2015年2月4日水曜日

あらためて珈琲のこと Vol.2 酸味と苦味

珈琲豆の味について語る時、一般に使われる言葉は、だいたい「酸味」「苦味」と「浅煎り」「深煎り」くらいだろうと思うが、この酸味という言葉が曲者だ。

珈琲の酸味

実は焙煎前の生豆(なままめ、と読みます。きまめ、とは読めませんのでご注意ください)は、食べられないものだが、例えばすり潰して舐めたとしたら酸っぱい味がする。
だから当然、焙煎が浅いほど仕上がるコーヒーも酸っぱい。
そして世界各国のどんな栽培種の豆も深く焙煎すれば一様に苦くなる。

だからもし、珈琲の味を酸っぱいか苦いか、で判断しようとするということは、浅煎りか深煎りかという焙煎度をモノサシにして好みを表現しようとしているということになる。

そのことで言うなら、この豆は少し酸味を強めに活かして仕上げるか、とか、強く焙煎してやったほうがいい香味がでるんだよな、とか、とにかくコーヒーは苦くなくちゃ!とか、焙煎士によってその判断は様々だ。

しかし同じ深煎りにしてもエチオピアの珈琲とマンデリンではまったく味が違うのだ。
ある程度深く焙煎しても、ある種のエチオピアコーヒーには花の香りのような風味が残り、タンザニアコーヒーには柑橘のような強めの後味が残る。
マンデリンでは、苦味としか表現できない強い油脂の風味が感じられる。

このような同一焙煎度で感じられる「香味」の異なりが、珈琲の味の本来の違いなのだと思う。
論外なのは、焙煎から時間が経って豆自体が「酸化」しているケースで、胸焼けを伴う酸っぱいコーヒーになってしまう。

珈琲の苦味

残念ながらこのような香味の異なりをうまく表現する言葉は無い。
誰かが書いたコーヒーの味についての説明を読んで、それを飲んだとしても同じような言葉でそのコーヒーの味を表現したいと思うことは殆ど無い。
それは珈琲の味が「苦い」からだ。

このような珈琲の味の感じ方の違いは、カフェインが本来「毒」であるということに起因していると思う。
人間の体は「毒」を苦いものとして認識する。
事実カフェインは、コーヒーノキが虫などから自らの身を守るために体にまとった毒だ。
このため、コーヒーノキは樹木としては異例なほど寿命が短いが、種子が残る確率が高く生存圏を速く広めることが出来る。

本来毒であるカフェインを、ある種の興奮剤として摂取することを人類は覚えたが、やはり味覚はそれを恐る恐る味わう。
だからそもそも、苦味を理解するのは相応の経験が必要だ。
たくさん飲まないと、そこに潜んでいる複雑な香味はわからないものなのである。

その上苦味というやつは、それが毒であるがゆえに、その味覚の快感を誰かと共有する言葉を纏う代わりに、なぜそれを飲むのかという「自己」を前面化させる。
誰にとっても美味しいボンゴレビアンコはたぶん存在するが、万人に旨いコーヒーはきっと無い。
自分のためのコーヒーを選ぶことができるのは自分だけなのだと思う。

誰かの美味しいという言葉などあてにせず、それがどれほどの情熱を注いで焙煎され、丁寧に抽出されたものなのかを頼りにできるだけ多くのコーヒーを飲んでみて欲しい。
いつかきっと「腑に落ちる」コーヒーに出会う日がくるはずだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