2014年3月10日月曜日

茂木健一郎さんが本当に言わなくてはならなかったこと

脳科学者の茂木健一郎氏が、Twitterで「偏差値教育」について持論を語り、大手予備校を名指しで非難した。

Livedoor News:茂木氏「くされ外道予備校ども」

茂木氏の論は、小学生にアメリカ、ハーバード大学の「偏差値」を問うところから始まる。もちろん、ハーバード大学の偏差値は存在しないが、茂木氏はその理由をこう言っている。

「偏差値が計算できるということは、みんなが同じテストを受けて、その点数を比較できるからじゃない。でも、本当は、一つのテストじゃ、それぞれの得意なこと、決められないよね。数学と、小説と、オリンピック、一つの数字じゃ比べられない。だから、ハーバードには、偏差値ないんだよ。」


では実際のハーバード大学の入学選考はどのようになっているのだろうか。

まず、出願の前に受験生はSATという共通テストを受けておく。外国籍の場合はTOEFLも必要だ。
そして、高校での自分の活動歴と大学でやりたいことについてのエッセイの提出を求められる。
高校での成績は一学年の分からすべて評価の対象になる。
ちなみにここまではインターネットですべての手続を行える。
一斉テストは存在しない。

これらの提出書類の選考をクリアすると、ハーバード卒業生による面接がある。なんと日本人は日本で面接を受けることもできるんだそうだ。
これに合格すると晴れてハーバード大学への入学が許可される。


一斉テストと高校の内申書で行う日本の大学入試とは確かにずいぶん違うことがわかる。このような選考方法では、「模擬試験」が合格可能性を判定する基準になりにくいので、確かに模擬試験の結果から試験の難易度の影響を取り除く統計技法である「学力偏差値」の出番はないだろう。

では、選考方法を日本式のままにして、まずは茂木氏のおっしゃるように予備校を廃絶した世界を想像してみよう。
まず浪人生が学習する道標が失われる。困った浪人たちは当然卒業した高校に助けを求めるだろう。

そして、偏差値を失った高校現場は、生徒の進学先を指導することができなくなるだろう。予備校を代表とする「受験産業」全体を茂木氏はターゲットにしているので、模擬試験を作ってくれる人はいない。
しかたなく、自前の模擬試験を作成し、手探りの進路指導をする。
現代のような精度の高い合否判定のない進路指導現場は安全策を採り、1ランク低い大学を進める傾向が普遍化するだろう。

なんとなく、受験産業を攻撃しても、高校現場が大変になって、生徒はその煽りを食うだけで、事態はちっとも改善しないような気がしませんか。


そこで、いったん予備校とか偏差値とかのことは置いておいて、入試制度をハーバード式に改めることを想像してみる。

でもそんなことを想像する必要はない。
僕らはすでに90年代あんなに騒がれた北欧の教育改革が、ハーバード的入試制度をさらに徹底して、高校受験に導入したことを知っている。
そして、フィンランドがPISAで世界一になったことも記憶に新しいだろう。

実際はどうなっているのだろう。
フィンランドは小学校から中学校までの9年間が一貫教育になっていて、その全期間の内申点だけで高校進学の合否が決められる。

この制度を支えているのはなんといっても教員の質だ。
教員は修士卒に限られ、長い時間の教育実習を課せられる。毎年8000名の希望者から数百名の採用という狭き門だ。
採用されても最長5年の契約制になっており、評価が悪ければ契約は続行されない。
そしてその評価とは「生徒のテストの点数」なのだ。
テストは生徒の学力を試すのと同時に教員の教育力をも試しているのである。

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このように教育成果は教師の生命線である。
だから教科書の選択も「教師ごと」に委ねられている。隣の教室と違う教科書を使ってもいいのである。そこまでの責任を一人ひとりの教師が持っている。

この教育制度は生徒にも厳しい。
7段階評価の最低評価が2教科になると自動的に留年になる。
小中学生のうちから留年の制度を用意してまで、ゼネラルな基礎教育を担保しているのである。

そのような一貫教育を経て、彼らに用意された普通高校の定員は小中学校の約半分。
進学できなかった50%の生徒は職業訓練学校へ進むことになる。

このような厳しさが、この制度の基礎にある。
フィンランドは、貿易立国だった。それが、ソヴィエト連邦の崩壊で危機に瀕した。
国の方向性の転換に際して、まずは人材、と考えたところがこの教育改革に繋がっている。
国民は、自国が直面している危機を認識しているからこそ、この厳しい制度を運用していけるのである。


では現在我々が採用していて、茂木氏が偏差値の奴隷と喝破した教育制度はどのような思想を基礎に作られているのだろうか。

現在の教育の原型は明治時代に作られた。
明治維新は、ペリー来訪に始まり、外圧を排除しようとした攘夷運動から始まり、一旦西欧文化を受け入れて近代化で国力を磨いてからあらためて鎖国をしようという「大攘夷」運動に決着した。

そのための富国強兵である。
明治の教育は富国強兵の実現のために、なるべく平等で規格の揃った人材育成に主眼が置かれていたのである。
やはりそこにも国民の合意に基づいた、「覚悟」のようなものがあり、世界史に例を見ない高度経済成長の達成はその成果といえるだろう。


その後時代は変わっていくが、教育制度の変化は、それに連なる前後の社会制度の変更を強要するので、なかなか改革が進まず、中曽根氏の臨時教育審議会で「ゆとり教育」を導入したあたりがせいぜいで、あとは対症療法的にいったりきたりしている。

ハーバードやフィンランドのような教育制度が現代の、また未来の日本にふさわしい方法なのかはわからないし、いいところだけを見ても改革は成功しない。
いずれにしても、教育の制度は国の方向性の反映なのである。

・・と、茂木健一郎さんは、口汚く予備校を罵るかわりに、このような話をするべきだったのではないだろうか。

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