2015年12月24日木曜日

アヒルたちのメリークリスマス

動物の世界では不思議な事が起こる。

三十三羽のアヒルがいる湖の両岸で、一方では5秒に一回、もう一方では10秒に一回餌を投げ入れていると、一分もするとアヒルが分散を始め、結局両岸のアヒルの数は2:3になるのだという。
みなが餌を得る機会を均等にする「ナッシュ均衡」を集団として実現するというのだ。
計算をしているはずもないが、かんたんには計算出来ないどんな秒数に変えても、この三十三羽のアヒルたちは理論上のナッシュ均衡を苦もなく実現するのだそうだ。

これはトム・ジーグフリードの「もっとも美しい数学、ゲーム理論」(文春文庫)
で紹介されているエピソード(p133)だ。

もっとも美しい数学 ゲーム理論 (文春文庫)
トム ジーグフリード
文藝春秋 (2010-09-03)
売り上げランキング: 129,382

よく考えてみれば、湖のアヒルたちの振る舞いのほうが自然なことなのかもしれない。 
地球が出来てから今まで、どれほど激しい環境変化を経てきたかを考えれば、全体が生き残る戦略のほうが、その時点で優れていると考えられる少数が生き残る戦略よりも正しいのは自明なことと思う。
しかし、人間はそのようには生きられない。
この社会はそのようにはできていない。
アヒルがやっていることと、政府がいろんな人にいろんな方法で給付金を配ったり、誰かと誰かの税金に差をつけたりすることとは本質的に異なっている。

人間が高度だと思っている科学は、高度になっていくほどこのような自然さから遠ざかり、ついにはこの究極の自然状態を「計算」する方法を発見したジョン・ナッシュの業績にノーベル賞が与えられるほど遠い場所に追いやってしまった、ということではないのだろうか。
でもきっと、それでも僕らの本能のどこかに、みんなで生き残るほうが正しいという遺伝情報が残っていて、現実とのギャップに生きにくさを感じている。

もしかしたらこういう気持ちの拠り所としてこの世界に宗教というものが生まれたのではないか、などと特定の信仰を持たない僕などは考えたりするが、そうして生まれた宗教でさえ、新しい爭いの火種にしてしまうのが、これまた人間というものでもある。

だとすると、子どもが生まれると神道の作法に則って息災を祈り、教会で結婚式を挙げ、仏式の葬式を出し、ハロウィンには仮装して大騒ぎする僕らの国のありようも、それほど悪くないもののように思えてくる。

生きるための計算において、アヒルさんに大きく劣る僕らはせめて今夜、ケーキを均等に切り分けてメリークリスマスと言い合おう。
 
メリークリスマス。

2015年12月8日火曜日

あると信じて探す~ジョン・レノンに捧ぐ

今日12月8日はジョン・レノンの命日ですね。

今年、集団的自衛権をめぐる議論の中で、イマジン的ドリーマーな世界を口先だけで語っても世界は平和にならない、という論調の発言をよくネットで見かけました。
それもひとつの考え方でしょう。

しかし僕は、イマジンという歌が単に理想主義的で現実を無視したピース・ソングだとは思わない。
それはこの歌が、宗教と人間の弱さに言及しているからです。

----------------------------------
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today
-----------------------------------
想像してみよう 天国なんて無いと
やってみれば簡単なことさ
地面の下に地獄は無いし
僕らの上には ただ空があるだけなんだ
さあ想像してみよう 人々は
ただ今を生きているだけだと
------------------------------------

ジョンはヨーコの影響で禅宗を学び、世界にはキリスト教と異なる世界観が存在することを知るのですが、なにより驚いたのが、東洋の世界観には「最後の審判」が無いということでした。

最後の審判への恐怖が、隣人よりも神を優先させている。
そしてその心理が、多くの罪を人間に犯させているのではないか、というのがジョンの問題意識です。

しかしそれが信仰そのものを否定するものではない、という気持ちが「想像してみよう」という言葉に込められているのだと思います。


広告の仕事をしていた頃、先輩から教わったことがあります。
広告の企画を考える時、それがお客様の「課題」を解決する手段となることが重要なのですが、しかし肝心の「課題」が何なのか、ということは、実は当のお客様にもわかっていないことが多いのだ、と言うのです。

なぜか。
それは課題というものが、あるべき「理想」に向かう途に存在する「障害」のことをいい、その「理想」を正しく設定することが何より難しいからです。
だからまず、課題が何かなどと考え始める前に、お客様にとっての「理想」を一緒に話し合えるパートナーになれと諭されました。
その「理想」がなければ、正しく前に進むことはできない。
別の場所にはしごをかけたら、登れば登るほど理想から遠ざかってしまう。

