもそんなことを想像する必要はない。
僕らはすでに90年代あんなに騒がれた北欧の教育改革が、ハーバード的入試制度をさらに徹底して、高校受験に導入したことを知っている。
そして、フィンランドがPISAで世界一になったことも記憶に新しいだろう。

実際はどうなっているのだろう。
フィンランドは小学校から中学校までの9年間が一貫教育になっていて、その全期間の内申点だけで高校進学の合否が決められる。

この制度を支えているのはなんといっても教員の質だ。
教員は修士卒に限られ、長い時間の教育実習を課せられる。毎年8000名の希望者から数百名の採用という狭き門だ。
採用されても最長5年の契約制になっており、評価が悪ければ契約は続行されない。
そしてその評価とは「生徒のテストの点数」なのだ。
テストは生徒の学力を試すのと同時に教員の教育力をも試しているのである。

教育立国フィンランド流教師の育て方
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このように教育成果は教師の生命線である。
だから教科書の選択も「教師ごと」に委ねられている。隣の教室と違う教科書を使ってもいいのである。そこまでの責任を一人ひとりの教師が持っている。

この教育制度は生徒にも厳しい。
7段階評価の最低評価が2教科になると自動的に留年になる。
小中学生のうちから留年の制度を用意してまで、ゼネラルな基礎教育を担保しているのである。

そのような一貫教育を経て、彼らに用意された普通高校の定員は小中学校の約半分。
進学できなかった50%の生徒は職業訓練学校へ進むことになる。

このような厳しさが、この制度の基礎にある。
フィンランドは、貿易立国だった。それが、ソヴィエト連邦の崩壊で危機に瀕した。
国の方向性の転換に際して、まずは人材、と考えたところがこの教育改革に繋がっている。
国民は、自国が直面している危機を認識しているからこそ、この厳しい制度を運用していけるのである。


では現在我々が採用していて、茂木氏が偏差値の奴隷と喝破した教育制度はどのような思想を基礎に作られているのだろうか。

現在の教育の原型は明治時代に作られた。
明治維新は、ペリー来訪に始まり、外圧を排除しようとした攘夷運動から始まり、一旦西欧文化を受け入れて近代化で国力を磨いてからあらためて鎖国をしようという「大攘夷」運動に決着した。

そのための富国強兵である。
明治の教育は富国強兵の実現のために、なるべく平等で規格の揃った人材育成に主眼が置かれていたのである。
やはりそこにも国民の合意に基づいた、「覚悟」のようなものがあり、世界史に例を見ない高度経済成長の達成はその成果といえるだろう。


その後時代は変わっていくが、教育制度の変化は、それに連なる前後の社会制度の変更を強要するので、なかなか改革が進まず、中曽根氏の臨時教育審議会で「ゆとり教育」を導入したあたりがせいぜいで、あとは対症療法的にいったりきたりしている。

ハーバードやフィンランドのような教育制度が現代の、また未来の日本にふさわしい方法なのかはわからないし、いいところだけを見ても改革は成功しない。
いずれにしても、教育の制度は国の方向性の反映なのである。

・・と、茂木健一郎さんは、口汚く予備校を罵るかわりに、このような話をするべきだったのではないだろうか。

2014年3月1日土曜日

情熱の冷却効果

3月が来てしまった。

来月から消費税が上がる。

価格改定の準備をしなくてはならない。

値札の書き換えは当たり前だが、こんな小さなお店でも経営を管理して、税務署への正しい申告を行うためのシステムを使っていて、ここに組み込まれている消費税率も書き換えなければならない。
レジの中にも消費税を自動計算する機構が組み込まれており、こちらも直さなければならない。
そうだ、電卓も。

まあ、やれば終わる話だが、もう一回あるかと思うとげんなりする。


でも本当に困るのは、原材料が次々に値上げを始めたことだ。

消費税が上がれば、当然消費は少なくなる。
財布の大きさは一緒だからね。
その絞られた分を、少しでも取り戻すために消費税値上げ前に、本体価格も上げておくのが問屋というもののやり方だ。
小売店の利益をクッションに使うわけだ。

