2014年9月14日日曜日

Crazy little things called “リクルート”

平成18年にリクルートを辞めて、大学時代を過ごした札幌でカフェを開いた。
札幌にいた懐かしい先輩や友人たちに再会して驚いたことは、リクルート時代の話をすると強い反発を受けることだった。
知人には学校の関係者が多いが、みな一様に「リクナビ」がもたらした(と彼らが考えている)学生を取り巻く環境の変化に否定的だった。

ところで僕は大学時代からリクルート在籍時までバンド活動を継続していた。
同じ部署にやはりバンドを熱心にやっている後輩がいて、彼と一緒にジョイントライブをやろうという話が持ち上がり、そのバンドでベースを弾いていた常見陽平くんと出会った。
後に評論家として著書を量産しはじめた彼も、リクルートOBでありながら「リクナビ」のありように疑問を呈していた。
彼の冷静な論旨に触れて、みんなが何に怒っていたのか少しわかったような気がした。

その常見陽平くんの最新刊が、「リクルートという幻想」

リクルートという幻想 (中公新書ラクレ)
常見 陽平
中央公論新社
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外から見た「リクナビ」と僕が知っていた「リクナビ」とのギャップを埋めてくれた常見くんの定見を、もう見知らぬ会社になってしまった古巣リクルートに敷衍して語っている。
よくぞここまでと思う、膨大な量のリクルート関連の対外的なステートメントとリクルート社内向け文書を駆使して組み上げられた「今の」リクルートの姿を興味深く読んだ。


僕は、といえば平成元年に株式会社リクルートに入社したのだが、その前年の秋、千歳から東京での内定式に向かう飛行機に搭乗する時、同乗する人事担当者に「機内のNHKニュースを必ず見るように」と言われた。
アナウンサーは、リクルート事件の第一報を伝えていた。
それでも内定を返上しようとは思わなかった。
内定に至るまでにお会いしたたくさんのリクルートの人たちが、自分のすべての時間をつぎ込んでもかまないとばかりに仕事そのものに喜びを見出しているのを見て、僕もあんな風に輝いてみたいと思えたからだ。ワーク・ライフ・バランスなんて言葉はまだ世の中になかった。

実際に入社してみると先輩たちは、僕に本当にたくさんのものをくれた。
メディアや、星の数ほどあるリクルート本にはよく「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓が出てくるが、僕は、そのようないわゆる名文よりは身近な先輩が、自分の経験から発見した知見を聞くのが好きだった。

ある夜、銀座の小料理屋のカウンター席で、大恩ある先輩が教えてくれた。
お客様の「断りの言葉」は際限がないし、すべてが本音とも限らない。それでもその言葉を突破して企画を通すためには、そのすべてに反論し続けるしかなく、反論に成功したとしても「論破された」というお客様の心理がかえって良くない結果を生むことが多い。
それに対して「お客様自身の、こういう企画をやりたいんだという気持ち」はたったひとつだけ持ってもらえばいいのだし、副作用もない。だから「お客様自身の企画」を一緒に作っていくのが営業の仕事の本質だと。
もうこれ聞いた時は本当に感動した。

しかし、それは真理だなとは思ったものの、実際にやるのは簡単なことじゃない。
それで、その先輩と一緒にその営業哲学を現場で実践するプログラムを磨いて、いくつものお客様と刺激的なディスカッションをした。
その時の経験は、今でも僕の人生を支える最も重要な原則になっている。

そんな素敵な会社だったが、それでも時間の流れは残酷で、変わらずにいられるものはない。

僕の知るリクルートは、基本的に「終身雇用でない年功序列」の会社だった。
現場に大きな権限が委ねられるリクルートの営業スタイルでは、経験の“長さ”がそのままその人の力となったからだ。
しかしグローバリゼーション(本当に嫌な言葉だ)の中で、経営には変わりゆく世界への対応力を求められ、ゆえに経験に囚われることは柔軟で新しい判断の邪魔になるかのような論説が流布し、若手が管理職に就いていない会社はいかんぞ、と言われるようになった。
尊敬してやまない先輩たちは会社を去り、その背中を押した若手の管理職たちのやり方に事業の基盤を作った先人への敬意は感じられなかった。

でもそれでよかったんだと今は思っている。
常見くんの本の力を借りて、僕の中にもある「リクルートという幻想」を一旦横に置いてみると、新しく、力強い、世の中を変える力をもったサーヴィスが確かに生まれ始めていることに気付く。
そしてまた、そのサーヴィスの力が強いほど、「内」と「外」での感じ方の違いが生まれるのは仕方のないことだ。
結局のところ、誰にとっても正しいと思えることなんてないし、そういう意味ではどんなことも自分にとっての幻想なんだろう。
その幻想を正義として押し付けあわないことが、僕らに出来るせめてものことなんじゃないだろうか。