まったくその通りだと思いました。


世界はまだ、世界にとっての「理想」を話し合えるパートナーになっていないのでしょう。
もしかしたら人間にはそのような関係を築く能力がそもそも欠如しているのかもしれない。
国の中では「多数決」で。
国と国の間では「武力紛争」で。
同じ国の中でさえ「武力紛争」でなければ、問題を解決できないことだってある。

でも、冒頭のイマジン的ドリーマーの世界を詰る人たちも、それが「理想的」だとは感じている。
だからそこにやはり希望はあるんだと思います。

前述の先輩に、「でもそういう理想を持ち合わせていないお客様もいらっしゃるんじゃないでしょうか」と、問うた時、にっこり笑って「あると信じて探すんだよ」と言われたあの笑顔が忘れられません。
確かにそれしかできることはないですもんね。

2015年11月25日水曜日

だれとも向き合わないカウンターの風景

この店をつくる時、関わったいろんな業者さんが口々に、「回転率」を考慮した客席レイアウトについてアドバイスをしてくれた。
僕は売り上げを上げるのは「回転率」ではなく「味」だと思っていたし、効率重視の狭苦しく区切られた店内で食べるものは、同じものでもおいしく感じられないのではないかと思っていたので耳をかさなかった。

特に彼らが目の敵にしたのはコーヒーを淹れるスペースに対置された広々としたカウンターだった。
「こんないい場所にカウンターを置いてはいけない」
「カウンターは窓際に外を向いて並べるのが一番効率がいいんです」


しかし銀座のbarに入り浸っていた僕にとってカウンターというのは神聖なもので、話しかけられるようになるまで、何回か通い、目を合わせて微笑んでくれるようになったらおずおずと話題を選んでマスターと話をし、明らかに自分には過ぎた場所だったと気付かされたり、意気投合して長い間通うことになる店を見つけたりした。
それにコーヒーを淹れる方法が一つのプレゼンテーションと考えていたのだから、もちろんそのアドバイスを採用するわけにはいかなかった。

確かに高回転率を目指す業種では確かに窓向きのカウンターテーブルが機能しているのはよく街で見かける。
そうして今や、人ではなく外と向き合うカウンターテーブルは、主に「お一人様」的カフェ利用者にとって一般的なものとなった。
トラディショナルな喫茶店が少なくなっていく中、カウンターを神聖視するような古い考え方は失われていくのだろう。
それも効率主義が失わせた風景のひとつだ。

2015年10月16日金曜日

エイベックスがJASRACから離脱するんだそうで

エイベックスがJASRACから離脱するんだそうだ。

JASRACさんには、開店以来、毎年7,000円弱の著作物使用料を払っている。
BGMとして使用した各楽曲の分をお支払いするのではなく、事業所面積に応じた包括的な契約になっている。
その方法や、そもそもの料金が適切かどうか、というのはわからない。
しかし、それぞれの楽曲に対して使用料を払おうとすれば、その日流したBGMの楽曲リストを作成して提出する、ということになるだろう。
下手をすれば、本業の分の税務申告以上に煩雑な手続きになる。
だから、事務手続き上は極めて現実的な集金方法だと思う。
違和感を感じるのは、それが税金でもないのに、店舗を運営してBGMをかけると自動的に支払い義務が生じるという強制性のほうだ。
よく似たものにNHKの受信料がある。

よく知られているように、NHKの受信料には「放送法」という根拠法があり、JASRACの著作物使用料には「著作権法」という根拠法がある。
それぞれの根拠法を行使する団体がひとつしか無い時、それは多少の心理的抵抗を伴いながらもある程度成立する。
しかしこれが二つになるとどうなってしまうのだろう。
エイベックスはまた別の方法で、我々から著作物使用料を徴収するということになるのだろうか。
この二重課税的な徴収にはさすがに簡単には従いたくない気分になる。


確かにファンキー末吉さんなんかの話を聞けは、JASRACのアーティストさん側への再分配の方法については問題がありそうだ。
主にそちら方面の事情での離脱だと思われるし、司法の判断も注視していきたいが、零細事業を営む身としては使用料徴収の方法論が気になる。
政治家が机の上で計算した2%で生きも死にもする身だ。
これ以上振り回さないで欲しい。

2015年9月11日金曜日

軽減税率に殺される

軽減税率のニュースを新聞で読むたびに頭を抱えている。
食品を商材として扱う極小店舗を営む者として、レジにマイナンバーカードを読み取る装置をつけて・・と簡単に書かれているところにまずクラクラしてしまう。