しかもこの業界では、我々のような小さな店には一般に価格改定の通告はない。
最初は、こんなやり方がよくまかり通るものだと思って、問屋さんとお話をしてみたこともあるのだが、話したからといって、事情がわかるだけで、別に価格が変わるわけではない。
もう今は、そんな無駄なことはやめてしまった。

大きな企業とその下請けとなると事情はまったく変わってくる。
今回の増税時に、増税分は価格から値引きせよと通告している企業が、経産省実施の無作為調査で268社も出てきて、立ち入り調査に入ったというニュースも記憶に新しい。


そして最後が小売店だ。
ここでは買い控えの影響がとても直裁的なスタイルで襲ってくる。
価格に敏感なこの時期に、消費者は慣れた店での買い物を一時精査するようになる。
この時期に価格を据え置ける体力のある店が新しい顧客を獲得する。

もちろん出来る限りそのような精査に耐えうる関係作りをしてきたつもりだが、すべてのお客様と価格競争を無効にできるほどの濃密な関係を築けているわけではない。
下り坂にあるこの国で生きていく限り避けることの出来ないイベントなのかもしれないが、なんともやるせない。


消費税のことを考えるといつも、虚しいなあ、と思う。

誠心誠意を尽くして顧客との関係を作っていくほか生きる道のない小さな店ほど、このような荒波に揉まれてしまう。
なぜなら、消費税はその名称から消費者自身が払っているという名目になっているがゆえに、経済の最も根底にある消費のマインドを冷やしてしまうからだ。


冷やしてしまうのは、それだけではない。

消費税を国に納めているのは事業者である。
増税の時、消費者に見えないところで、予めモノの値段は上げられている。
それを小売店が飲み込んで、価格を出来る限りのところで決定して、販売する。
消費者は結局、税を含んで上がってしまった原価を反映した新しい価格でものを買っているということだ。

つまり、ワタシたちの国は、消費税という税金を新しく取りますよ、または税率を上げますよ、と宣言することで、まず実体の無い「値上げ」を世の中に創りだすのである。
そして、このステップで生じた値上げ分を税金として収税するために事業者に課税すると、結局事業者がその収益の中から「利益額にかかる所得税」と、「売上額にかかる消費税」を払っていることになり、利益は売上の一部だからこれは二重課税になってしまう。
それを消費者が負担者で納税者が事業者なのだというアクロバティックな解釈を強弁することで、事業者の節税手段を封じ、二重課税の軛を逃れ、新しい安定した税収を得る。
フランスで考案されたこの近代税は、まさに「悪魔の税制」なのだ。

納税そのものは義務だと思う。
だが、どうせ義務ならば、頑張って働いて、お客様がその価値を認めてくださって、収益が増えて、その結果税収が増えるという方がいいではないか。
税の存在が値上げ分を創りだすなんて仕組みのどこに仕事の情熱を感じればいいんだい。


もし今でもサラリーマンをやっていたら、こんな生々しい国家の詐欺も気にならなかったかもしれない。
とは言え、このスタイルでしか本当にいいものを作り続けていくことが出来ない以上、自分を偽って生きていくことも今更できない。

剥き出しの自分のままで、今日を昨日と同じように生きるのは、実はとても難しいことだ。
家族だけで経営しているような、こんなちっぽけな店にとっては、どんな小さな風が吹いてもまっすぐ立っていることは難しい。
それでも自分らしくありたいと思う「情熱」がなんとか僕らを支えている。

5%が8%に変わることが引き起こす突風には、消費マインドを冷やすだけではなく、それを数字だけで表現しようとする人には想像のつかないほど深刻な「情熱の冷却効果」がある。
立て続けに二回吹くことが予め決まっている突風に、足を突っ張って、なんとか倒れないようにする。
この3月に僕らがしなくてはいけない準備とは、そういう種類のものなのである。