ネットワーク機能をもたせたレジを導入するのに、いったい、いくらぐらいかかるものなのだろう。
開業のとき調べたが、POSデータを扱えるレジが、最も安価なものでもリースで月2万円くらいだったと記憶している。
 
お客様のために美味しい菓子やコーヒーを作るためなら、車のない生活も、携帯電話のない生活もちっとも苦ではないが、政府の政策を実現するためにレジなんかに出費させられるのは御免こうむりたい。
商品の価値、つまり味や安全性に関係ない出費を上乗せされた対価を、これ以上要求されるのは、お客様も嫌だろう。
 
せっかく軽減した消費税分など、この仕組のための設備投資でどこかに飛んでいってしまう。
消費税増税で財布の紐が堅くなっている市況で売り上げも減っていくだろう。
そんな中で我々の生活費をさらに2万円削れと言うのなら、残念ながら折角手にした夢の実現だったが、店舗の継続をあきらめざるを得ないだろう。

消費税が8%に上がった時、新潟の「河治屋」という歴史のあるスーパーが、レジ買い替えの資金を調達出来ずに倒産した。
政策は、これを教訓とせず、さらに前へ進もうとしている。

>財務省は、今回の事業の発足に先立って『買い物記録を集約するデータセンターの新設などインフラ(社会基盤)整備に約3000億円を投じる』ことを想定している

とある。
 
一人あたま4000円の税金還付のために3000億円のインフラ整備を差配するお役人様には、月2万円のやりくりに苦しむ商店主の気持ちはわからないだろうし、大きな企業に対しての効果で、全体としての効果が担保されれば、事業としては成功と判断されるのだろう。
蔑ろにされるものの痛みに鈍感な社会に僕らは生きている。
負けたくはないが、どうやって勝てばいいのかも今はわからない。
ただ頭を抱えるだけだ。

2015年9月7日月曜日

64年のシンボルマークに込められた本当の意味

前職で、幹英生(みきえいせい)さんという画家で、グラフィックデザインも手がけられた方と3年ほどお仕事をさせてもらった。
請け負ったのは、毎年数百ページに及ぶパンフレットを作るという仕事だった。
大詰めになるとクライアント先や印刷所(印刷に回す直前まで修正を重ねるため)にまで泊まりこんだりした。
ハードな仕事だった。

仕事が終わると幹先生が新橋の裏通りにある隠れ家的なお店に連れて行ってくれて、オリンピック周辺のデザイン事情の激動についてよく話してくださった。

僕がいたのはリクルートという会社で、64年オリンピックのシンボルマーク(と当時は言っていました)を作った亀倉雄策先生は当時まだご存命で、リクルートの例のかもめのマークをデザインしてくださったご縁で、リクルート事件で揺れる会社を助けるためにもと仰って、役員をお引き受けくださっていた。


亀倉先生や早川良雄さん(こちらも昭和を代表するグラフィックデザイナーです)と親しかった幹先生はあのシンボルマークの裏話をよく知っておられて、それは本当に面白く、現代の日本に大きな影響を与えたイベントだったのだなあと強く印象に残っている。




まずあれは日の丸じゃない、というところに驚く。赤い太陽なんだと言うんですね。
つまり国旗を置いたんじゃなくて、国旗を定めた時のスピリットを置いているんだと。
すげえ話だと思いました。マジで。

で、そう言い張ってるだけじゃなくて、デザインでそれを主張しているんだと。
それが赤い太陽と金色の五輪の間の限界まで絞った「隙間」なんだと。
あそこにあれ以上余白があると国旗になってしまう。
これがデザインというものかと心底感動しました。

当時のデザイン業界は、今ほどは大きくなく、今の感覚で見れば身内で審査しているみたいな感覚ですが、こういうデザインマインドが生み出す感動みたいなものを共有してるんですね。
そこには何かに似ているとかいう発想は最初からない。

4年ほど前に出た「東京オリンピック物語」にその辺の話も出てるんじゃないかと思って期待して出版を待って買ったのですが、ばっちりそのまま書かれていて嬉しかった。業界ではよく知られた話だったようですね。

他にも、競技の勝者をリアルタイムで報道する世界ではじめてのシステムを開発した日本IBMのエンジニアや、帝国ホテルの村上シェフが采配を振った一万人におよぶ選手村への給食、谷川俊太郎が脚本を書き市川崑が撮った芸術性の高い記録映画が、組織の論理に押しつぶされてスポイルされていく経緯など、64年 のオリンピックを支えてたのは、損得勘定の「政治」や無責任な野次馬と闘った生々しい「個人」のドラマだったことが描かれている。

表舞台も裏方も、今も昔も、結局人の情熱だけがオリンピックの精神に相応しい感動を生み出すのだと思う。
誰かの与えてくれた感動で2020年も振り返ることができるといいなと思います。


TOKYOオリンピック物語、もう文庫になってました。


TOKYOオリンピック物語 (小学館文庫)
野地 秩嘉
小学館 (2013-10-08)
売り上げランキング: 66,951

2015年9月5日土曜日

お砂糖のこと

カフェジリオでは、コーヒーと一緒にお使いいただくお砂糖に「ペルーシュ」を使っています。
不揃いな形の角砂糖で、多くのカフェで使われています。


ホワイトとブラウンがあるのですが、ブラウンの減りがはやいですね。
子供の頃、家にも「コーヒー・シュガー」という名前の琥珀色の結晶状の砂糖がありましたが、お客様にもそのような、「コーヒーには茶色い砂糖」というイメージがあるのかもしれません。

うちでは写真のように白と茶をひとつの皿にいれてお出しするのですが、先日お客様から「やっぱり砂糖は漂白してないほうが味がいいのかい?」と訊かれました。
茶色いお砂糖が自然な姿で、白い砂糖は漂白したものという認識が、もしかしたら一般的なのかもしれません。
そういえば、どこかのカフェのブログでもブラウンの方が漂白していないぶんミネラル分が豊富かも、と書いてありました。

砂糖の主成分はショ糖(C12H22O11)という、無色透明で甘味のある結晶なのですが、それが結晶粒子の光の乱反射により白く見えているのです。
三温糖などの褐色の砂糖は、サトウキビなどの蜜の部分からも糖分を絞り出すために加熱、遠心分離を繰り返すうちに糖質がカラメル化してできるものだそうですが、ペルーシュのブラウンは、雰囲気をコーヒーに合わせるためカラメル色素で着色しているものです。
ペルーシュの場合は、白を漂白しているのではなくて、ブラウンを着色していた、ということですね。
(ペルーシュにはカソナードという三温糖タイプのブラウンシュガーもあります)
 白い砂糖は漂白されたものではありませんので安心してお使いください。


このペルーシュ、溶けにくいと感じられるお客様が多いようです。
プレス成形を行わず、不揃いな形を造る独自の製法が原因なのではないかと思うのですが、砂糖を入れて、20~30秒ほど放置しておくとコーヒー液が染み入って溶けやすくなるようです。
最初からくるぐるかき混ぜると、すごいスピードでコーヒーの温度が下がっていって、かえって溶けにくくなるようです。
ペルーシュを使っているお店では、砂糖を入れたらすぐにかき混ぜず、少し待つ。
お試しください。

2015年6月6日土曜日

朝見上げる空模様に命のことを思う時

昨日の記事に、
お気に入りの雨具を買ったくらいで憂鬱な日を楽しく過ごすことができる現代に僕らは生きている
と書いたら、「農家にとっては、天候は今も気の持ちようなどではどうしようもないものですよ」とご指摘をいただいた。
まことにその通りだと僕も思う。
路地裏に建てたカフェの売上も、深刻と言っていいほど天候の影響を受ける。

そういえば、東京で営業の仕事をしていた頃、お客様との挨拶に天候の話などしたことがなかった。
それが会社を辞めて郷里の北海道に帰り路地裏にカフェを構えたら、毎日交わすご近所さんとも、馴染みの常連さんとでも、顔をあわせれば挨拶の言葉としてひとしきり天候の話に花が咲くようになった。

最初にうちの常連さんになってくださったのは、先ごろ亡くなった町村元衆議院議長のお父様で北海道知事を三期務めた金吾さんの秘書だった方で、現在はもう百歳を超えられたはずだがご健在である。

今年101歳になる女性のかたも、もう何年も毎週欠かさず水曜日にうちのケーキを大量に買って行かれる。今やこれが唯一の楽しみだというんだから気が抜けない。
そのような人たちと天気のお話をしていると、天候というのは単なる挨拶の言葉ではなく、本当に命にかかわる重大事なのだと気付く。

そんな日々を過ごしていると、朝起きて見上げる空模様がとても大きな意味を持っているものに思えてくる。
晴れか雨かだけでなく、気温の変化や風、雷、例年との差異など気にかけて情報を追うようになった。
そしてそうなってみると、朝ゴミ出しの時にお隣さんと交わす何気ない「今日はいい天気ですね」の言葉が、お互いの命を気遣い合う言葉に聞こえてくるようになった。
子どもの頃から言われ続けた「挨拶は大事ですよ」という教えの意味がすっと心の中に入り込んでくる瞬間だ。

もしかしたらコミュニティの絆が薄くなったり、家族の形が小さくなることで僕らの生活が失ったものは意外に大きいのかもしれないと、ふと思った。

2015年6月5日金曜日

折れてしまった傘とブルーの起源

さくらの季節が終わると札幌には強い風が吹く日がある。
先日その強風に煽られて傘の骨が曲がってしまった。
結婚してすぐの頃、皇室御用達という宣伝文句に釣られて買った高価な傘だった。

20年も前のことだが、その傘を買ってから雨の日に営業に出るのがちっとも嫌でなくなった。
お気に入りの雨具で憂鬱な雨を好きな日にするというのは、気の持ちようでマイナスをプラスに変えるもっともわかりやすい事例のひとつだろうが、20年も効果が持続したのだから宣伝文句に偽りがなかったということだと思う。

その大切な傘の折れてしまった骨を見ながら僕はブルーズの起源について思い出していた。

17世紀、アメリカに連れて来られた黒人奴隷たちは、朝起きた時、晴れて空が「青い」のを見ると、今日も一日キツい重労働が待っていると憂鬱な気分になった。
だからその憂鬱な気分を空の色を使って「ブルー」と表現した。その気持ちを載せて歌った歌がブルーズである。
彼らにとってはきっと天候というものは「気の持ちよう」などではどうしようもない運命そのものだったに違いない。

先人たちの超人的な努力と長い時間をかけて、天気の良い日が憂鬱だなどというバカげた世界は変わり、お気に入りの雨具を買ったくらいで憂鬱な日を楽しく過ごすことができる現代に僕らは生きている。
大切にしなくてはならないと思う。

2015年3月21日土曜日

8周年を迎えて

本日3月21日で、カフェジリオも8周年となりました。

「平凡」に生きていくためにこそ最大の情熱を注ぐ、という信条に鑑みて、特に大きな改装はしておりませんので、見た目は開店した当時のままですが、商品の中にはかつて人気のあったものでも今はお出しできなくなってしまったものがあります。


例えば「クレームダンジュ」というフロマージュブランとダブルクリームのムースは、材料の一部が生産されなくなり、他のメーカーのものでは味を再現できないため泣く泣くラインナップから落としました。
乳製品は同じメーカーでも生産工場で味が違ってしまうデリケートな食材です。
生クリームもちょっと特殊なものを使っていたのですが、工場が変わったとたん味が大きく変化して、これを他のメーカーのものとブレンドして調整するのに大変苦労しました。

コーヒーでも、マラウイという小国のゲイシャ種がとても評判が良かったのですが、世界的なゲイシャブームでなかなか豆が回ってこなくなり扱いを諦めました。
人気のあったトルマリンというブラジルのブランドも農園主の継ぎ手がいなくて廃業となり、今はお弟子さんが作った別の農園のものを使っています。

最近では固定ファンの多いカシスココというカシスとココナッツのムースに使われているカシスピューレが、農薬の問題で日本に入ってこなくなり、しばらくお作りできない状況にあります。


世界は刻一刻と変化していて、そこに生きる僕らも実に様々な事情で変化を迫られるのです。
しかし、不思議なもので扱う食材が変わっても、同じ人が作っていればそこにはなにか共通した「味わい」のようなものが感じられるものです。
その頑丈な個性は、間違いなく一朝一夕で作られたものではない。
きっと個人の人生すら超えて、技術を教えてくれた先生の生き様みたいなものまで含めて表現されるものなのではないでしょうか。

先日、パティシエである家内が菓子修行をした、三軒茶屋のHisamoto'sという老舗洋菓子店(現在は閉店)の創業者、久本晋平氏の自伝を偶然見つけて入手しました。
奉公先でカステラの技術を習い覚えて、養家で新しい洋菓子を作ろうとするも保守的な店主(養父)に受け入れられず、夢を叶えるためこっそり家出して博多に逃れた晋平氏は、洋菓子職人を求めていた店の門を叩き、ではシュークリームを作ってみよ、と言われ苦心惨憺して扱ったことのない最新の電気釜を使って見事なシュークリームを作り店主に認められたことがその職人人生の原点であったようです。

家内の菓子作りの原点も子供時代に食べたカスタードクリームにあります。
紆余曲折はあるでしょうが、職人さんたちの菓子への思いが折り重なって、今この店のショーケースに並んでいるシュークリームがあるのだなあ、と思うと深く感じ入るものがあります。

この変わり続ける世界で、僕らが守っていかなくてはならないのは、こんなふうに一つの菓子に積み上げられてきた人の気持ちそのものではないか、と思うのです。
9年目に入った今年もその気持ちを忘れずにがんばってまいります。
変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

2015年2月5日木曜日

あらためて珈琲のこと Vol.3 鮮度と豆の袋

コーヒー豆を買いにいらっしゃったお客様に、
「真空パックにしてくださいね」と言われたことがある。
あまり考えずに「真空パックには出来ないんですよ」と答えたが、おそらくお客様は、この店には真空パックの機械がないのね、と思っただろう。
事実機械も持っていないのだが、それは焙煎したての鮮度の高いコーヒー豆が、物理的に真空パックに出来ないものだからなのだ。


コーヒー豆の鮮度

焙煎直後、コーヒー豆からは炭酸ガスが激しく発生するようになる。
もしそのガスを外に出す仕組みを持っていない袋に豆を詰めると、まもなく破裂してしまうだろう。
当然真空パックなど出来るはずがない。

このガスは一週間もすれば全く出なくなるので、真空パックしてくれる店があるのだとすると、一週間以上経った豆を売っているお店、ということになる。焙煎によって焼成された香味成分は、一週間で6割以上失われてしまう。
本当のコーヒーを味わいたければ、真空パックは出来ないと言ってくれるお店で買うのがいいだろう。

コーヒーの主に理論的側面を教わったホリグチコーヒーでは、コーヒー豆の袋にシーリングすらしなかった。豆をいれて袋をくるっと巻いて輪ゴムをパチン。そのままはい、と渡されるくらいだ。


酸化のこと

でもそれでは酸化してしまうのでは、と思われた方は賢明だ。
しかし酸化を避ける方法は事実上無いのである。
なるべく遅らせる方法を考えるしかない。

で、まずは身も蓋もない事を言ってみるが、コーヒー豆というものは「豆」の姿でいる限り、そう酸化はしないものである。
粉砕して粉の形になったとたん激しい酸化のステータスに入る。

標準的な中細挽きで、表面積は800倍になるそうだ。
空気に触れている面が800倍になると、酸化のスピードも800倍になるのかどうかはわからないが、800倍のスピードで進む世界では24時間は1分48秒になってしまう。
そこまでのタイム感ではないにせよ、粉にしてしまったコーヒーを翌日淹れると、いつものようなレスポンスが返ってこないためコーヒーを淹れた気にならないというのが偽らざる感覚だ。
仕事を離れて自分のコーヒーを淹れる時なら別に豆は焼きたてでなくてもいいが、それでも「挽きたて」であることだけは譲れない。

だから酸化対策の、と言うより美味しいコーヒーを飲むための第一歩は「ミルを買う」ということにあるのだ。
ね、身も蓋もないでしょう。


あまりに身も蓋もないので、もうひとつ。
酸化は化学反応なので、温度が下がればスピードが下がる。
それで僕は冷凍庫で保管することを推奨している。

冷凍、冷蔵に異議を表明する珈琲屋も多い。
ひとつは結露のリスクがあること。(これは実際になったのを見たことがないです)
もうひとつは豆の温度が低いので、出来上がったコーヒーの温度も低くなること。 (湯の温度を高くしておけばいいと思います)
匂いが他の食品につく、というのもあって、これは僕も認める。それもあって「豆」で買って、冷「凍」庫で保管、を推奨しているのである。

いずれにせよ、効果とリスクはトレードオフだ。
生活のスタイルとの兼ね合いで採用できるものからお試しいただきたいと思う。

2015年2月4日水曜日

あらためて珈琲のこと Vol.2 酸味と苦味

珈琲豆の味について語る時、一般に使われる言葉は、だいたい「酸味」「苦味」と「浅煎り」「深煎り」くらいだろうと思うが、この酸味という言葉が曲者だ。

珈琲の酸味

実は焙煎前の生豆(なままめ、と読みます。きまめ、とは読めませんのでご注意ください)は、食べられないものだが、例えばすり潰して舐めたとしたら酸っぱい味がする。
だから当然、焙煎が浅いほど仕上がるコーヒーも酸っぱい。
そして世界各国のどんな栽培種の豆も深く焙煎すれば一様に苦くなる。

だからもし、珈琲の味を酸っぱいか苦いか、で判断しようとするということは、浅煎りか深煎りかという焙煎度をモノサシにして好みを表現しようとしているということになる。

そのことで言うなら、この豆は少し酸味を強めに活かして仕上げるか、とか、強く焙煎してやったほうがいい香味がでるんだよな、とか、とにかくコーヒーは苦くなくちゃ!とか、焙煎士によってその判断は様々だ。

しかし同じ深煎りにしてもエチオピアの珈琲とマンデリンではまったく味が違うのだ。
ある程度深く焙煎しても、ある種のエチオピアコーヒーには花の香りのような風味が残り、タンザニアコーヒーには柑橘のような強めの後味が残る。
マンデリンでは、苦味としか表現できない強い油脂の風味が感じられる。

このような同一焙煎度で感じられる「香味」の異なりが、珈琲の味の本来の違いなのだと思う。
論外なのは、焙煎から時間が経って豆自体が「酸化」しているケースで、胸焼けを伴う酸っぱいコーヒーになってしまう。

珈琲の苦味

残念ながらこのような香味の異なりをうまく表現する言葉は無い。
誰かが書いたコーヒーの味についての説明を読んで、それを飲んだとしても同じような言葉でそのコーヒーの味を表現したいと思うことは殆ど無い。
それは珈琲の味が「苦い」からだ。

このような珈琲の味の感じ方の違いは、カフェインが本来「毒」であるということに起因していると思う。
人間の体は「毒」を苦いものとして認識する。
事実カフェインは、コーヒーノキが虫などから自らの身を守るために体にまとった毒だ。
このため、コーヒーノキは樹木としては異例なほど寿命が短いが、種子が残る確率が高く生存圏を速く広めることが出来る。

本来毒であるカフェインを、ある種の興奮剤として摂取することを人類は覚えたが、やはり味覚はそれを恐る恐る味わう。
だからそもそも、苦味を理解するのは相応の経験が必要だ。
たくさん飲まないと、そこに潜んでいる複雑な香味はわからないものなのである。

その上苦味というやつは、それが毒であるがゆえに、その味覚の快感を誰かと共有する言葉を纏う代わりに、なぜそれを飲むのかという「自己」を前面化させる。
誰にとっても美味しいボンゴレビアンコはたぶん存在するが、万人に旨いコーヒーはきっと無い。
自分のためのコーヒーを選ぶことができるのは自分だけなのだと思う。

誰かの美味しいという言葉などあてにせず、それがどれほどの情熱を注いで焙煎され、丁寧に抽出されたものなのかを頼りにできるだけ多くのコーヒーを飲んでみて欲しい。
いつかきっと「腑に落ちる」コーヒーに出会う日がくるはずだ。

2015年2月2日月曜日

あらためて珈琲のこと Vol.1 水質と湯温

基本的なことだが、珈琲豆自体は湯に溶けない。
溶けているのは、焙煎によって焼成されたカフェインなど700種類以上にもおよぶ化学成分である。

これは焙煎によって珈琲豆内部に生じた平均7ミクロンともいわれるごく小さな孔の中に出来る。
それを幾種類かある抽出方法によって溶解させて飲んでいるのが珈琲という飲料なのだ。

あらためて珈琲のことを考えるにあたって、まずはこの溶解の媒体となる「水」について書いてみる。


水の種類

水に硬水と軟水がある。
硬水にはイオン化されたミネラル成分が含まれており、珈琲の味を形作っている様々な化学物質といろんな形で化合してしまう。ゆえに本来の味が出にくくなる。
わざわざ飲用のミネラルウォーターで淹れるのは逆効果になる可能性がある。
珈琲の抽出には軟水が適当だろうと思う。
家庭用浄水器を通した水が最も現実的な選択といえるだろう。

エスプレッソの本場はイタリアで、イタリアは硬水だから、エスプレッソには硬水がいいと薦めている珈琲屋があったが、バカなことを言ってはいけない。
確かにヨーロッパの水は硬水であり、だから基本的に最初から味が出にくい環境で珈琲文化を作ってきたところがある。
だからこそ味を強めに出すための「深煎り」が基本なのだろうし、それが結果的にエスプレッソという抽出法に辿り着く素地だったのだというだけことだ。
水道水で軟水が提供される日本では、このような前提に依らない、豊かで複雑な香味を保ったままの独自の珈琲文化を育てていける可能性があると思う。
自分自身も担い手の一員として、ここにこそ最大限の努力をしたいと思っている。


湯の温度

たとえばボンゴレビアンコを作るときの最大のポイントは、あさりから出てくる風味豊かな水分を、本来混じり合わない油であるオリーブオイルを過熱することで、熱力学的に非平衡な分散状態に移行させ混合白濁させるところにある。
これは乳化現象=エマルションと言われる。

珈琲豆も油分である。そして湯で溶かす。
だから一定の熱量があればエマルションが起き、よくできたボンゴレビアンコのように活性化した味が手に入る。

僕は珈琲豆の酸化を遅らせるために冷蔵庫で豆を保管しているので、かなり高めの温度にした湯を使う。
だいたい95度前後。
これでも抽出にかかる二分半を経てカップの温度は80度そこそこ。
少し熱めだが、味がわからない程ではない。
感覚的な話だが、なにより珈琲の持っているポテンシャルをぐっと引き出した実感を持てるのがいい。

逆に低い温度で淹れると、灰汁が出にくくなったり、脂分の持つ強い非平衡性がカップに混じらないためキレイで澄んだ味になるという側面もある。
だからこれは好みの問題だと思う。

湯温をどうするかは、注湯、もしくは浸漬のスピード(時間)と合わせて、抽出の段階で珈琲の味を作る大きなポイントなのである。
上記の原則を念頭において、いろいろ試してみて欲しい。

2015年1月26日月曜日

充電と放電

会社員時代には、休日になるとよく買い物に出かけた。

家内はイタリアン・レストランに勤務していたから、美味しい店のことをよく知っていた。
本当に美味しいお店は雑誌なんかには載っていないものだ。
特に混雑もしていないそういうお店でたまに夕食をとった。

バンドもやっていたから、日曜の午前にはスタジオに入って、趣味で自作した曲を長い付き合いの仲間たちと演奏した。
年に一回は西荻窪や新高円寺のライブハウスでライブをやった。
後半、会社のバンド仲間と小川町でライブイベントをやったりしたけど、あれも楽しかったな。

何年かに一回、長期休暇がとれる制度があったので、そんな時はイタリアに旅行して古い街並みをあてどなく歩いた。

そういう休日の楽しみは、多忙なビジネスマンライフを乗り越えていくために必要な「充電」なんだと思っていた。


しかし、個人事業者となってカフェの運営をはじめると、すべてが変わった。
会社でやっていたあれは、仕事の「一部」だったんだと気がついた。

自分で仕入れたものを加工して、商品に名前を付けて、お客様にプレゼンする。
お客様に提供して「美味しい」と言われる。
心からの感謝を表明し、対価を受け取る。
頂戴した対価を管理し、生活と再投資に振り分ける。

それが絶え間なく続く。
絶え間なく続いているのは、忙しさではなく緊張だ。
こんなちっぽけな事業が、明日どうなるかなど誰にもわからない。
その不安がいつもバックグラウンドに流れている。

そして体を壊して休めば、その時点で事業が停まる。
健康を維持していくことも重要な責務となった。有給休暇なんてないのだ。

仕事をすることと生きていくことが同義の生活を送って、一週間が終わればもう何かをする体力や気力は残っていない。
ベッドで身動きもせずに体を休めながら、まるで今のオレは充電器に繋がれた携帯電話みたいだな、と思った。

はて、これが充電だとすると、会社員時代の、休日のほうがアクティブだったあの日々はいったいなんと呼べばいいのだろう。
バッテリーの寿命をのばすために時々行う「放電」のようなものだろうか。
休日に「本当の自分」に戻るのだから、という担保があってはじめて仕事の日々のための仮の人格(何々社の誰それ)を運用できていた、とそういうことなのかもしれない。

ということは本当の自分、というやつはいつも社会から隠されていたということになる。
確かに、その頃のお客様に髪をスプレーで逆立ててギターをかき鳴らしながら歌う姿をお見せしたいとは思わなかった。
「放電」している姿というのはビジネスと相性が悪い。

で、現在の僕にとってのビジネスの場であるカフェは、お客様にとっての「放電」の場であるのだろうと思う。
だからこちらもある程度放電モードで対処することになり、隠れ場所がなく本当の自分のままで矢面に立つその当然の帰結として週末に「充電」が必要になる、とそういう仕組になっているようだ。

今、村上春樹氏が期間限定で読者との交流サイトをやっているが、その中で「中古レコード店は僕にとってのサンクチュアリなので、見かけても声をかけないでね」と言っていた。
僕にとっては年に4~5回、土曜深夜に歌うカラオケがそれにあたるのかな。
今年は僕にとってのサンクチュアリと呼べる場所を、もう少し探してみようと思います。